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努力する天才剣士の成長録――氷剣で己が道を切り拓く  作者: 文ノ陽


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ラインハルトの憂鬱

聖騎士ラインハルトの日常の一コマです。

聖騎士ラインハルトは睡眠時間を何よりも重んじている。


彼にとって睡眠と休養は、剣や鎧と同等それ以上の装備だった。


彼は疲労による脳と身体の性能低下を、驚くほど精密に感知できる。


視界の端がわずかに鈍る感覚。

思考が一拍遅れて像を結ぶ違和感。

筋肉の反応速度が、ほんのわずかに落ちる兆候。


常人であれば見過ごすそれらを、彼は明確な「劣化」として自覚していた。


自身に牙をむく攻撃に、万全の状態からコンマ数秒遅れでしか対応できない。


その事実は、彼にとって致命的だった。


剣神と呼ばれる理由は、加護や才能だけでは断じてない。


空間を把握し、敵の剣の軌道や魔法の弾道を直感的に読み取り、最適解を即座に選択する――

その思考速度と判断精度にこそある。


だが、それは常に体力が万全であって初めて成立する能力だった。


だからこそ、彼はきっちり八時間眠る。


眠る時間を削ってまで得られる修練など、幻想に過ぎないと知っている。


休養の判断は他人に委ねない。


女神の加護があろうと、聖騎士であろうと、肉体と精神の管理は自分自身の責任だ。


睡眠が不足すれば、魔族に対する特攻も、魔力探知も、剣の冴えも、確実に鈍る。


人類の柱である以上、折れる可能性を自ら作るわけにはいかなかった。


それが彼にとっての、戦いへ臨むための最低条件だった。


その日も、いつも通りの時間に目を覚ました――はずだった。


扉の向こうから聞こえる、弾むような足音と声が、否応なく意識を引き上げる。


「ラインハルト、起きてる? もう朝よ!」


ちらりとベッドの脇の時計を見る。


時刻は七時十一分。


最悪だ、と彼は思った。


許嫁のクリスタが、女神の生誕祭に合わせて屋敷を訪れていた。


母同士が親しく、幼いころからの付き合いだ。

だからこそ断ち切れない縁であり、そして彼にとって今は最も苦手な存在でもあった。


ラインハルトは今年で二十四歳。


クリスタは十九歳。年の差はわずかだ。


しかし、互いの感情の温度差は致命的だった。


彼女は彼を好いている。それも、隠そうともしないほどに。


結婚、家庭、未来。

そういった言葉を彼女は明るく、希望に満ちた声音で語る。


だが、ラインハルトにはそのどれもが重荷だった。


「……起きている。少し待ってくれ……」


短く答え、身支度を整えて部屋を出ると、廊下に立つクリスタがぱっと顔を輝かせた。


その笑顔を見た瞬間、彼の思考は自然と逃げ道を探し始める。


「ねえ、今日は女神の生誕祭よ。一緒に参拝に行きましょう?

