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異界の扉  作者: 紅葉
続・異界の扉
33/47

4 サクラ、生まれ変わりました。

 ボタボタっと鮮血が光葉の腕から滴り落ちる。


「くっ……」


 光葉は痛みを堪え、その端正な美貌を歪めていた。


 滴る血は、サクラの顔を汚したが、思うようには口には入っていかない。光葉は自らの血を口に含むと、サクラの薄く開いた唇に重ねた。

 本来、血液は嘔吐を誘うものではあるが、意識のないサクラの喉にゆっくりと滑りこむ。

 光葉は何度もそうやって自らの血を、サクラに分け与えた。


 口腔の粘膜、食道、胃の腑と落ちていく過程で、吸収された光葉の妖力はサクラにゆっくりと滲みこんでいく――。

 それは、サクラの細胞の隅々まで滲み渡り、サクラのDNAを書き替えていた。

 失血し、生気を失っていたサクラの細胞に活力の火が灯る。

 異常な早さでそれは、サクラの背中の傷を修復し、血液を補充していた。



 やがて、白っぽく血色を失っていたサクラの唇に、僅かに赤みが差してきた。依然として、意識は失ったままだが、背中の出血もいつのころからか止まっていた。


「光葉、もうサクラちゃんは大丈夫よ。ちゃんとした傷の手当てをしてあげないと。一度うちへ戻りましょう」


 ギンが、光葉に声を掛けた。


「ああ……良かった」


 力なく微笑むと、光葉は片袖を引き千切り、歯でそれを割いて帯状にすると乱暴な手付きで、血が流れ出ている腕にそれを巻いた。

 そして、サクラのひざ裏と脇の下に腕を差し込み、腕の痛みに顔を歪ませながらも、サクラを抱き上げた。


 ギンはちらりと横目でそこに両手をついて項垂れているハクガを見た。


「……ねぇ、ハクガ。貴方の妹のナギちゃんは、光葉に殺されてはいないのよ」


 その言葉を聞いて、ハクガはゆっくりと頭を上げた。そして、ゆっくりとギン、光葉と視線を巡らせた。


「なん……だと……?」

「ナギちゃんは人間に恋をして、人間界に渡ったわ。光葉を恨むのは……見当違いなのよ。本当のことを言わなかったという点では、光葉は恨まれても仕方がないけれど」

「……ナギ殿は、異界に連れ戻されることを望んではいなかった」

「ナギちゃんは自分の意思で人間界に渡った。光葉はそれを知って、門番の権限で追放という形を取ったのよ。その後、ナギちゃんが幸せだったかは知らない。だけど、彼女が自分でそれを望んだのよ。その頃から、ほんっとうに光葉は女の子に甘いのよね~。ナギちゃんとイイコトはちゃっかりしていた事実をサクラちゃんにばらしてやろうかしら♪」

「おい! なんでそんなことまで知っている? 俺はお前に話した事ないぞ」


 ギンは得意げに柳眉をピンと跳ね上げた。


「妖狐の情報網なめんじゃないわよ♪ うふふ」


 光葉は苦虫を噛み潰したような顔をしてギンを見つめた。


「なぁなぁ、ギンちに帰らないのか? サクラを早く寝かせてやろうよ」


 翠が口を挟む。


「そうだな。ハクガ殿はこれからどうする」

「!! 赦して貰えるのか……」

「そうだな……ミツバ山の山神としてハクガに命じる。伯賀川の水神として、人間界の安寧を見守り、川守の役目を全うせよ」

「……この度の事は本当にすまなかった。命に懸けて役目を全うするよ」


「ここには、サクラの両親や友達がいるもんな」

「光葉ったら、どこまでいっても、サクラちゃん中心よね~♪」

「うるさい」


 茶々を入れるふたりを促して、サクラを抱えながら葛葉殿へと戻ることにした。




「なぁなぁ、キツネ穴にどうやってサクラを通す?」


 稲荷神社の古井戸の前で、翠が問う。


「そうねぇ、こちら側からは大丈夫として、向こうじゃ絶対詰まるわよね」


 ギンと翠は光葉に抱かれて、ぐったりとしているサクラを見た。

 光葉はそれに応えるように小さく微笑んだ。


「サクラは俺の眷属になったといったろう」


 そう言うと、光葉は口の中で短く呪を唱えた。

 すると、サクラの身体が縮み、小さなカラスの雛に変化したのだ。それは光葉の片手にちょこんと乗った。


「天狗としてのサクラは、まだ生まれたてだということだ」

「それ、ちゃんとサクラちゃんには説明しなさいよね」

「ああ……分かっている」


 一足先に猫に戻った翠が、雛になったサクラをじっと見る。


「翠……喰うなよ」


 光葉が思わず顰め面になって、警告した。


「喰う訳ないだろ!!」

「何処から見ても、『雛を狙う猫』よねぇ」

「狐に言われたくないや!!」

 

 翠が狐に変化したギンにじゃれかかる。


「いくぞ!」


 鴉に変化した光葉は、嘴にそっと雛になったサクラを挟んで、古井戸に飛び込んだ。



* * * * *


「う……ん」

「サクラの意識が戻った!!」


 枕元でサクラを見守っていた翠が、耳としっぽをピョコンと立てて喜んだ。


「サクラ、サクラ! 気分はどう?」

「……うん。まだ少し頭がクラクラするけど、大丈夫。私……イタッ」


 上半身を起こそうとして、サクラは背中が引き攣るように痛むのに気付いた。


「サクラ、もう少し寝ていて。 ここは安全だから」

「ねぇ、翠。ここは何処なの? ハクガさんは大丈夫だったの? 光葉さんは?」

「順番に説明するよ。ここは、ギンの家だよ。サクラが庇ったからハクガは無傷……て事も無いか。俺が引っ掻いちゃったから。でも、死んでないよ。サクラには済まなかったって謝っていた。まさか、攫ってきたサクラに庇われると思わなかったみたいでさ、サクラが気絶した後、ギンから本当はハクガの妹は光葉に殺されてないって聞いて、今回の事をとても反省していた」

