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異界の扉  作者: 紅葉
続・異界の扉
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2 サクラ、攫われました。

 その頃、異界では光葉がサクラの身に起こった事を千里眼で察知していた。

 見知らぬ男に肩を抱かれそうになったときは、ザワリと心が騒いだ。しかし、光葉には何も出来なかった。幸い、サクラの方から距離を取ったのを見て、光葉はホッと胸を撫で下ろしたのだった。

 その後、なにやら寂しげな様子で、山の中に入って行くサクラを知って、サクラに寄り添い慰めてやりたい焦燥にかられた。

 だがしかし、異界と人間界を繋ぐ扉が開かなくては自由に人間界へは行けない。時刻はまだ逢魔ヶ刻には早すぎた。

 苦しい思いでサクラを見守っていると、突然サクラ達のいる河原で鉄砲水が発生し、全てを呑みこんだ。この川の上流にはダムはない。雨は降ったが、突然水位が上がるような豪雨でもなかった。

 突然の大水に呑みこまれた人間は、水流に肺を押され空気を強制的に吐き出させられてしまう。苦しくなって息をしようとするが、天も地も無く流され、肺にまで水が浸入し死に至る……。サクラも、他の人間も絶望的だと思った時、サクラが見知らぬ男に抱き上げられ、川から浮かんできた。男は文字通り、未だ大水が狂ったように流れる川の上に浮かんでいた。

 ちらっと見えた限りでは、サクラはぐったりとしてはいたが、生きているようだった。


「あの男……水神(蛇)か」


 男は、サクラを抱き上げたまま、滑るように上流へと遡って行った。

光葉はサクラがどこに連れ去られたか千里眼で見ようとしたが、霞がかかって知る事はできなかった。


「結界の中に連れ去られたか……」


 光葉は奥歯をギリギリさせて苛立ったが、どうすることも出来ない。

 その時、いにしえの友が酔って漏らした言葉を思い出した。


「そうだ!」


 光葉は一縷の望みをかけてギンの屋敷へと急いだ。



* * * * *



「ギン! 『キツネ穴』を使わせてくれ!!」


 光葉は文字通り、ギンの屋敷に飛び込み、開口一番にギンにそう頼み込んだ。


「サクラが、水神のハクガ殿に連れ去られた!!」


 ギンは相変わらずおっとりとした表情のまま、のんびりと返事をした。

 その態度に光葉がさらにイラついてくるのを分かった上でだ。


「あらあら、それは大変ねぇ~。因果応報というやつかしらぁ~光葉?」


 光葉がグゥっと言葉に詰まった。


「ああそうだ。あいつは俺を恨んでいる。だから、サクラが危ないんだ、頼む。キツネ穴を使わせてくれ」


 ギンは弧を描いた唇を光葉に見られない様に扇で隠しながら、のんびりと言った。


「いいけどぉ。うちに人間界に繋がる穴があるってよく知っていたわね」

「……晴明に聞いた事がある」

「あらそ。あんまり私用で通ると稲荷神様に怒られちゃうのよねぇ~。それに、御遣いキツネ専用の抜け穴だから、光葉に通れるかしらねぇ~」


 ギンはちらりと図体の大きい光葉の身体を見遣った。

 光葉は畳に額を擦りつけんばかりに頭を下げていた。それを見て、ギンはクスリと忍び笑いを漏らした。


「ああもう。光葉は本当にサクラちゃんの事が大好きなんだから……。いいわ。稲荷神様には怒られてあ・げ・る♪ 通りなさいな」


 ギンが奥の間へと光葉を案内した。

 

「これが……?」


 光葉はギンが指し示す穴を見て、驚きの声を上げた。

 ギンは、奥の間に光葉を案内した後、中庭に面した障子を開けた。そこは奥の間からしか行けない造りになっている中庭だった。

 その中庭の中央には朱塗りが鮮やかな小さな社殿があった。

 ギンが社殿の小さな扉を開けると、そこには人間の赤子の頭が入るかどうかという大きさの空間の歪みがあった。

 光葉には見慣れた異界の扉である。


「さあさ、どうぞ」

「ギン、感謝する」


 ギンの予想に反して光葉は短い呪を唱えると、その姿を変化させた。

 からすに変化した光葉は、短くギンに礼を述べると弾丸の様に迷いなく、その歪みへと頭から突っ込んで行った。


「ギンー。サクラの危機だって? 俺も行って良いか?」


 その声に振り返ると、ちょうど遊びに来ていた翠が、奥の間の濡れ縁に立っていた。

 ギンはひとつ嘆息する。


「翠が行くなら、あたしも行くわ」

「オレ一人で大丈夫だ」

「行き先も知らないでしょ」

「うっ!!」

 さっきまで勇ましく立っていた翠の耳としっぽが垂れた。

「さ、行くわよ」

 銀色のキツネに変化したギンが翠に声を掛けた。


「おう!」


 翠もまた子猫に戻り、2匹は光葉の後を追うように空間の歪みを通り抜けた。


「……お館様ご無事で」


 傍に控えていた信太郎が、そっと社殿の扉を閉じた。



* * * * *



 光葉がギンの屋敷にあった異界の扉を抜けると、ミツバニュータウンの外れにある稲荷神社の鎮守の杜の中にひっそりとある古井戸から出てきた。

 光葉は、ミツバ山に沿うように流れる伯竜川の上流に向かって、鴉の姿のまま全速力で飛んだ。

 

