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努力する天才剣士の成長録――氷剣で己が道を切り拓く  作者: 文ノ陽


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2/10

誕生

感想やブックマークお待ちしております。

夜明けは、音もなく訪れた。


唸り続けていた風はいつの間にか力を失い、

吹雪は、まるで嘘だったかのように静まり返っていた。


厚く積もった雪の向こう、

雲の切れ間から淡い光が差し込む。


白い世界の上に、かすかな金色が落ちた。


太陽だった。


北の仮設住居区は、崩れてはいなかった。


補強された外壁は持ちこたえ、

縄と梁は雪の重みに耐えきっている。


小屋の中では、人々が肩を寄せ合ったまま、

静かな眠りについていた。


カクタスは通りを歩き、最後の確認を終える。


夜を越えた。

それだけで、十分だった。


「……よく持ったな」


独り言のように呟いたその背後から、

低く落ち着いた声がかかる。


「ええ。見事な采配でした」


振り返ると、そこにいたのは騎士長――オスカーだった。


白髪交じりのグレーヘアは短く整えられ、

鎧の上から羽織った外套には、夜を戦った痕が残っている。


腰には、一振りの両刃のロングソード。

飾り気のない、実戦の剣だった。


「部下も疲れてはいますが、動けます。

住民の様子も安定しています」


「そうか」


短く応じる。


そのやり取りを少し離れた場所で見ていたイギルが、

深く頭を下げた。


「本当に……ありがとうございました。

この一夜で、皆の顔付きが変わりました。

皆、安心した顔をしています」


「夜を越えただけだ。先はまだある」


カクタスはそう言いながらも、

視線はすでに北の通りの外――

エリザベスが待つ家の方角へ向いていた。


オスカーは、その変化を見逃さない。


「……カクタス様」


静かに、しかし確かな声で進言する。


「ここは、私とイギルにお任せください。

騎士も十分に残っています」


一拍、置く。


「奥方様は、出産を控えておられる。

夜を越えた今こそ、お戻りになるべきです」


カクタスは答えなかった。


ただ、わずかに目を閉じる。


吹雪の中でも揺るがなかった判断が、

今、胸の内で別の重みを持って迫ってきていた。


「……すまない」


その謝罪は、二人に向けたものでもあり、

待たせている妻へのものでもあった。


「後は任せる。

何かあれば、すぐに使者を出せ」


「承知しました」


オスカーは即座に応じ、

剣の柄に手を添えて一礼する。


イギルもまた、強く頷いた。


「ここは、必ず守ります。

お任せください」


カクタスはそれ以上、言葉を重ねなかった。


外套を靡かせ、踵を返す。


朝の光の中、

彼の足取りに迷いはなく、速かった。


吹雪を乗り越え、

厳しい夜を耐え、

愛する家族のもとへ帰るために走り出した。


北の通りの背後で、

太陽は確かに昇り続けていた。


屋敷の門をくぐる頃、

空はすでに明るみ始めていた。


構わず、屋敷の中を駆ける。


吹雪に打たれ続けた外套は重く、水を含み、

玄関に踏み込むなり、それを脱ぎ捨てる。


床に落ちた布から、水が滲んだ。


廊下の奥、最奥の部屋――

彼が目指す場所は、一つしかなかった。


その扉の前に、女が立っていた。


メイド長――女中頭のローザ。


背筋を正し、ぴしりとこちらを向いている。

いつもと変わらぬ、隙のない立ち姿。


だが、その表情は――

どこか、違っていた。


きりっと引き締まった顔立ちの奥に、

確かな温度が宿っている。


ローザは、目の前に立つ男を見て、

ほんの一瞬だけ視線を和らげた。


それは、領主を見る目ではなかった。


雪に濡れた髪、荒い呼吸、

今にも扉を押し開けそうなその様子を見て、

彼女の脳裏には、遠い昔の姿が重なる。


泣くのを堪えながら剣を握っていた少年。

夜更けに一人、廊下を歩き回っていた幼い背中。

責任を背負うには、あまりに早すぎた頃のカクタス。


――あの子は、昔からこうだった。


誰かのためなら、

自分のことは後回しにする。


カクタスが息を整える間もなく、

ローザはそっと人差し指を立てた。


「……シー」


