もののけたちの夏
異界と現世は鏡を隔てたように存在していた。
人間の世界が夏であれば異界も暑い季節が訪れる。
残暑の厳しい頃合い。
妖狐の里の境界にある紫野のむこうがわ。現世と隠世とを結ぶ霊道は、常にない賑わいをみせていた。
きゅうりの馬に乗って残された家族のもとへ早駆けする霊。よたよたと歩くもの。
そんな様子を鞠を持ったままの格好で眺めるつぶらな瞳が六つ。
「なにあれ」
金茶のフサフサした大きな耳がピコピコ動いた。
「霊がいっぱい……」
濡れたように艶やかな黒い翼がぱたぱたと小さな風をおこす。
「お祭りかなぁ」
銀毛に覆われた大きな耳がピンと立った。
「おれたちも行ってみよう」
「でも結界の向こうはお父様に怒られるよ」
「萩はばかだなぁ。結界から行ったら親父様にバレるだろ。おれにいい考えがある」
小さな妖たちは、鞠を放り出して葛葉殿へと駆けていった。
「ねぇ、怒られるよ」
金茶の耳の狐の仔は、名を萩と言った。
父はお館様の参謀をしていて忙しい。
萩も生まれながらにお館様のご子息である紫苑の遊び相手兼お目付け役のお役目についていた。
だが、気の弱い萩がイタズラ好きの紫苑を諌められたことはついぞない。
「こっち、こっち」
抜き足差し足で葛葉殿の奥座敷の障子の向こうにある異界へと通じる扉に3びきは近付いた。
紫苑が小さな社の扉を開くと、そこには黒々とした闇が拡がっていた。
「これが?」
「なんでこんなの知ってるの紫苑」
「んー? 悪戯がバレて信太郎に追い掛けられて隠れていたときに、偶然、遣い狐の満月と半月が通ってるの見たんだ」
得意そうに耳を立てながら紫苑は胸を張った。
「どこに繋がってるんだろう」
「人間界のどこかだと思うんだけど」
「早くしないと大人に見つかるよ! 行こう!」
紫苑の友達、天狗の仔である八重が、社に頭を突っ込んだ。スポンと八重の姿が闇に消える。
紫苑も社に足をかけた。
「ねぇ、やっぱり止めようよぉ」
萩が震える声で引き留めれば、紫苑が振り向いた。
「行きたくないなら萩はそこにいれば? 親父様には内緒だからな」
「なんで?」
「だってお前はおれのお目付け役なんだろ?ばれたら怒られるのは萩も一緒だぞ」
「ううっ……。萩もいくっ」
紫苑は萩の返事を満足そうな顔で受け止めると手を差し伸べた。
「行くぞっ」
「うん」
長い暗闇のトンネルを3びきは手を繋いで進む。
「萩、八重、怖い?」
「ううん」
萩の瞳が闇に金色に光っていた。普段は臆病な性格の萩は闇夜では目が利く。
「ちょっと怖い……かも」
八重は紫苑の腕にすがった。
3びきがひょっこりとトンネルを抜けると、そこは人間の世界。空は暗いものの、火の灯った提灯がそこここに吊られていて明るい。
そして、3びきが顔を出している古井戸には人気が無いものの、すぐ近くに人間の気配がいくつもあった。
それと抗いがたいいい匂いが3びきの唾液腺を刺激する。
「ふぁあ!!」
感嘆の声をあげたのは八重。
ぐるぐる、きゅーー。
「いい匂い」
「これなんだろうね」
「何してるのかな」
こっそりと古井戸から這い出すと、繁みに紛れて近付いた。
「はい、いらっしゃい!」
「りんごあめ下さい」
「はい、500円。まいど!」
青い甚平を着た人間の子どもが、黒地に赤い牡丹の柄の着物を着た大人と一緒に現れた。赤くて艶々したりんごに棒を刺したものを手に入れ、美味しそうに子どもがかぶり付いた。
「ねえ、あれ。八重も食べたい」
「おれも!」
3びきはそれぞれ耳と尻尾と翼を引っ込め、人間の子どもに化けた。
「おじさーん。りんごあめちょうだい」
「いらっしゃい!500円だよ」
紫苑が人間の大人に声をかけた。
人間の大人は、愛想よく振り向いたかと思うとキョロキョロ辺りを見回した。
「坊っちゃん、お父さんかお母さんは?」
「一緒に来てない」
紫苑が赤くて艶々したりんごの棒を取る。
「500円ね」
「?」
「お金貰ってきてないのかい?」
「おかね?」
「それじゃ、悪いけど売れないな」
人間の大人は紫苑の手からりんごあめを取り上げた。
「なんだ、なんだ! おかねって」
紫苑は地団駄を踏んで悔しがった。
「うーん、なんだろうね」
「あーー、おなかすいた~」
3びきはぐるりと周りを注意深く観察した。すると、分かったことがあった。小さい紅い魚をすくっている子どもも、雲のような綿を手にした子どもも、丸くて美味しそうな匂いのする食べ物を持った子どもも、付き添った人間の大人がピカピカした丸い金属を渡している。
「あれか! あのピカピカを交換に手に入れるんだな!」
