「そんなものでいいのか?」
――どれも小さな枝の若葉からはじまった。
過ちは繰り返されるのかと、ため息をつく。
目の前のその演劇。
「セラスロティーナ。お前との婚約は破棄する」
王子ロズウェルの言葉に、そう小さくため息をつくのはロズウェルの叔父にして王弟。
舞台の場には彼の愛娘がいる。
婚約破棄をされている側で。
それは彼の兄であるロズウェルの父親も、長年自分を支えくれた婚約者との婚約を破棄して、その婚約者であった当時の公爵令嬢を国外追放したことがあるからだ。
ああ、この国はもう終わりだ――ならば。
この国は聖樹に護られた国だった。
大人が十人ほど手を繋いでようやく囲める太い幹を持つほど長じたその樹は、精霊の樹でもあり、この国を代々護ってくれていた。
代々、だ。
その樹は水も肥料も必要としていない。ただ月に一度、王族の魔力を注がれることだけを望む。
それだけで代わりにこの国を様々な災いから護ってくれていたのだという。
そう、この地はかつては荒れ果てた荒野であったという。けれどもこの聖樹の護りができてからは。
水は澄み、緑は繁り、人々が生き、命を育めれる土地になったという。
すべてはこの地に住む、とある人間にこの聖樹に宿る精霊が恋をしたからだとも。
精霊とその人間は愛し合い、間に生まれた子がやがてこの国の王となり。精霊は己の命を継ぐ子らのためにこの国を護ってくれているという。
その伝説に信憑性があるのが、王族の魔力がこの樹の維持となっているからだ。
聖樹の精霊は己の力を受け継ぐものから魔力を分けてもらい、そうしてその礼として国を護ってくれているのだろうとも。
そうして今月も。
いつものようにロズウェルは婚約者であるセラスロティーナと並び、樹に手を当てて魔力を流す。
彼女が婚約者と決められて、彼女の魔力が整うようになってからは月に一度のこの儀式を父より任されるようになった。早くも次を担うものたちとしての、民へのお披露目を兼ねたものでもあるのだろう。
いつものように魔力は樹に巡り、葉から金色の輝きが溢れてなんとも美しい。
樹は国の中央にあり、この儀式は国民皆が見ることができるものだ。皆がこの美しい輝きを崇め、それにより国が――自分たちが護られていることに感謝する。
ああ、これで今月も国は平和だ。
そう思っていたのに。
「お前との婚約は破棄する」
聖樹から手を離した王子が隣りにいた婚約者の令嬢にとんでもないことを。
ロズウェル王子はこの国のたった一人の跡継ぎだ。
王は愛する妃を亡くしてからも後添いを娶ることがない。それ故に彼が唯一人の王子であった。
彼も十年前に愛する母を亡くしているということでもあり。
その時に彼の支えとなるようにと、王弟の娘であり従兄妹であるセラスロティーナとの婚約が決められた。
美しく優しい母を慕っていた彼は、まだ哀しみ消えぬというのにあてがわれた婚約者を面白く思っていなかった。
自分を支えるためとはなんだ。
そういう割にはセラスロティーナはこうした行事の時しかロズウェルの側にいない。
支えるというならば、父をその「愛」でもって支えた母のように。この哀しみを癒すために存在すべきではないのだろうか。
何より、だ。
セラスロティーナは五つも年下だ。むしろ自分が支えてやっている。
王子としての仕事や公務を手助けさせようにも、まだ幼く学園にも入学していないような相手では無理というもので。
そんな相手を勝手に決められたのが気に入らない。
彼は父と母の出会いのように、学園に入ってから自分で愛する人を見つけたいと思っていたのに。
母に何度も語られた。
父は高慢で冷たい公爵令嬢よりも、優しく誰からも好かれる、当時男爵令嬢であった母を見初めてくれたのだと。
父がそうしたのならば、自分だってそうしたい。
ロズウェルはすっとそう思って、学園にて本当に――見つけた。
ジスク伯爵令嬢のタレイアはロズウェルに寄り添ってくれた。その甘やかな微笑みや軽やかな笑い声で癒してくれる。
まるで記憶の中の亡き母のよう。
父がセラスロティーナとの婚約破棄を許してくれないのは、王弟の娘で、姪として可愛がっているからだろう。
公爵家への詫びか。
王弟の婿入した公爵家はかつて父が婚約破棄した女の家であり、王弟の妻はその女の妹だというではないか。
セラスロティーナはそんな彼らの娘。
つまりは、後ろめたいのだ。
いつからかセラスロティーナは自分より父に可愛がられて――大事にもされているようで。
父の尻拭いを自分に押し付けられている。
ロズウェルはそのことにも心が冷えていくようだった。