ずっと訓練ばかりなんだから、少しは休まないと」


気遣いなのは分かっている。


分かっているからこそ、余計に厄介だった。


「悪いが、行かないことにするよ」


即答だった。


クリスタは一瞬、言葉を失い、それから眉を寄せる。


「どうして? お祭りよ? 女神様に感謝する日でしょう?」


「ああ……確かにそうなんだが、今は時間が惜しい」


淡々とした声音。感情を挟まないのは、彼なりの誠実さだった。


「最近、魔族との衝突が増えている。

次はいつ、どこで衝突が起きるか分からない。

せっかく来てもらって悪いが、遊んでいる暇があるなら、少しでも力を蓄えたい」


それは事実だった。


剣を振るい、魔力の流れを読み、空間を把握し続ける日々。

彼は人類の柱だと、自覚している。


折れることは許されない。

結婚して子を設ける余裕など、今の自分にはない。


彼の剣は、いつだって民のために振るわれていた。


「……そう」


彼女の声が冷える。


「良かれと思って誘ってるのに。

あなた、少しは自分のことも、周りのことも考えたら?」


ラインハルトは何も返さなかった。


返す言葉が見つからなかったわけではない。

ただ、これ以上会話を続けること自体が、彼にとっては消耗だった。


「気遣って心配してくれている私に、そんな態度を取る人が――」


クリスタは一度言葉を切り、彼をまっすぐに見据える。


「そんな人が、人類を守れるわけないでしょう」



その一言は、彼の胸に深く沈んだ。


彼女が去ったあと、ラインハルトは訓練場に向かった。

剣を握り、素振りを始める。いつもなら、剣の軌道、風の流れ、床の感触までが明確に把握できるはずだった。


だが、今日は違った。


振り下ろした剣が、わずかにぶれる。

思考は速い。感覚も研ぎ澄まされている。――それでも、集中が続かない。


「……守れるわけがない、か。」


誰にも聞こえないよう、呟く。


怒りとも虚無ともつかない感情が、胸の奥で渦を巻く。


数分後、彼は剣を置いた。

訓練を切り上げ、自室へ戻り、寝台に身を投げ出す。


時刻は7時48分。


――自分は、何故戦っているのだろうか。


答えの出ない問いを抱えたまま、ラインハルトは再び眠りに落ちた。


ーーーーーーーーーーーー


その晩、ラインハルトは宮廷の一角にある魔術師用の小さな研究室を訪れていた。


薬草と魔導書の匂いが混じるその空間は、幼いころから変わらない。

彼にとって数少ない、剣を置ける場所だった。


机に向かっていたソラは、足音に気づくと振り返り、軽く片手を上げた。


「珍しいな。その顔は……何かあっただろう」


ラインハルトは否定しなかった。


椅子に腰を下ろし、短く息を吐く。


「先日、クリスタと口論になった」


それだけで、ソラは察したように目を細めた。

彼は何も言わず、続きを促す。


ラインハルトは淡々と語った。


魔族との衝突が増えていること。

次の戦いに備え、少しの油断も許されないこと。

自分は万全を尽くすべき立場であり、私情に時間を割く余裕はないこと。


剣のように無駄のない説明だった。


ソラは腕を組み、黙って最後まで聞いた。


途中で遮ることはせず、すべてを受け止めてから、ゆっくりと口を開く。


「……そうだね」


前置きの一言。


それが出たときは、決まって長い話になる。


「確かに君の言い分はもっともだ。理屈としては、非の打ち所がない」


ラインハルトは何も言わない。


だが、ソラはそこで首を横に振った。


「でもね、それが“正しい生き方”かどうかは別だ」


魔術師は椅子にもたれ、天井を仰ぐ。


「君も、いつかは結婚する。子を設ける日も来るだろう。

それに……君だって、クリスタ嬢のことを悪く思ってはいないはずだ」


ラインハルトは、わずかに視線を逸らした。


否定できなかった。


「僕は今年で二十八だ」


ソラはそう言って、静かに自分の手を見る。


「実はね、まだ誰にも話してないのだけれど、去年あたりからだ。

魔力の出力と回復量に、はっきりと衰えが出始めた」


その言葉は、思った以上に重かった。


ソラはラインハルトにとって、最も信頼できる人物の一人だ。


ソラは強くとても聡明だ。ラインハルトは兄のように慕ってきた。

戦いの後は、いつもここで朝まで語り明かした。


戦場でも、ソラとラインハルトはいつだって最上位の功績を競い合う。

そんな彼が衰えを訴えた。


ラインハルトにとっては、大きな衝撃だった。


「そういえば、師匠も言っていたよ。

三十を迎えるころには、全盛期は終わっている。

それまでに継承者を見つけろ、ってね」


ソラは笑ったが、その笑みはどこか乾いていた。


「君は若い。才能もある。努力も怠らない。

でもな、ラインハルト――」


彼は真っ直ぐに弟を見る。


いたずらな笑みが、そこにはあった。


