ヴァイス一歳
ヴァイスは賢い子なのです。
ヴァイスが生まれて、早くも一年が経った。
あまり泣かない子だ。目を覚ましている間はいつもきょろきょろと周りを見回し、何もかもが初めての体験だと言わんばかりに、楽しそうにしている。
つかまり立ちはもう当たり前。気が向けば、ひとりでとことこと歩き出すことすらある。
物覚えも良い。エリザベスが絵本を開いて、
「わんわんだよー」
と読んだ瞬間、
「イヌ!」
と返されて、彼女が思わず吹き出したのを見た。あれは確かに笑う。
「あなた、何ぼーっとしてるの。ヴァイスがずっとあなたを見てるわよ」
言われて顔を上げると、きらきらした目がこちらを射抜いていた。
「ぱぱ!」
小さな手を上げて、嬉しそうに走ってくる。
「パパだぞ。ごめんな、ぼんやりしてた」
受け止めて抱き上げると、ヴァイスは満足そうに腕を回してきた。
「エリザベス。ヴァイスと外を散歩してくるよ」
「ありがとう。でも外は寒くなってきたから、お着替えしてからね。ちょうど一昨日、イギルさんが新しい服を持ってきてくれたの。着せてみるわ」
イギルが持ってくる服はいつも素晴らしい。着せるたび、天使かと思うほど可愛い。丁寧に一着一着、ヴァイスに合わせて仕立てられ、刺繍まで入っている。本当に良くしてもらっている。
今回の服は、ヴァイスの白い髪と同じ真っ白な上衣と、降り積もった雪のように青白い色のズボンだ。
雪金糸彩堂の店主は、エリザベスの友人らしい。改めて、きちんと礼に行かねば。
「ローザ! ヴァイスの新しい服はどこかしら!」
珍しくエリザベスが大きな声を出した。よほど楽しみらしい。
「もうすぐお昼だ。食卓の方にいるのだろう。行ってくるよ」
「そうかもしれないわ。お願い」
ヴァイスの頭を一撫でして、エリザベスに渡す。廊下に出た、その瞬間だった。
右手側から、服を抱えたローザがすっと現れる。
(流石だな……)
思わず感心して、すぐに引き返し扉を開け直した。
「流石ローザだ。もう服を持ってきてるよ」
「うふふ。流石ね」
ローザの手際も加わり、ヴァイスはあっという間に新しい衣装へ衣替えした。
「なんでこんなに可愛らしいのかしら」
「うちの子は天使だな」
「おぼっちゃま、素敵でございます」
上衣の胸元と袖口には、糸色をわずかに変えた雪の結晶が刺繍で散らされている。光の角度でだけ浮かび上がる控えめな意匠で、職人の和沢を感じさせる。
ズボンの裾にも小さな結晶が一つずつ。歩くたび、青白い布の陰影と一緒にきらりと表情を変える。
どちらも緻密な模様があり、シンプルすぎず派手すぎない。とてもいい塩梅だ。
今までより少しサイズを上げたせいで、わずかにだぼっとしている。それがまた可愛い。
「よし。少し歩いてくるよ。昼ごはんまでには戻る」
「ええ、行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいませ」
出際にローザが、手編みのマフラーをヴァイスの首に巻いてくれた。
「ありがとう、ローザ。良かったな、ヴァイス」
「とてもお似合いです。行ってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくるよ」
家を出て、街の通りへ。
去年の吹雪の時は、同じ道でも随分時間がかかった。だが平時なら、さほど距離はない。
身体強化をかけて、早歩きで進む。最近ヴァイスが“高速散歩”にハマっていて、これをすると本当に喜ぶのだ。
「きゃきゃきゃ!」
ほら、笑った。
冬の空気は刺すように冷たいが、ヴァイスは寒さに強いらしい。夏は暑さでげっそりしていたのに、冬はいつも機嫌が良い。夏が終わってから、外へ行きたがることも増えた。
そうして、屋敷から北区は向かう道筋をそのまままっすぐ進むと、雪金糸彩堂が右手側に見えてきた。