だから、もう我慢できなくて。
十八になり、学園ももう今年の終わりには卒業する。
そろそろ本格的にタレイアを妻にする話を進めなければ。
そんな焦りも背中を押した。
今月は隣国にてその国の王子の結婚式があり、父は祝いに呼ばれて国を離れていた。
今しかないと思った。
祝い事によるチャンスに、また何かに背中を押されているとさえ。
タレイアの伯爵家も野心あってか協力的だ。ジスク伯爵家はなかなかの資産家で。
もしも王弟の娘との婚約破棄がなったとしても、王家への代わりの援助を担えると胸を張っていた。
娘が妃になるための投資と思えばやすいものだと。その後に来る王家御用達の話や儲け、そして侯爵位への繰り上げなどの誉れで十分お釣りが出ると。
母のときは何の力もない男爵家の娘だからあちらこちらから反発もあり、それをなだめるために叔父である王弟が公爵家に婿入して収めたというが。
しかしタレイアは伯爵家の娘であり、身分も財力も十分だ。
どうして父がセラスロティーナとの婚約の白紙とタレイアを認めてくれぬのか不思議でならない。
やはり後ろめたいのだ――ならばもう、その座を降りて自分に任せてくれればいい。
そのために、もう聖樹への魔力を捧げる儀式も変わってくれたのだろう――自分に国を任せる準備を。
そしてロズウェルは隣の娘へと告げた。
十年前から隣りにいて――今では一緒に樹に手を当てていた従兄妹に。
思えば彼女も可哀想だ。
自分の父の尻拭いで、彼女も勝手に婚約者に決められたのだから。
十年前。彼女は確かまだ三歳。そんな幼さで自分の隣に立つように言われて。
そう、これはセラスロティーナのためでもあるのだとロズウェルは従兄妹のことも思う。
こんなしがらみは自分たちでおしまいにするのだ。
自分が有責となってやろう。
自分の心変わりで婚約破棄となったとすれば、彼女も新たに婚約者を見けやすのではないか。
まだ十三歳ならば、有力な貴族の男児は残っているだろう。自分の側近となる予定の奴らの弟にも確か良いのはいたはずだ。
何なら詫びとして自分が――王として橋渡しをやってやっても良い。
王命で。
そうだ。彼女も学園に入って、本当に好きな相手をみつけられるのだ。
これはきっと、双方のため――この国のこれからの幸せのためになる。
そのために国民の前で、告げた。
もう後には引けぬように。
ロズウェルは儀式の祭壇の近くに控えさせていたタレイアを招いた。彼女は妃になる覚悟はできていると、自信に溢れた美しさでロズウェルの隣に立った。
彼らは年頃も合い、美しい美男美女でお似合いではある。
見ている群衆も、儀式の前から傍に控えていた王子と揃いの衣装を着た女性の謎がとけた思いだ。
そういうことか、と。
「この婚約破棄はすべて、このロズウェルが真に愛する存在に出会ってしまったためだ! 我が愛はこのジスク伯爵令嬢タレイアにある! 故にセラスロティーナには何の咎もない! ただ幼い頃より我を支えてくれたこと、大義であった!」
支えたのは自分だと思ってはいたが、ここは自分が下手に出てやろう寛容に。
セラスロティーナのためだと――。
「……かしこまりました」
幼い従兄妹は理解できず泣くかと危惧していたのだが。
彼女は静かに頷いた。
やはり彼女も親たちに勝手に決められて大変だったのだろう。
痛ましいというロズウェルとタレイアの目線に気がついた群衆たちは、これはもしや王家主体の催しかと思い始めていた。
いつもならこの金色の煌めきで拍手てもってとうに終わっている儀式だ。
金色の煌めきの中、揃いのまた煌びやかな衣装を着た男女と、美しいが一人ぽつんと立つような少女の対峙。
しかし少女も了解したことにより、これはやはりまだ儀式の続きのようなものなのだろうと。
儀式は続いている。
「では、今日までの思い出に……聖樹の枝を一つ、頂戴してもよろしいでしょうか?」
「枝?」
――そんなものでいいのか?
「そんなものでいいのか?」
思ったことをそのまま尋ねた。
十年間の、ある意味詫び料で報奨なのに?
泣き喚かれて大変な思いをすると思っていたから、この場を選んだ理由でもあるのだが。
公爵令嬢ならば大衆の前ならばそれを我慢してくれるだろうと勝手に公爵家の躾を期待して。
その躾は褒めなければならないだろう。
十年間の思い出に、ただの枝をほしいだなんてむしろなんていじらしい。
彼女は婚約者でなくなれば、もうこの樹に触れることもなくなるからだろう。来月からはこのタレイアと一緒に――いや、そういえば亡き母は儀式に参していただろうか?