「君がいないと守れない国なら、あと数十年で崩壊するさ」


はっきりとした言葉だった。


「そうならないために、君がやるべきことは一つだ。任せられる騎士を育てることだよ」


静かな声で、しかし揺るぎなく。


「君一人が剣を振るい続けるんじゃない。君の判断を継ぎ、君の背中を見て、戦える人間を増やすんだ」


少し間を置いて、ソラは付け加えた。


「そうすれば、クリスタ嬢と過ごす時間も、今よりは増やせるさ」


研究室に沈黙が落ちた。


魔導灯の光が、ゆらりと揺れる。


ラインハルトは、すぐには答えなかった。


頭では理解できる。理屈も通っている。



ラインハルトの固有の権能は、すべての衝撃を飲み込む盾だ。


彼は一本の剣のみで剣神と称されるに至ったが、その本質は剣ではない。


守るために立ち、受け止めるために存在する――盾である。


ラインハルトは、おもむろに手を伸ばした。


空気が軋み、女神の加護が形を成す。

淡い光を帯びた盾が、何もない空間から召喚される。


「……そうだな」


短くそう呟いた瞬間、記憶が引き戻された。


―――――――


――確か、十六のころだった。


俺は、ただ強くなることだけを考えていた。


朝も夕も壁の外へ出て、魔獣狩りに明け暮れる日々。

剣を振るい、血を浴び、次こそはもっと速く、もっと正確にと、己を追い詰めていた。


その帰路だった。


森を抜けた先、城の方角から白い煙が立ち上っているのが見えた。


「……っ」


考えるより先に、体が動いた。


全力で駆ける。

嫌な予感が、確信へと変わっていく。


城に辿り着いたとき、状況はすでに最悪だった。


壁の内側に魔族が入り込んでいる。これは襲撃だ。


国を守る聖騎士でありながら、襲撃の際に城にいない。


言語道断だ。到底、許されることではない。


俺は近くで暴れる魔族を、手当たり次第に斬り捨てた。


一体、二体、三体――剣は冴えていた。


だが、その直後だった。


上空から、異質な気配を感じた。


見上げると、そこには周囲の魔族とは明らかに格の違う存在がいた。


その魔族の周囲には、あり得ないほどの魔力が集束していく。


――放たれれば、被害は計り知れない。


そのときだった。


「ラインハルト様――!」


聞き覚えのある声。


(……この馬鹿)


振り向いた先にいたのは、幼馴染で、許嫁のクリスタだった。


(なぜ、逃げていない)


怒鳴る暇もなかった。


魔族の周囲では、なおも魔力が集まり続けている。

今にも爆発寸前だ。


最悪なことに、俺たちが立っているのは城の中庭。


遮蔽物はなく、魔族はこちらを完全に視認している。


魔族は、ゆっくりとこちらへ手を向けた。


その瞬間、集まっていた膨大な魔力が歪む。


――来る。


放たれた魔法は、異様なほどゆっくりと近づいてきた。


時間が引き延ばされたかのように、すべてが鮮明だった。


走馬灯、という言葉が頭をよぎる。


俺は理解していた。


この魔力砲を止める術を、当時の俺は持っていない。


自分だけなら助かるかもしれない。


だが、背後にはクリスタがいる。


俺は、自分の無力を呪った。


そして――柄にもなく、願った。


この攻撃から、彼女を守る力を。


その瞬間だった。


俺の前に現れた盾は、放たれたすべての魔力を、音もなく飲み込んだ。


爆発は起きなかった。


衝撃も、熱も、破壊も――

何一つ、背後には届かなかった。


―――――――


「その盾、久しぶりに見たよ。相変わらず綺麗だ」


俺の力は、斬るためにあるのではない。


立ちはだかり、受け止め、誰かが生きる未来を残すためにあるのだと。


淡い光を放っていた盾は、いつの間にか霧散している。


ラインハルトは深く息を吐いた。


胸の奥に絡みついていた違和感が、少しだけほどけた気がした。


彼は椅子から立ち上がり、ソラの方へ向き直る。


「……ありがとう」


それだけだった。


だが、そこには先ほどまでの硬さはない。


ソラは一瞬きょとんとした表情を浮かべ、すぐに苦笑した。


肩をすくめる。


「兄として当然のことをしたまでさ。

それに――ラインハルトが一人で背負い込みすぎるのは、昔からの悪い癖だ」


ラインハルトは否定しなかった。


扉へ向かいながら、足を止める。


「……少し、周りを見てみるよ」


それは決意というほど大仰なものではない。


だが、確かに変化を含んだ言葉だった。


ソラは満足そうに頷く。


「それでいい。今日はもう、お休み」


頷いたラインハルトは何も言わず、扉を開けた。


廊下に出ると、夜気が肌を撫でる。


「生誕祭か……」


心は、不思議なほど静かだった。 


だが、あの時の魔族は行方知れずで彼の脳裏にこびりついたままだった。

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