覚めればそこは異界でした
サクラと翠は、夕焼け空の中を落下していった。
仔猫を激突の衝撃から守りたい。
落下中にも関わらず、サクラはそう考えた。
地表までの距離が意外にあったからだろうか。
サクラは空中をもがきながら仔猫を手繰りよせ、渾身の力で胸の中に抱きかかえたが、冷静に見えて、実はかなりの恐慌状態にあったに違いない。サクラの意識はそこでふつりと途切れた。
腕の力が抜けた胸元から仔猫がぴょんと飛び出した。
サクラが地面に叩きつけられる、その刹那。
バサリ。
黒い影が少女を抱えて落下の衝撃から救い、大きな翼を広げて夕焼け空を飛んでいった。
少女の腕から這い出した子猫は無事、自力着陸をしていた。
仔猫は、サクラを抱えて飛んでいく黒い翼をその翠色の瞳でしばらく見送り、そして闇の中へ駆け出して行った。
* * *
「ん…」
意識を取り戻したサクラは、暖かい布団に身体を包まれていたのを感じ、あぁあれは夢だったと思った。
「もう少し寝よう」
二度寝を決め込み、体位を変えようともぞもぞすると、カラリと障子が空いた。
「気がついたのか」
入ってきたのは、濡れたような長い黒髪を紫色の組み紐で無造作に後ろでひとつに束ね、着物を着た若い男。すっと通った鼻筋、切れ長の黒曜石の瞳がキラリと光り、かなりの美貌の持ち主である。
自分の部屋で寝ていると思っていたサクラは、突然知らない男が入ってきたことで、恐怖と警戒心で身体が強張った。
逃げ道を確認しようと目を周囲に泳がせれば、そこは自分の部屋ではない。
板の間の床に周囲は障子が嵌まっていた。
見知らぬ部屋に困惑していると、男は1メートルほどサクラから離れた床にドカリと胡坐をかいて座った。
「気が付いたか」
「はい」
「お主はサクラだな」
サクラはこの男が自分の名前を知っている事に驚き、恐怖を覚えたが、誰かにこの状況を説明してもらいたいと強く思う。それに、この男、何故だかは分からないが、命の危険までは感じない。
そして、恐る恐る口を開いた。
「はい、サクラです。あ、あの。ここは……どこでしょうか。あなたは……」
「俺は光葉だ。ここはそなたの世界いうところの異界、人間の来るところではないぞ」
「い……異界ですか」
「うむ。いわゆる神やもののけたちの世界よ。サクラ、どうやって入りこんだ?」
「わかりません……」
サクラはこれまでの事を必死で思い出した。
夕暮れの公園で仔猫を遊んだこと、パンを半分こして食べたこと。そして、雨も降っていないのに小道に水溜りを見つけたこと。突然走り出した猫を追いかけて、一緒に水溜まりを踏んだ途端に何故か夕焼け空の中に居たことを光葉に話した。
「ふむ。やはりサクラは異界の扉をくぐったのだな。通常人間が異界の扉を見付けたり、くぐったりは出来ないはずだ。つまり、その猫に巻き込まれたというわけか。いやしかし、水溜りを見たと言ったな……」
面白い、と光葉は笑った。