翠たんの旅日記。その二
モグモグモグ……。
焼けた魚は、生とは違った味わいで旨い。
夢中で食べていて、はと気付いた。
さっきの男、何者だろう。
光葉の知り合いだろうか。
光葉は強いからどうでもいいけど、サクラに害をなす輩でなければいいな、と思う。
「……モグ」
仕方ない。自慢のこの脚で一足先に報せてやるか。
男と会わないように、慎重に道を選んで走った。
「白い衣に良い匂いの香を焚き染めた男?」
玄関口でサクラに伝えると、サクラはにっこりと微笑んで言った。
「もういらしているわよ」
ガーーーン!!
驚きのあまり尻尾と耳をピンと立てたあと、しおしおと垂れ下がった。
あんなフラフラ歩いていた奴の方が速いなんて。
サクラに招待されて光葉の庵に入ると、囲炉裏にかかった鍋から美味しそうな匂いがする。 それに、灰に突き刺さる形で、川魚が焼けている。
さっきもたらふく魚を食べたのに、またヨダレが湧いてきた。
走った分だけ腹ペコになったんだ。
その囲炉裏を囲むように二人の男が座っていた。
一人は腰まで艶やかな黒髪を垂らした美貌の男、光葉。 膝には幼女を座らせている。幼女の背には、濡れたような黒い翼が生えていた。
もう一人は、白い衣をふんわりと纏い、紅い唇にうっすらと笑みを浮かべている。
川で出会ったアイツだ。
「噂には聴いていたが、いやしかし驚いたな。ミツハが本当に見鬼の娘を娶るとはな」
「お前がくれると言ったんだろう」
「まあ、そうむくれるな。これでも言祝いでいるのさ」
男は面白そうに笑みながら、光葉の杯を酒で満たした。
「しかしその娘、眷族にするとはな、うまくやったなミツハ」
ククク……と男が笑う。
巧くやっただなんて!
光葉は瀕死のサクラを助ける為に、命を賭けたんだぞ。
「っ! 光葉はなぁ!」
「おや、また会ったな。猫又」
男は、いま気付いたとでも言うように、ニタリと笑った。
ゾクリと背中の毛が騒ぐけど、滑り出した口は止まらない。
「やい! オレにはなぁ、サクラが付けてくれた翠って立派な名前があるんだよ!」
「いけない!」
オレの口を止めるように、光葉が鋭く叫んだけど遅かった。
男はニタリと紅い唇の端を吊り上げた。
「ほう、猫又はスイというのか。嫁ごはサクラか。俺とお前の仲なのに、名前も教えてくれんとは水くさいと思うていたが、ミツハにとってよほど大事な友達と家族なのだな」
男は目を細めた。
何だ、なんだ?
オレ、いけないこと言っちゃったのか?
サクラが困ったように、微笑んで言った。
「光葉がね、真名を名乗るなって言っていたの」
ガーーーン!!
「どうしよ……ご、ごめん、サクラ」
うりゅりゅと目から水が溢れてきた。
「はあっ、はっ、はははっ」
突然男が腹の底から声を出すような声量で、さも可笑しそうに笑い出した。
「真名を呪で縛るには、問答が必要なのさ。以後陰陽師と対峙された折りには気を付けられよ」
何だかよくわからないけど、気を付けるよ。
「サクラ、良かったらこれ食べて」
化け獺からもらった魚を入れた魚籠をサクラに手渡すと、光葉とサクラに声をかけた。
「急に来てごめんな、オレもう行くよ」
「翠、ありがとう。ご飯食べて行けばいいのに」
「ううん、お客さんもいるし、また来るよ」
戸を締める直前、男の口から『葛葉殿』の言葉を聞いた。
なんだアイツ、ギンのお客だったのか。 墓参りとか言ってたな……。
う~ん、狐の匂いがするような、しないような?
香の匂いがキツくて判んないや。
「翠、絶対またご飯食べにきてね」
サクラが寂しそうな表情で言う。
旅をするって言ってないのに、何となく分かっているみたいに。
サクラは金色の鈴に紅い紐を通しただけの首飾りをオレにかけた。
だからオレはニカッと笑ってサクラを安心させるように言った。
「うん、また来るよ。絶対。サクラのくれた鈴、大事にする」
じゃあ、また。
チリンと涼やかな音を鳴らして、またふらりと外へ飛び出した。




