八百歳の彼女 四
飛行機に乗込むと、運の悪いことにあの酷い大男が俺の隣に陣取っていた。厳密に言えば通路を挟んで隣り合わせとなって、少しばかりは離れていたのだが、それでもなんだかとても威圧感があって尋常ならざる気配を漂わせてさえいた。これは子供の俺が単に多感だったからなのか。いや違う。ヒソヒソと小声で喋っていた周りの乗客たちも一様に同じく異様な雰囲気を感じとっていた筈なのだ。
飛行機が離陸して間もなく周りの乗客たちも感じていたであろう嫌な予感めいたものは現実の事件となった。
突然、大男が暴れだしたのだ。
大男は窓側にいた邪魔な乗客を片手で簡単に摘みあげると通路に投げ飛ばした。そして側壁を力一杯叩き始めた。窓を叩くと簡単に亀裂が走った。再び壁を叩きだした。最初は呆気にとられていた大人たちが大男を取り押さえようとしたが誰もやつを止められなかった。大男はおよそ人間のものとは思えない、信じられない屈強なパワーを持っていたのだ。誰も大男の破壊行為を止められずにいると、俺が一目惚れしたあの女の子が単身で果敢に戦いを挑んでいった。彼女はなにか合気道のような護身術のような技を繰り出していたが大男には全く通じなかった。俺は加勢するため無意識に彼女の側に回りこんでいた。次の瞬間、大男は彼女を放り投げた。そのため後ろにいた、俺もろ共、座席の間に倒れこんでしまった。
2回、爆発が起きたのを憶えている。墜落するまでの記憶が朧げだが、彼女が吐く息と身体の温もりは今でも鮮明に覚えている。座席の合間で彼女は墜落し海上に激突するその瞬間まで俺を強く抱きしめていてくれたのだ。暫時、彼女と交わした会話も一字一句憶えている。
「ぼく、名前は?」
「龍」
「リュウ君か……いい名前ね。私は才菜。よろしくね」
「僕たち、死ぬの?」
「おねえちゃんが、ついてるから……大丈夫」彼女はそう言いながら、なお強く俺を抱きしめてくれた。
やがて、大男が満足げな表情をしながら、俺たちの傍らを横切って行った。
一瞬、やつの手の甲が見えた。壁や窓を叩いていたせいなのだろう。拳がひどく傷ついて皮膚がボロボロに裂けていた。
俺は破れた拳の皮膚の下から冷たく鉛色に光る金属らしき硬質なものを確かに目撃した。後に事情聴取された俺はその状況を詳細に語ったのだが誰一人信じてくれる者はいなかった。俺が極限状態でいたこと、話があまりにも現実離れしていること、そして何よりもまだ小学生であった俺の、子供の言うことには誰も聞く耳を持たなかったのである。
死者147名、行方不明者11名、そして生存者1名。それが公式に発表されたこの事故の被害状況だった。
尚、「生存者1名」とは俺のことだ。
不思議なことにフライトレコーダー等の墜落状況を裏付けられる物は何一つ発見されなかった。事故調査委員会が何年もかけて判明できたのは何らかの爆発により離陸直後に墜落したこと。ただ、それだけだった。大男の存在自体調査されることはなかったのだ。
「ウ……リュウ……リュウ!」
せつなの呼ぶ声に目が覚めた。朝になっていた。
「どうしたの? 汗まみれじゃない。うなされてたよ」
「いや、ちょっと嫌な昔の夢を見て……ってか、なんて恰好してんだよ!」
せつなは寝ていた俺に四つん這いで覆いかぶさるようにしながら、顔を覗き込んでいたのだ。
「ちょっと待て! キスはやめろ!」
お互いの唇が寸前のところにあった。慌てて俺はせつなをはねのけた。
「なーんだ。つまんなーい」
せつなは、そう言いながらケラケラと笑った。本当に、この娘は、せつなは中学生なのか……アメリカのローティーンなんかより、いや、ハイティーンなんかよりも、ずっと、よっぽど大人びていると、俺は思った。
昨夜の、久しぶりに見た夢を思い出し、頭の中で何度か反芻しながら俺たちは学校へと向かっていた。もはや隠れて護衛する意味がないので、と言うか、家を出てから、せつなが俺の手をガッチリと握ったまま、ずっと離してくれずにいた。そのため離れて警護することができないというのが実際のところだ。
公園の人影のなくなった場所に差し掛かると、懐かしいというか、俺にとっては三年ぶりに逢う女性が待ち構えていた。
「エンコーって言うんでしょ、それ。久しぶりね、ノア」ピンクゴールドのタイトなスカートを履いた派手な女性が立っていた。