静かに、だが確かな合図。


そして、小声で告げる。


「元気な男の子です」


その一言で、

カクタスの胸の奥に張り詰めていたものが、

音を立ててほどけた。


「吹雪が最も激しかった頃に、生まれました」


ローザは、穏やかに続ける。


「……不思議なことに、産声が上がったのを境に、嵐は少しずつ弱まっていきました」


事実を語っているだけの声だった。

だが、その言葉には、

どこか祈りにも似た響きがあった。


「エリザベス様も、容態は安定しています。

ただ……嵐の中での出産でしたから」


一瞬、言葉を選ぶ。


「心身ともに、相当お疲れです。

今は、深く眠っておられます」


カクタスは、何も言えなかった。


ただ、扉の向こうを見つめる。


本来なら、ここで立ち止まるべきだった。

眠りを妨げてはならない。


――分かっている。


だが。


ローザの制止を待つこともなく、

カクタスは、そっと扉に手をかけた。


音を立てぬよう、

ゆっくりと、わずかに開く。


部屋の中は、静かだった。


柔らかな光の中、

寝台に横たわるエリザベスの姿。


その腕の中に、

小さな、小さな命がいる。


カクタスは、一歩だけ中へ踏み出す。


その背を、

ローザは止めなかった。


――昔も、そうだった。


止めたところで、

この人は行く。


守るべきもののもとへ。


扉の前で、

ローザは静かに――


ほんのわずか、微笑んでいた。

 

ーーーーーーーーーーー


音を立てぬように静かに扉を閉める。


扉が閉まり切るわずかな音で寝台に横たわるエリザベスが、ゆっくりと目を開いた。


「……早かったわね」


微笑みを含んだ声だった。


カクタスは一歩近づき、首を横に振る。


「いや。間に合わなかった。すまない」


責める言葉ではない。

実際思っていたよりも随分と早かったのだ。


エリザベスは、腕の中のすやすやと眠る小さな命に視線を落とす。


「この子が生まれてすぐね、外で酷い音を立てていた風が、急に止まったの」


穏やかな声で、思い出すように続ける。


「吹雪も、少しずつ静まっていって……それを見て、安心してしまって」


小さく、うふふと笑った。


「そのまま、眠っちゃったわ」


カクタスは寝台のそばに腰を下ろし、

赤子を見つめる。


「ああ……そうしたらこの子のおかげで、朝にはここへ来られたということになるな。」


静かに息を吐く。


「ありがとうな。」


カクタスはそっと赤子の頭を撫でた。

エリザベスはただ、ゆっくりと頷いた。


しばらく、言葉のない時間が流れる。


カクタスはエリザベスの顔色を確かめ、

無理をしていないか、

痛みは残っていないか、

一つひとつ、目で確かめる。


「……大丈夫よ」


その視線に気づいて、エリザベスが言った。


「思ったより、ずっと楽だったわ」


安心させるように、

そして、信じさせるように。


そのとき、控えめなノックの音がした。


「失礼いたします」


扉が開き、

ローズが二杯のティーを盆に乗せて入ってくる。


香りの立つ湯気が、部屋に広がった。


「旦那様、奥さま。お疲れ様でございました。」


そう言って、静かに盆を置く。


「……もう、お名前は決まったのでございますか」


その問いに、

カクタスは一瞬だけ視線を落とし、

そして、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「この子の名前は、ヴァイスにしようと思う」


エリザベスが、そっと目を細める。


「偉大な魔法使いの名前だ」


ローズは、はっとしたように顔を上げた。


「ちょうど、氷の魔法を得意とされていた方ですね」


少し懐かしむように続ける。


「カクタス様が幼い頃、よく読まれていた絵本に出てきておりました。……確かに、ヴァイスという名でした」


カクタスは一瞬、言葉に詰まり、それから照れたように笑った。


「……覚えていたのか。なんだか、照れ臭いな」


ローズは小さく微笑み、それ以上は何も言わなかった。


部屋の中に、静かで暖かい空気が満ちる。


小さな寝息。

湯気の立つ紅茶。

夜を越えた朝の光。


こうして、ヴァイスはグレイシャー家の長男としてこの世界に名を刻んだ。

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