「そうなの……。無事で良かった。それで光葉は?」


 翠は辛そうな表情をして、少し話にくそうに言葉を紡いだ。


「光葉は……サクラが死にそうになっているのを助けようとして……」


 翠はサクラが危篤状態になった時を思い出して、ショボンと俯きくすんと鼻を啜った。

 耳も、しっぽもペタンと力なく垂れている。


「サクラにいっぱい血をあげるために……自分の身体に刀を……」

「え? どういうこと……光葉さんは無事なの?」


 サクラは蒼褪めた。

 光葉さんが……、え? 死んでないよね?

 私に血を与えて、死んじゃったりしてないよね?


「光葉は……今、この隣の座敷に寝かされてるよ」

「光葉さ……んっ!!」


 サクラは痛む背中など気にしていられないとばかりに、布団を跳ね上げ、身体を起こした。そして、随分長く昏睡していたための脳貧血でふらふらとした足つきながらも、廊下に出る障子をカラリと開けた。

 廊下を少し歩いて、柱を挟んですぐの障子を開け室内に駆けこんだ。

 部屋の中に声を掛けるとか、そういうことはサクラの頭の中からすっぱ抜けていた。


「サクラ……」


 顔色は良くないものの、布団の上で上半身を起こしていた光葉と目が合った。

 てっきり意識が無いか、最悪死体が寝かされているのかと思いこんだサクラは、安心してへにゃへにゃと光葉の床の傍で座り込んでしまった。


「光葉さん……良かった」

「サクラも意識が戻ったんだな。良かったっ!!」


 光葉がサクラを抱き寄せた。サクラは、光葉の腕に巻かれた白い包帯が目に入った。

 心配そうな目で光葉を見上げると、光葉は愛しそうにサクラを見詰める。

 光葉が目配せすると、室内にいたギンがそっと部屋を後にした。


「サクラ、お主に話しておかなければいけないことがある」

「うん。なに?」


 光葉は真剣な表情で話し出した。


「ハクガ殿が起こした大水……あれに巻き込まれたサクラの学友達は……皆死んだ」


 サクラは一瞬気が遠くなるような気がした。

 そりゃあ、好きにはなれない人達だったけれど、死んだと聞かされてはショックだった。

 それでも、あの激流に自らも巻き込まれたサクラには……その不幸な知らせが腑に落ちた。

 光葉が嘘を言っているとは思えなかった。


「そして、サクラ……お主も人間界では死んだことになっている。あれからひと月、サクラは昏睡したままだった。その内に死体のあがらなかったサクラも生存はほぼ絶望的だと……」


 サクラは心配させた家族を思うと、胸が苦しくなって、すぐにでも家に帰り、ここにいるよと叫びたい気持ちになった。


「そして、俺の刀傷によって重傷を負ったサクラを助ける為に……俺の血を飲ませた。サクラはもうヒトではなくなってしまった。助けるためとは言え……本当に済まなかった」


 俄かには信じられず、サクラはキョトンとなった。


「こんな姿にしてしまって、申し訳なかった。しかし、俺にはサクラを失うことが出来なかった。助けられるならどういう形になってでもと、勝手な事をしてしまって、本当になんとお詫びを言っていいものか……。責任は取る。一生かかってでもサクラを……」

「ちょっと、待って下さい。こんな姿とか、ヒトじゃないとか、どういう意味なんですか。えっと、つまり?」


 光葉はサクラを引き寄せると、物も言わず、いきなりサクラの着ていた浴衣の袷をぐっと左右にくつろげた。サクラの肩甲骨までの肌が露出してしまう。


「きゃっ!!」


 サクラはいきなりの光葉の行動に顔を真っ赤にして悲鳴を上げ手で胸の前を隠した。

 でも、光葉はそれ以上、サクラの柔肌に触れるようなそぶりは見せなかった。


「サクラ、後ろの姿見を振り返ってくれ」


 サクラが光葉の言葉の通りに振り返ると、そこには細長い鏡があった。

 そこには、肩甲骨まで露わにしたサクラの後ろ姿と、その向こうに正面を向いた光葉が映し出されている。

 

「!!」


 サクラの肩甲骨の辺りに赤子の掌くらいの黒い羽が生えていた。

 意識をすれば、それはパタパタと小さく動く。まるで生まれたての雛の羽の様だ。

 ヒトではなくなったという言葉の意味が、サクラの中にストンと落ちた。


「すまない。俺の血を飲んだサクラは、俺の眷属になってしまった。つまり……その、天狗になったということだ。一生お主の面倒はこの俺が責任を持つから」


 サクラは何故か愉快な気持ちになってきて、ふふふっと笑いだした。

 なんだ、光葉さんとお揃いか、と思うと喜びさえこみ上げてきた。

 済まなそうに謝罪の言葉を紡ぐ光葉の言葉を遮ってサクラは言った。

 

「私は光葉さんが好きです。ずっと迎えに来てくれるのを待ってました。お詫びとか、責任とかじゃなくて、私の欲しい言葉……分かりますか」


 少し驚いたような表情を見せたが、サクラの言いたいことが伝わったのか、光葉の瞳に温かい感情の色が混じる。



「……迎えに来た。俺の嫁になれ、サクラ」

「はいっ!」


 光葉が差し出した手を無視して、サクラは光葉の胸に飛び込む。

 胸に飛び込んできたサクラを光葉はそっと愛おしげに抱きしめた。


(完)


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