鬼とサクラ。
続編の後のサクラと光葉のお話です。
「サクラ、俺の出掛けている間、決して戸を開けてはいけないよ。言うことを聞かないと、鬼に食べられてしまうからね」
夕刻、光葉はそういうと、サクラの額に小さくキスをして、扉の番人の仕事の為に家を出ていきました。。
仕事に出掛ける光葉を見送るなんて、新婚さんみたいと、サクラは頬を染めした。
新婚さんみたいなのではなくて、新婚さんなのですが、照れてしまうサクラなのでした。
「分かりました。光葉さんも気を付けて」
今日は節分。
立春の前日で、鬼を炒り豆で退治して、一年を健やかに過ごそうと願う日でした。
……人間界では。
異界では、人間界より祓われてきた鬼が、異界の扉を通って避難してくる日なのです。
本来鬼というのは人の心に生まれて棲み付くもの。
光葉の働きによって鬼は、人間界には戻りませんが、一年の間に鬼は人間界でたくさん生まれるのでした。
毎年この時期に大勢の鬼が移住してきて、ここ数年前から異界の鬼の里はちょっとした人口過密状態になっていると光葉はサクラに教えてくれました。
鬼の中には勤勉な働き者もいますが、そういう鬼は大概地獄に出稼ぎに出ているのでした。
節分の日は移住してきたばかりの鬼が、異界のあちこちにうようよいるのでした。追われてきた鬼の中には興奮状態にあるものも多く、本能のままに暴れたりもするので、力の弱いあやかしは屋敷に籠ってこの日を過ごしていました。
「さて。夕ごはんの支度をしようっと」
サクラが囲炉裏に掛けた鍋に湯を沸かし、野菜の入った汁を作り始めました。
ぐつぐつと味噌味に煮たそれは、美味しそうで幸せな匂いが、部屋中に漂っています。
ふいに、木で出来た玄関の戸が、トントントンと叩く音がしました。
「だれ?」
サクラが声を掛けると、返事が返ってきました。
「俺だ。ただいま。戸を開けてくれ」
でもその声は、しゃがれていて、光葉のものとは思えませんでした。
「うちの人はそんなしゃがれた声をしていませんもの。お引き取りください」
サクラはその何者かを追い返しました。
しばらくすると、また戸をトントントントンと叩く音がしました。
「だれ?」
サクラは尋ねました。
「俺だ。ただいま。戸を開けてくれ」
声は光葉のそれによく似て、涼やかで、甘い響きのあるテノールです。
サクラは木で出来た戸のふしの穴から外を覗いて見ました。ふしはサクラの脛の高さにありました。
すると、戸の外にいたあやかしの着物の裾から二本の脚が突き出ていて、その足には脛毛がモジャモジャと生えていました。
「うちの人はそんなモジャモジャとたくさんの脛毛は生えておりません。お引き取りください」
サクラがそう言うと、モジャモジャ脛毛の脚は去っていきました。
しばらくすると、また戸をトントン、トントン、トントンと叩く音がしました。
「だれ?」
「俺だよ! 開けて!!」
次は、男の子の可愛らしい声がしました。
ふしから覗いてみると、黒いパンツの裾から出ている健康的な脚はつるつるで、細い子どものものでした。
「翠?」
サクラが思わず名前を出すと、戸の外にいる少年は、ニタリとほくそ笑んで言います。
「そうだよ。スイだよ。だから開けて」
「うん。ちょっと待ってね」
サクラがそう答えて、戸を開けようとしたその時、「開けるな!!」と、鋭い光葉の声がして、サクラの動きを止めました。
サクラはビクリと震えてその手を止めました。
そして、外の音に耳を澄ませます。
光葉の風を斬るような音がして、小さい子どものような脚は、駆けて去っていきました。
サクラは怖くなって、戸の前に立ち尽くしていました。
やがて、光葉が自ら戸を開けて入ってきました。
光葉は、小さく震えているサクラを抱き締めると、宥めるように背中を擦りました。
「サクラが無事で良かった」
光葉は呟きました。
「翠は……?」
「あれは鬼だ、サクラ」
「え……でも。翠にそっくりだったのに」
「悪鬼は自分から戸を開けて入ることは出来ない。だから、サクラに開けさせようとしただろう?」
そういえばそうだったかも知れないと、サクラは思いました。
光葉に守られてばかりではなく、自分でも身を守れる様になりたいとサクラは強く思うのでした。




