閑話 光葉と異界の扉と陰陽師
光葉がヤンチャしていた頃のお話です。
昔々、鬼より怖いと、鬼に恐れられていた人間が居た。
その名は、阿倍晴明。
陰陽師である。
帝のおわす御所の鬼門に屋敷を構え、一条戻り橋に鬼を飼い、使役していた。
この時代は闇が深く、人間ともののけが共存していた。
共存していたといっても、仲良くしていたわけではない。陽の当たる所と闇を棲み分けていただけである。
人間はもののけを信じていたし、夕暮れの逢魔が刻には、もののけが闊歩する四ツ辻へは子どもを外には出さなかったし、夜陰に出歩くものは、もののけ以外には夜盗か色を求める貴族くらいのものだった。
その者たちは、時おり朝陽に冷たい骸を晒して見つかる。
骸は一部であったり、血を全て抜かれていたり、腸だけがないものもあった……。
その頃、つむじ風と共に子どもが突然姿を消す『神隠し』が市井の人の噂になっていた。
それは、貴族の屋敷に勤める下男や下女に伝わり、それが従者や女房の知るところになると、やがて貴族の耳にも入るようになった。
その噂とは……。
『天狗が山から降りてきて子どもを拐って行くんだとさ』
『拐われた子どもは、天狗にバリバリと喰われて骨も残らないらしい』
『天狗が好む子どもは見目麗しい童女だとよ』
……というものだった。
さて、御所に程近い貴族の屋敷に、5歳になる見目麗しい童女がいた。
関白として時の権力を欲しいままにしている藤原家の流れを汲む家で、兼近の五女、靖子である。
靖子は兼近が歳を取ってから得た子どもで、目に入れても痛くない程の溺愛ぶりである。
そんな兼近が天狗の噂を聞き付け、安倍晴明に天狗討伐を依頼した。
可愛い我が子の為に……。
最初、晴明はその依頼に乗り気では無かった。
しかし、裏から手を回され、畏れ多くも帝から依頼を賜ったのであれば、断る事は出来なかった。
『晴明よ。市井を脅かす天狗の噂の真偽を突き止め、朕を安心させたもう』……上手く言わせたもんだ。
悪態を吐きつつ、天狗が出るという山を登る。
アケビが蔓を伸ばして木に絡み付いている。
鹿の皮をなめした靴の底で、小枝がポキポキ折れている音がした。
手には酒をぶら下げ、懐には杯が入っている。
「陰陽師よ。何しにきた」
頭上から声がした。
細い木の枝に、長い黒髪の美しい青年が座っている。
随分高いところの枝であるし、人間の体重を支えられるような太さの枝でもない。
もののけなのは、言わずと知れた。
「やあ。お前が天狗か」
「そうだ」
「良いところで逢った。一緒に酒を呑まないか」
晴明は手に持った酒を天狗に見えるよう持ち上げた。
「良いな。しばし待たれよ」
天狗がフワリと晴明の前に降り立った。
それから晴明は天狗と酒を酌み交わした。
「うまい。良い酒だ」
天狗は上機嫌で、晴明の杯が干されると注ぎ、そして晴明に注がれた。
「ところでお主、名前は何という」
晴明は尋ねた。
天狗はニヤリと嗤った。
「当ててみよ、陰陽師」
そうくるか、と晴明は鼻を鳴らした。
「そうだな、当てたら俺と契約するか」
と晴明は言った。
「では、当てられなければお主を喰うぞ、陰陽師」
と、天狗はニヤリとした。
「お主の名は……太郎坊か」
「いや、違う」
「では、嵯峨丸か」
「いいや、違うぞ、陰陽師。次間違えたら喰うぞ」
天狗は益々ニヤニヤと笑う。
「ふむ。では、ミツハ。ミツハはどうだ」
「……正解だ。よく判ったな」
「来る途中でアケビを見た。ミツハアケビだ」
「そうか。偶然とは言え、約束だ。何をお主は望む」
「そうさな。先ずはヒトを喰らうのを止めて貰いたい。お主は何故ヒトを喰らう」
「ハハッ。異界の者がヒトを喰らうのに食事以外の意味があるとでも? 」
「……お主はそれだけでは無かろう? 話せミツハ」
「グゥ……。真名を握られては逆らえぬな。……嫁を探しておったのよ。見鬼の才を持つ清らかな娘を」
晴明の柳眉がピンとはね上がった。
「それで、年端も行かぬ幼子を拐った訳は」
「いきなり適齢の娘を捕まえても失神してばかりでは使い物にならんゆえな」
「光源氏の様に育てて娶る気であったか。して、拐ってきた童女達は……」
「どれも才が無かったので、喰った」
ペロリと紅い舌で唇を舐めた。濡れた紅い唇が艶かしい。
「まあ、そうであろうと思った」
ヒトを喰らったと聞いても驚きも怯えもせず、飄々として酒を酌み交わすこの男を面白いとミツハは気に入った。
「他の物は喰えんという訳では無かろう? 」
「そうだな」
「では、ヒトを喰らうのを止めて、毎月俺の屋敷に酒を呑みに来い」
「いいのか」
「構わん。そして、もうひとつ契約をするなら嫁を紹介してやる」
「俺の好みはなかなかに難しいぞ」
ニヤニヤとミツハが面白そうに陰陽師を眺めた。
「異界の扉を1つにする。今の様に扉がこう多くては、ヒトの世に異形の者がおこす事件が多くて、その度にやれ浄化だ調伏だと俺が面倒くさい」
「ハハッ。陰陽師も大変だな」
「そこでミツハに扉の番人を命ずる」
「いきなり命令かよ」
ミツハは呆れたように陰陽師を見つめた。
「異形が異界に移り住むのは構わんが、ヒトの世に出る異形を制限してくれればいい」
「完全に排除しなくて良いのか? 」
「息抜きも必要であろう? 」
ニヤリと陰陽師が嗤う。
「ヒトとは思えんな」
ミツハは苦笑した。
「それで、嫁はいつ紹介してくれる? 」
「俺の母親は葛葉姫という妖狐だ。よって、俺の子孫にいずれ見鬼の才を持つ姫も産まれるであろう。その子をお主にやろう」
「子孫って、いつまで待たす気だよ……」
「ククク。構わんではないか、愛しい者を待つ時間は格別だ」
「その子は俺を愛してくれるだろうか……」
「それはお主の努力次第だな」
陰陽師は話は終わったとばかりに、持っていた杯をぐいっと干して、山を降りていった。
光葉は、拾ってきた少女の安らかに眠る寝顔を眺める。
少女からは確かに、見鬼の才を感じる。
猫又を視認し、異界の扉を見たのだからーー。
読んで下さってありがとうございます。
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驚きました。
本編が気になるところで終わってますが、書きたくて仕方なかった光葉の過去……。
お祝いにかこつけて、投稿しました。
楽しんで頂けたら幸いです。