少しだけ何か引っかかりながらも、ロズウェルは自ら近くの枝を拾いセラスロティーナに手渡した。
その枝はまた葉もついているのに、ちょうど近くに落ちていて不思議だと思いながらも。
まるでセラスロティーナの手にわたるように――。
そうしてまだ幼い公爵令嬢は枝を今までの褒美に授かり、退場し。
その姿は幕を降りる演者のようで――舞台に残る煌びやかな二人は続けて愛を誓いあい。それはまるで演劇のようでもあり。
ああ、このために小道具として――枝が落ちてきたのだなとロズウェルは――……。
――そんなもの、と言った自分の愚かさを彼は後に何度も後悔する。
「……なんて愚かな」
隣国から帰国した父に、まず嘆かれた。
「それほど貴方の尻拭いを私に押し付けようとなさるか! そもそも父上が公爵家に弱みを――」
そしてとうとう怒りを見せたロズウェルに、今度は哀れみを向けた。
「もう、弟たちは国を出たのだな……」
「はい」
「ああ……遅かった。見限られた」
見限られた
それは一体どういうことだ。
眉を寄せるロズウェルに、父であるドリアスは心底からのため息でもって返事をした。
「もう、この国はおしまいだ」
「父上……」
「父ではない」
「え?」
「お前は、私の子ではないのだよ……哀れな子よ」
それだけで、ロズウェルは理解した。
どうして自分の婚約者がセラスロティーナであったのかを。
王弟の娘で。従兄妹で――彼女も王家の血を引くからだ。
父の代わりに樹に魔力を注ぐように言われたのは、彼女が魔力を操れるようになった頃だったか。彼女が八歳になったころだったか。まだなんて幼いと思った記憶がある。
自分一人では頼りないとされたか、従兄妹である彼女と二人でと言われたが、それはこういう理由からだったのだ。
あの葉の金色の煌めきは、すべて彼女に応えていたのであり。
まさにセラスロティーナはロズウェルを支えてくれていたのだ。
十年前だ。
王は最愛の妃の不貞を目にした。
学園で出逢った妃は男爵令嬢という低い身分ながら人気者で。
当時の友人達であった男達から彼女を勝ち取れたことは、何やら誇らしくもあった。
長年自分を支えてくれた婚約者には酷いことをしたと思うが、それは嫉妬からか醜いとさえ。
その上、己の妃となるべき女を傷つけたとして国外追放なんてことも命じてしまった。
彼女が嫉妬からではなく、自分を支えるため忠告をしてくれていたのだというのに。
「女一人にはべって、なんて見苦しいのですか。情けないのですか。なんて――おぞましい」
甘言は甘く。苦言は苦く。まさにそのままに。
国外追放した彼女は遠い小さな島国へとたどり着き、そこで暮らしいていると噂には。この国に学びに来ていた留学生が、彼女を哀れと手引きしたとか。
それもすべてを知って、詫びたいと初めて公爵家へ頭を下げなければ未だに知るともなかっただろう。
そう、すべてを知って。
妃が自分以外の男達と、裸で乱れているところを見るまでは。
妃の不貞は初めてではなかった。
学生時代、自分と彼女を争った男たちだけでなく、妃として城に住み始めてからも使用人たちと戯れていたのだという。
「一番好きなのは貴方よ?」
一番えらいのだから。だから好きに――選んであげた。
だから何が悪いのか。
そんな風にきょとんしている妃の愛らしさが、むしろ気味が悪かった。
妃のその貞操概念のなさを公爵令嬢は気がついていたのだろう。
同じ女として。
それに気が付かないドリアスにどれだけ苛立ち、苦言をくれたことだろうか。
毒杯を授ける瞬間まで、妃は何もわかっていなかった。
「あら、リセットかしら。ドリアスルートの次は誰にしようかな。一番はじめに王道ルートはやっぱりつまんなかったな。次はもっと刺激ある――」
そんなわからないことを言いながら口にした毒入りの酒が――その喉を焼く苦しさに「こんなのやだ」「リセット」「リセット」「リセットして」「早く次――」と、のた打ち回りながら、またわからない断末魔を上げていた。
そうして残されたのは。
妃に瓜二つの色味や容貌を持つロズウェル。
今まではあまりにも妃似だったために血の繋がりの疑いは持たれなかったが。
成長するにつれてやはり男児らしく育ってくると、とある男の面影が出てきた。
それは学生時代のドリアスの友人で、ともに妃に――公爵令嬢の言葉を使えば「はべっていた」友人だ。
内密に呼び出せば、彼は妃と、ドリアスとの結婚後も関係を持ったと白状した。今では彼も結婚して子どもがいるから許してくれと泣き叫びながら。
