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春の風の中で
数年後。
桜の木の下で、二人は並んで座っていた。
ノートは、もう使われていない。
でも、二人のあいだに沈黙が生まれるたび、
それは“言葉の続き”として息づいていた。
真白が微笑んで言う。
「ねえ、覚えてる? 最初に交わした言葉」
夕は頷いた。
「“ありがとう”でも、“はじめまして”でもなかったな」
「うん。“——目が合った”だけ、だった」
二人は笑った。
その笑い声の中に、
あの日の雨音と、沈黙と、初めての名前の呼び声が混ざっていた。
——声があっても、なくても。
心が動けば、それが言葉になる。
桜の花びらが落ちる。
風が通り抜け、ページのように地面をめくっていく。
真白の指先が、夕の手を軽く撫でた。
それが、もうひとつの“声のない告白”だった。