外観はひと目で分かるほど洒落ている。雪を思わせる淡い意匠と、控えめに艶めく看板。通りの景色の中で一際目を聞くデザインだ。
入口には、OPENの看板。
扉を開け、声をかける。
「こんにちはー。ナディアさん!」
「あら! 領主様、いらっしゃい。ヴァイス様も一緒なのね! その服、早速着てくれて嬉しいわ」
扉を開けて中へ入った途端、ヴァイスの視線がぴたりと定まった。
作業台の奥、糸と布の匂いのする場所――ナディアの姿を見つけるやいなや、腕の中で身をよじらせる。
「おいおい、そんなに急ぐな」
降ろしてやると、ヴァイスは小さな足でとことこと歩き、迷いなくナディアのそばまで行った。そして、当然のように彼女の膝へ収まる。
「もう、本当に可愛いわ! うちの子にしちゃいたいくらい」
ナディアは頬を緩めて、ヴァイスの髪をそっと撫でる。
「ヴァイス、良かったな。ナディアお姉さんに可愛がってもらえて」
そう言うと、ヴァイスは得意げに胸を張ったように見えた。
そして、しばらくヴァイスが着ている服について感想を語り合う。布の手触り、縫い目の始末、模様に込めた意味――ナディアのこだわりには、いつも驚かされる。
「そうだったんだな。この模様に、そんな意味が込められているとは……」
「ふふ。気づいてもらえたなら、報われるわ」
(そうだ、今日の目的を忘れていた)
「ナディア。ちょうど一昨日、ヴァイスが一歳になったんだ。その記念に、ヴァイスとエリザベスに“お揃いの衣装”を贈りたい。急がない。お願いできないか」
そう言うと、ナディアの顔がぱっと輝いた。
「それならお任せよ! エリザベス様、自分の服にあまり拘らないものね。とびっきり可愛いのを準備するわ。期間は……そうねぇ……」
そこからの彼女は早い。言葉が次々飛び出し、サンプルが山のように積まれ、好みの形や色味、刺繍の意匠まで根掘り葉掘り聞かれた。
本気で作りたいから、一ヶ月は欲しいらしい。むしろその方が、良いものになる。
「悪い、ナディア。そろそろ昼ごはんの時間だ。行かないと」
そう言いながら、ふと足元を見る。
ヴァイスはまだ、ナディアにぴたりとへばりついたままだった。袖口を小さな手で掴み、離れる気配がない。ナディアの方もまた、名残惜しそうに頬を緩めている。
「ほら、ヴァイス。帰るぞ」
呼びかけても、返事の代わりに抱きつく力が少し強くなるだけだ。
「……だめね。完全にうちの子になっているわ。」
ナディアが小さく笑う。
「まいったな。エリザベスに怒られてしまう。」
「ヴァイス様、お母様も待っているわよ。」
申し訳なさに苦笑しつつ、ヴァイスの脇に手を入れて抱き上げる。途端に「うっ」と不満そうな声が漏れ、手が空を掴んだ。
「また来よう。今度はもっとゆっくりな」
そう言い聞かせると、ヴァイスは一度だけ振り返り、ナディアへ手を振った。
「はーい、またね。ヴァイス様。いつでもいらっしゃい」
名残を振り切るように扉を開け、店を後にした。
扉を閉め、店を後にする。
(いけない。急がなくては)
再び身体強化を纏い、今度は走った。
抱えられているヴァイスは、また大喜びだ。
あっという間に家へ戻り、食卓へ向かう。
「おかえりなさい。どこまで行ってきたの?」
「ちょっと遠くまで歩いてきた」
「ふーん。ヴァイス、良かったわね。いっぱい散歩できて」
そんなこんなで、昼食が始まった。
昼ごはんは鶏肉のシチューだった。
湯気の立つ皿を前にすると、ヴァイスは目を輝かせてスプーンを握りしめる。口の端に白い跡をつけながらも、嬉しそうに食べ進めていく。
育ち盛りだ。まだまだ大きくなる。
その当たり前が、今はひどく愛おしい。
――この子から、しばらく目を離せそうにないな。
ヴァイスはナディア大好き。