せめて子どもと妻たちだけは許して、彼はひっそりとまた妃と同じ毒杯でのたうち回って死んだ。
彼の子どもは幸い彼の妻に似ていたが、彼自身の顔立ちがロズウェルに似ていたために。いや、この場合はロズウェルこそが似ているのか。
貴族としてそれなりの立場にある彼がロズウェルの近くに立ってしまえば、誰もが察してしまうだろうから。
そうして、ロズウェルは引き続き王子として育てられた。もう八歳となればお披露目も済んでいた。
理由はもう一つ。
ドリアスが女の裸を見ては吐き、倒れるようにもなったからだ
新たに妃を求めることは――女を抱くことはできなくなった。
産みの痛みや苦しみに二人目は嫌だ無理だと拒否する妃を思いやるのではなく、王として側妃なり、何なり手を打つべきだった。
「私が一番なのよ。二番目もいらないのよね」
などとほざき、側妃を邪魔する妃の嫉妬を可愛く思った後悔よ。
愛していた妃のご機嫌取りを優先なんてしてしまったばかりに。
そして最愛の妃を急な病で亡くした彼は失意の底におちいった事になり。
それまで可愛がっていた息子とも、その妃譲りの色をみたら哀しくなるからということで遠ざけて。妃の分まで彼が一人で国を背負わなければならなくなったからだと、何も知らない臣下は勘違いして察してくれた。
だだ、弟にだけは。
さらなる尻拭いを頼むことになり。
国を思う気持ちだけで、弟は大事な娘を国に差し出してくれた。
王家の血を――魔力を受け継ぐ子を。
ロズウェルはやはり、王家の血を引いてはいなかった。
かすかな期待を込めて儀式を一度試させたとき、その魔力に聖樹は全く反応せず。
慌てて流したドリアスの魔力でもって葉は輝いた。
幼いロズウェルは、自分に魔力が足りなかったからだと落胆していたが、そうではないと苦い思いでドリアスは「もう少し成長したらまた試そう」と慰めた。
何も知らず自分を慕うロズウェルが可愛くもあったのだ。
子に罪はない。
だからこそ。
自分とおなじような過ちを繰り返す息子が哀れでならなかった。
だから彼は最期の時まで聖樹に魔力を捧げた。国の民が皆逃げ切るまで。
骨のようにやせ細った身体で、立ち上がれなくも這うように聖樹に触れて――最期まで。
最期の魔力で葉が煌めいて。
ドリアスの死後、またたく間に聖樹は枯れ果てた。
そうして国も枯れ果てた。
何百年も昔の荒れ地に戻ったのだ。
国の民はドリアスの命を捧げるような時間稼ぎのうちに国を離れた。
「ロズウェルには王家の血が流れていない」
いずれ明らかになるならば、民のためにロズウェルは自らそう発した。
「聖樹の維持はできない。加護はなくなる」
王家の血は流れていなくとも、彼は王子として育てられたから。
王族の矜持で、役割でだ。
あの演劇は何だったのかと民たちは驚いたが、そう遠くないうちに聖樹の護りがなくなると聞かされては。
時間はあるからといわれても。
幸いなことに今まで仲良くしてくれていた隣国などが、民の受け入れ先になってくれた。
飢饉が起きたときなど、聖樹に護られて平穏であったこの国が食べ物や水などを支援してきたことを恩に感じてくれたのだとか。
聖樹の加護を驕らず、他国にも振る舞ってきていて良かったと、ドリアスは先祖たちに感謝した。
最期の王として、もはや涙しか出ない。
ただ真っ先に逃げ出したのはジスク伯爵家だというのは国々に知れ渡り。
ドリアスとともに国に残ったのはロズウェルただ一人だった。
ロズウェルは一人でドリアスを聖樹のあった跡地に埋葬して、聖樹の枯れ枝を杖としてその冥福を祈る巡礼の旅に出たという。
かつて緑の葉がついていたはずの枝をただ一つの頼りに。
やがて彼がたどり着いたのははるか遠い小さな島国。
その国もまた神木により護られていて。
はじまりは小さな枝であったという神木は、金色の煌めきを葉と花から。
彼にも優しく光を落としたという。
涙し、また旅をした彼がたどり着いたのは、今や荒れ地の、かつての栄華があったことをかすかに瓦礫に残した故郷。
今や誰もいない土地ではあるが、旅の途中で彼が拾って面倒を見ていた孤児たちが、彼がここで死にたかったのだとその願いを叶えるために。
やがて埋葬された場所に墓標代わりに立てられた杖に、小さな葉がついたという――。
因果は巡る。誰かが覚悟して断ち切らない限りは。
その覚悟が何よりつらくて勇気が必要で、かなしくて。
セラスロティーナ側もまたよろしくどうぞ。
「私も勝手にして良いと思うの」
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