ギンちゃん人間界にくる 【前編】
26話「サクラ帰還」本編終了後の後日談です。
「本当にこんなので連絡が着くのかな」
サクラは古びた稲荷神社の本殿を見上げた。
サクラが異界から戻ったのは、数日前――。
異界の扉をくぐり抜けて、着いたのはミツバ公園。サクラが翠と共に異界に行く前にいたあの公園だった。
繋いだ手を解いて、翠はサクラに向き合った。
「サクラ、危険な目に合わせてごめん。サクラとこの公園で過ごした楽しかった時間、忘れないよ。元気でね。また……もし……異界に来る事があったら、猫又の里にいるから逢いに来て。……って、そんなこと、あるわけないか。じゃあね」
緑色の大きな瞳が、うるっと揺れた。
翠は手を振りながら、再び空間の歪みの中に飛び込んだ。
「帰っちゃった……。怖い事もあったけど、楽しかったよ。ありがとう、翠」
サクラは翠が消えた後、直ぐに霧散してしまった扉のあった場所に向かって呟いた。
胸には、きらりと光る緑色と赤い妖石。この数日間の事が現実だったという証拠。
「神隠しにあったとか、異界に飛ばされていたなんて言っても、お母さんたち信じてくれないよね……どうしようかな」
独り言を言いながら、サクラは家路を急いだ。
「ただいまー」
家に着き、いつものように家の中に向かって声を掛けると、憔悴した様子の両親がサクラを迎えた。
警察にも届け出られて、友人たちの家にもサクラが行っていないか確認されて、それはそれは大騒ぎになっていた。無事帰って来たのを両親は手放しで喜び、事情を聞こうとした。
(誰か友達の家に行ってたって嘘はつけなさそう……どうしよう~)
サクラは嘘がつけない……仕方なく、両親にだけ本当の事を話した。
「ああっ!! かわいそうに! 事故か何かにあって、記憶が混乱しているのね!!」
両親の反応は全くサクラの言い分を信じていない。
(ま、そんなものだよね)
両親の知恵により、少々苦しいが、ふと思い立って遠く離れて住むおばあちゃんの家に行こうとして、迷ってしまったことにされた。
(雪乃様もおばあちゃんって言えばそうか。妖怪だけど)
かくして、サクラに日常が戻ってきた。
日常が穏やかに戻ってきたある日曜日、サクラは住宅街の外れにひっそりと佇む稲荷神社にやって来た。ギンとの約束を果たす為に。
鎮守の森に入ると、朱色の鳥居と長い石段、赤い灯篭がサクラを迎えた。
石段を上がると、一対の石造りのキツネの像が出迎える。
サクラは本殿の前に立つと、拍手を打った。
「ギンさん、お待たせしました。出てこられますか?」
「サクラちゃん、こっち、こっち。そっちは稲荷の神様の神殿よ~♪」
聞き慣れた返事が背後から聞こえる。
サクラがくるりと振り返ると、そこには長身の男の人が立っていた。
髪の色は黒色になっていて、いつもの艶やかな着物姿はメンズファッション誌から飛び出たような、いまどきの格好になっていたけれど……ギンさんだ。
「おひとり……ですか?」
「そうよ~♪ 光葉が一緒じゃなくてごめんなさいね~」
うふふ、とギンの紅い唇が弧を描いて笑う。
「あ……いえ。そういうわけじゃなくて、ごめんなさい」
「いいのよぉ♪」
(普通にカッコイイ……かも)
「ギンさん、それで……行ってみたいところって、どこですか?」
ギンはにんまり笑うと、「これこれ」と一冊の雑誌を取りだした。
それは、隔週発行の無料ローカル雑誌だった。ギンの持っている号の特集は、『わが町の美味探訪~食べ放題からおめかしディナーまで88店舗を網羅!!』と書いている。
「これこれ」
ギンがページを開いて、サクラに見せたものは駅前商店街の中に入っている稲荷寿司専門店の広告。
『稲荷寿司30分食べ放題』
(やっぱり、キツネって油揚げ好きなんだ……)
神社を出て、バスに乗り駅前に出る。
バスに乗った事が無いギンは、キョロキョロと興味深げにバスの中や車窓を眺める。
「これは、なに?」
ギンが椅子の背もたれに付いているボタンを押そうとする。
サクラは慌ててそれを止めた。
「ギンさん、ダメです。それは次のバス停で降りる意思表示のためのお知らせボタンなので、まだ押さないでください」
「ふうん」
ギンが舐めるようにボタンを眺めていると、誰かが次のバス停で降りるのか、ボタンが突如ピカッと光り、ピンポーンと鳴る。ビクッとギンの肩が小さく竦んだ。
「あー、びっくりした……」
「ふふっ、ギンさん子どもみたい。あはは」
二人はバスを降りて、ギンに急かされるように商店街の目的のお店に向かった。
稲荷寿司専門店『稲荷御殿』には、様々な稲荷寿司が並べられていた。
普通の稲荷寿司、黒砂糖を使ったもの、中に詰めてあるご飯のバラエティも様々。
わらび餅と、きな粉プリンのデザートも置かれていた。
それらを見るにつけ、ギンの口元からはよだれが今にも流れそうである。
二人分の料金を払い、席に案内されたあと、木で作られたお皿を持って、稲荷寿司を取りに行く、バイキング形式なお店だった。
「サクラちゃん、行くわよ~♪」
「はいっ」
サクラとギンは、銘々の皿にそれを盛り付けていく。
「ギンさん、そんなに食べるんですか?」
先に席に戻っていたサクラが、ギンの皿を見て驚いた。稲荷寿司が山のように積まれているからである。
「いっただきま~す♪」
礼儀正しく手を合わせたキツネは幸せそうに、山と積まれた稲荷寿司を頬張った。
しかもお代りをして、さらにデザートも平らげると、食後の熱いほうじ茶を啜り、ギンは幸せそうに目を細めた。
「ギンさんの行ってみたいところって、ここだったんですか?」
大層に約束させられるものだから、なんだか拍子抜けしたように、サクラは尋ねた。
「まだまだ♪ 次は『イケメンボーイズ』のコンサート行くわよぉ~♪」
イケメンボーイズとは、その名の通り色んなタイプイケメンが集まった人気男性アイドルグループのことである。ちょうど今、コンサートツアーで全国を回っていて、今日は確かに近隣の大都市に来ているそうだが……。
「私、チケット持ってませんよ」
「大丈夫! チケット持ってるから。もちろん、サクラちゃんの分もね」
ギンはパチンとウインクした。