「サクラ、どうか無事で……!!」



 光葉は祈るような気持ちで飛びながらも、過去を思い出していた。

 それは、700年程前――。


 晴明との契約で人間を捕らえて喰らうのをやめた光葉は、晴明が没するまで彼の屋敷に出向いては、一緒に酒を飲むのを楽しみにしていた。だが、いくら妖狐と人間の子で力のある陰陽師といえど太陽と月の力には抗えなかった。

 ついに病床についた晴明は光葉に言った。「術者が死ねば、契約は切れる」と。

 しかし、光葉はこれからも扉の番人を続け、人は食わないと約束したのだった。

 清明は、「馬鹿なやつだ」と笑いながらも、安心したように息を引き取った。


 その後、光葉の住まいに一人の女が訪ねてきた。名をナギと言った。

 彼女は化け蛇の一族だったが、人間界では時に水神として崇められていた。

 彼女は光葉に頼んだ。


「光葉さま……。わらわは貴方様をお慕いしております。どうか妻にしてくださりませ」


 だが、光葉は……飢えていた。

 晴明が没した後の寂しさを癒すかのように強引にナギと交わった後、光葉はナギを喰ってしまおうとした。光葉にとっては、あやかしを妻に娶る気は無かったからである。

 ナギの白い肌に牙を突き立てようとしたとき、ナギの頬はキラリと光る物でぐっしょりと濡れていた。


「何故泣く。そなたこの俺を慕ってここまで来たというのは嘘だろう」


 ナギは瞠目して驚いた。しかし、抱かれている間も心ここにあらずで、はらはらと泣いている女に光葉が気付かない訳がない。


「実は……」

 

 ナギは心の内を光葉に話して聞かせた。

 白蛇の姿で人間に捕まったとき、彦五郎に助けて貰ったこと。その後、兄と一緒に異界に身を寄せることになったが、彦五郎の事が忘れられないこと。

 ヒトに嫁ぐことを兄が許さないこと。


「それで、なぜ俺の所にきた」

「光葉さまに食われて、人に生まれ変わりたいと……」

「嘘だな。お前は2度も俺に嘘を吐いた。その御身この光葉が貰い受ける。かような罰も甘んじて受けよ」

「はい……」


 光葉は異界から追放だと、理屈をつけてナギを人間界に送りだした。

 その後ナギを探して辿り着いた化け蛇の一族の者には、食ってやったと返事して――。


* * * * *


 僅かに湿った苔の上にサクラは横たえられていた。


 意識は取り戻していたが、身体は何らかの術がかけられているようで、指ひとつ動かせないでいた。動かせるものは、眼球それだけだった。

 ハクガはそんなサクラを面白そうに眺め、髪や頬を時々撫でながら、光葉に対する恨みごとをサクラに聞かせていた。


「我が妹、ナギは水神の仕事を放り出し、長老の言う事も聞かず光葉の許へ行ったのだよ。

何が良くてあんなカラス男を好きになったのか知らないが、ナギは行ってしまった。それでも幸せに暮らしているならいいさ。だがな、光葉はナギにどうしたと思う?」


 返答しようにもサクラは、舌先さえも動かせない。

 ハクガも返答など期待していなかった。ただ、自分の言葉に酔っているように、僅かに唇に頬笑みを乗せ、男としては美しすぎる顔を醜く歪ませて続きを語る。


「ナギはなぁ、光葉に犯されたよ。犯されながら食われたのさ。人間は食わないとか綺麗ごとを言っているようだがなぁ、奴はあやかしは食うのだよ。カラスだものなぁ、蛇を喰うよなぁ……はははっ」


 ハクガは喉だけで引き攣るような笑い声を上げると、ひたとサクラをその狂った瞳で見詰めた。その笑い声は泣いているようだとサクラは思った。


「あいつが大事にしているお前をナギがされたようにしてやったら、あいつはどう思うだろうなぁ」


 ハクガはちろりとサクラの頬を舐め上げた。

 サクラは表情を変える事は出来なかったが、ぞっと全身が粟立った。


「まだだ。あいつが来てからでなければ、復讐にはならんよなぁ」


 ハクガは時々、水溜りの中を覗いては、にやにやと笑っていた。そこに何が映っているのか、サクラはうすうす感づいていた。それはおそらく水鏡になっていて、サクラを助けんとする光葉の姿が映っているに違いない。


(光葉さんっ! 助けて! でも、来ないで! ああっ、どうしよう)



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