怪談:知らせ
人の死に多く関わってしまう都合上、病院という場所には心霊話が付きものだ。
看護師として病院に勤めている私も、そういった現象らしきものには何度か遭遇している。これはその中の一つだ。
ある夜の事だ。私は夜勤をしており、病棟の巡回をしていた。その病院で夜間巡回をするのは初めてだったため、先輩達から様々な助言を受けた後のことだ。
壁も床も天井も真っ白な廊下は、日中は清潔な雰囲気を出しているが、限られた照明にのみ照らされた今は、鍾乳洞のような不気味さを放っている。
正直なところ、あまり好きな仕事ではないが、やらないわけにもいかない。
かつ、かつ、という、床を叩く私の足音だけがやけに響く。
こうして歩いていると、先ほど聞いてきた様々な怪談話を思い出す。
曰く、司法解剖に回したはずの死体が歩き回っていた。
曰く、患者の数が一人増えていた。
曰く、手だけが廊下を這いまわっていた。
本当に嫌になるほどあるそれらの事を考えて、半ば辟易としながら歩いて居た時だ。私は曲がり角の先に人影を見つけた。
ぼんやりとした姿のそれに、今まで思い出していたものの影を見て、私は震えそうになった。
だが、すぐに思い直す。怪談話や幽霊よりも、病棟の夜間巡回という仕事をきっちりこなすことの方が私にとっては重要だ。
「誰ですかー? そこで何をしているんですか―?」
そう声をかけながら人影に近づいていくと、人影もまたこちらを向いた。
「何だ、Dさんじゃないですか」
そこに居るのは、私もよく知る患者のDさんだった。Dさんは入退院をと手術を繰り返しているお爺さんで、少しボケも進んできている。数日前にこの病棟から別の病棟に移った筈だったのだが、間違ってこちらに戻ってきてしまったのかもしれない。
あまり驚かせないで欲しい、と心の内側で胸を撫で下ろして、私はDさんに話しかけた。
「Dさん、Dさんはもう病棟移ったでしょ。ここに来ちゃ駄目だよ」
Dさんはそれを聞くと、うん、うんと頷いた。
「そうだねぇ。知らせるだけ知らせたら帰るからねぇ」
「知らせるって、何を?」
はて、Dさんが何かを知らせるような人は居ただろうか。
「Nさんねぇ」
「ああ、Nさん」
NさんはDさんの近くの病室に入院している患者だ。年齢は私よりも若いくらいだが、難病に冒されており、何度か手術をしている。
「もう長くないから、教えておかないとねぇ」
あまりにも当然のことのように言うDさんに、私は背筋に寒気が走るのを感じた。そんな馬鹿な。Nさんの手術は成功して、容態は安定している筈だ。
ああ、そうだ、Dさんは少しボケているのだった。だから、こんな事を言ってしまうのだ。
「はいはい、分かりましたから、Dさんは帰りましょうねぇ」
「うん、そうだねぇ。もう帰らないとねぇ」
そう言いながら歩くDさんに付き添い、私は別の病棟までDさんを連れて行った。
Nさんの容態が急変し、あっという間に亡くなったのはそれから数日後の事だった。
Nさんはもう長くない。Dさんの知らせは当たったのだ。
何故、Dさんがそんな事を知ることが出来たのか。私はそれを聞こうとして、出来なかった。
Dさんもまた、亡くなっていたからだ。それも、あの日私が夜の病棟で姿を見かけるよりも前に。
Dさんは何故、Nさんの死を知ることが出来たのか。それは、Dさん自身が死んでいたからなのではないだろうか。
それから数日後、別の看護師が夜間巡回でNさんを見かけたという。死人の世界には、死人の世界のルールがあるのかもしれない。