猫又の翠
二話続きで黒猫『翠』のシリアスな話が入ります。
猫の生態等々実際とは違うかもしれませんが、さらっと流して読んでくだされば嬉しいです。
昔……天狗伝説が残る山間の村に稲守という家があった。
稲守家は大地主で大きくはないが、山をひとつ所有し、他にも農地を貸したりしていたのだが、代々稲荷神社に仕え、常時神官の居ない小さな社の掃除をしたり、毎日のお供物を捧げたり祭事の手伝いをしていた。
黒猫の翠が産まれたのは、そんな稲守家の縁の下だった。
ともかくも黒猫というのは忌み嫌われやすい。それでも母猫がこの場所を選んだのは、裕福ゆえに少しでも餌が貰いやすいと考えたからか……
幸い当主の稲守源一も、その妻さよこも、野良の母猫が赤ちゃんを産むのを黙認していた。女中や下男などは、嫌なものをみるような目付きで母猫を見てくるが、主人たちが認めている以上あからさまな嫌がらせはして来なかった。
しかし、嫌がらせもしないかわりに可愛いがりもしない。大人は総じて見て見ぬ振りを貫いていた。産んでしまえば、何処かに行くだろうと考えているようだった。
しかし稲守家の長男で5歳の賢一と、長女で3歳の美津子は様子が違った。
子猫達が産まれて、か細い声で「にーー、にーー」と縁の下から聴こえてくるようになると、二人は台所回りの女中に頼んで蒲鉾の端やら出汁を取った後の煮干しを貰ってきては母猫に食べさせた。
お陰で乳も良く出て4匹産まれた仔猫はみな無事育った。
4匹は見事な黒い毛皮を母から受け継いでいた。そのうち3匹は母猫と同じ黒い瞳だったが、どういう訳か1匹だけは翡翠の瞳だった。
それを見た賢一と美津子は、翡翠を持って産まれた仔猫を飼いたがった。
飼うとなっては難色を示した両親も二人の必死のお願いにとうとう折れたらしい。
母猫から引き離す際に、抵抗に遭うかと大人は心配したが、臨月から離乳までを世話になった二人には恩を感じていたか、信用に足ると見なされたか、母猫は翡翠の瞳の仔猫をずいぶん早く巣立たせた。
こうして翠は稲守家に迎え入れられ、可愛がられた。この頃の翠は賢一の命名によって『クロスケ』と呼ばれていた。
母猫は生粋の野良であったから、3匹の仔猫達が自立して動けるようになると稲守家を出ていった。
その後、翠は稲守家の当主が賢一になり、そして賢一の息子、惣一が当主になり……と三代に渡って見守り続けた。
もっとも、当主が惣一に代わる頃には一般の猫の寿命は過ぎていたので、賢一の葬儀に紛れて裏山に姿を消していた。
同じ村の若衆に嫁いだ美津子は、稲荷神社にお務めに来たとき、翠が生きて傍に留まっていることを感じていたか、餌を少し置いていった。
しかし、それも美津子が息災の頃まで。しかし、翠は自活したことはないが母から受け継いだ野良のDNAによって生きた。
……途方もない時間を生きた。
大きな道が都会から村へ、村から街へと繋がった。
それに伴い若者は都会へ移住した。
身体の自由の利かなくなった年寄りは、都会に住む家族の元へと去った。
村は過疎地となった。
稲守家は都会に住み、月に一度お務めを果たしに来るようになった。
それは仕方がない。村には人が居ないのだから。土地だけあっても借りるものが居なければ、収入はなかった。
賢一の子孫達は都会へ働くために村を出た。
それから暫くして、村の土地が売られ、村を挟んで都会と街へ繋ぐ鉄道が通ると、駅が造られ、それと同時に大規模な住宅地の開発計画が持ち上がった。
山は削られ、傾斜に沿って住宅地を整備し、山頂にあたる場所には公園が出来た。
小さい稲荷神社は長い年月を経ても残されていた。