手分けしてピカピカを探そうということになった。
人間の足許をうろうろ、繁みに顔を突っ込んで3びきは探す。
高く組まれた櫓の上で太鼓が音頭をとって、人間も霊も楽しそうに踊っていた。
それからしばらくして集った3びきの小さな手のひらにはピカピカが集まった。
宝玉のように丸くてピカピカのもの。ふちがギザギザで模様の描いてあるもの。つるりと平べったくてピカピカしているものなどなど。
3びきは爪の中まで泥だらけにしながら互いの手のひらの上に乗っているものを見て笑顔になった。
「やった! これだけあったら大丈夫だな」
「なに食べよう」
「萩は雲が食べたい」
「いいな!」
「八重も!」
3びきは意気揚々と綿あめの屋台に近付いた。
「甘い匂いの雲下さいっ!」
萩はドキドキしながら人間の大人に声をかけた。手のひらには3びきで集めたピカピカがのっている。
人間の大人は3びきを一通り見回した視線を最後は萩の手のひらの中に向けた。その中から偶然にも拾っていた500円玉を摘まむと、甘い匂いの雲の棒を渡した。そしてピカピカを二枚萩の手のひらにのせた。
「うおっ!? ピカピカが増えたぞ」
「ありがとー」
3びきはお礼を言うと、物影にとって返し雲にかぶり付いた。
「甘ーーい!」
「おいしーー」
3びきが夢中になって食べたのであっという間に甘い雲は無くなった。
「次はあの紅い魚を食べよう」
3びきは意気揚々と金魚すくいの屋台に近付いた。綿あめの屋台と同じように手のひらの中のピカピカを見せたが、人間の大人は紅い魚をわけてはくれなかった。
他の別の食べ物屋さんに行っても同じように追い払われる。最初はぷんすか怒っていた紫苑も次第に元気を失っていった。
「人間の大人はいじわるだな」
「こんなにピカピカあるのにねー」
「八重もう帰りたーい」
3びきはしょんぼりと項垂れた。
その時、見慣れたものたちの絵姿が3びきの目に入った。
「あ、ひとつ目入道のおじさん!」
「唐かさもいる」
「人間の町にも住んでるんだね」
「おとうさんに連絡してもらって迎えに来てもらおうよ」
3びきは仲間の家だと思しき小屋に入っていった。
ちょうどその時、3びきと一緒に人間の親子もそこに入って言ったので、もぎりの人間は妖怪の子どもたちに気が付かなかった。
中は暗くひんやりとしていた。
なにやらごにょごにょと低い声で喋っている声もする。
「なんだここ? 」
「入道のおじさん、どこにいるんだろ」
3びきは紫苑を真ん中に挟んで手を繋いで奥へと進んだ。誰も迎えてくれず、暗くて狭い廊下に次第に心細くなってくる。
ピチョーーン。
ピチョーーン。
水が滴る音に、ビクーーン!!と毛を逆立てた紫苑と萩は、隠していた尻尾と耳が生えた。
暗い廊下を抜けると青い光の空間に、背の高い石がごろごろと置かれている。薄く背の高い木の棒には墨でなにやら書かれている。
「うわぁ!!」
「んぎゃーー!!」
石の間から白い着物を着た人間の大人が飛び出してきた。
八重は思わず悲鳴をあげ、逃げようと翼を出したが、手を繋いでいたので5センチほど浮き上がっただけに終わった。
紫苑と萩は、驚き硬直している。
八重は二人を引っ張り通路を順路に向かって逃げた。
その後も赤い絵の具を付けた人間の大人や、井戸の中から飛び出す人間に3びきは悲鳴をあげて逃げ惑う。
ようやく出会えたと思ったひとつ目入道のおじさんは作り物の張りぼてで、3びきの知る妖ではなかった。
天井に縛りつけられた唐かさを八重が飛んで助けてみれば、これも張りぼて。
河童も、ぬらりひょんも、翠さんによく似た黒猫も全て妖怪ではなかった。
八重はグズグスと泣き出してしまい、紫苑はぐったりとしている。
萩は泣き出したいのを堪えて、二人を引っ張り出口と向かって歩いた。
「ここから出なきゃ、ここから出なきゃ」
やがて外の喧騒が聞こえ、萩は二人を連れて外に出た。
やれやれと息をついていたその時。
「し~お~ん~!!」
「八重!!」
「萩! 心配したんですよ!」
3びきがギクリとして振り向くと、そこには憤怒の顔をしたお館様と八重の父とがいた。その後ろには萩の父もいる。
3びきはそれぞれの父に抱きつき、抱き締められながらわんわん泣いた。
そうして葛葉殿に戻ると、今度はこってり叱られた。
そうして監視つきで3びきが紫野で遊んでいると、前にキュウリの馬に乗っていった霊達が、のろのろと茄子に乗って戻ってきた。
「あの霊たち帰ってきたんだね」
「楽しそうに踊ってたよな」
怖いこともあったけど、楽しかったなぁと思う3びきだった。




