第9話 「森の中」
第2章 出会い編
あれからずいぶんと走り、ぼくらは森の中に入っていた。
まだ薄暗く、奇妙なほど静かだ。
木々は鬱蒼と行く手を阻んでいる。
しかしそれが外の世界であり、心の奥底で求めていたものであることは、疑いようもなく事実であって、手放したくない真実だった。
「疲れたね」
ロイが言った。
「うん、どこかで休もう」
ぼくは言った。
はち切れそうなほど足が固くなっていた。
これ以上走ればはち切れる。
はち切れたくはない。
適当な樹の下にいき、適当に土魔術で小屋を作った。
ぼくとロイが二人寝転べるくらいの四角い塊だ。
「ここで寝よう。狭いけど」
「十分だよ。それにもうなんでもいいさ」
珍しく、ロイは疲れているらしい。
こいつにも睡眠は必要なんだ。
小屋に入る。
四角い空洞、ただの。
床は硬い。
まあずいぶんと狭いけど、ぼくの魔力量じゃこれが限界だ。
これ以上は魔術を使えない。
魔術師というのは、基本的に杖か腕輪を使って魔術を使うのだが、それは魔石を介して魔力を増幅させることが出来るからだ。
何の魔道具も使わなければ、大した魔術も使えないし、すぐに魔力が枯渇してしまう。
「じゃあ、寝るよ」
ロイはあっという間に横になっていた。
いびきが聞こえる。
よほど疲れていたんだろう。
そりゃあそうか。
体験したことのない数日間だった。
もう二度とこれ以上のことは起こらないだろう。
ぼくは、小さな空気孔を残して小屋の入り口を塞いで横になった。
体中は傷だらけで、所々が腫れ上がっている。
今あるすべての魔力を振り絞り、ロイと自分に治癒魔術をかけた。
体の奥底から力が抜けていき、意識が朦朧とする。
それでもしばらくはフワフワと浮いているようで、漂っているようで、うまく寝付けなかった。
記憶をなぞる。
街を呑み込んだ城、紅の竜、青い光。
虹色の光景は溶け合い、過去に引き戻されたかのように、指先から繊細な手触りを感じた。
そして、夢の⋯⋯。
---
「ハルー?」
体が動いている。
いや、揺すられている。
「⋯ん」
目を開けた。
「おはよう」
ロイは言った。
「おはよう」
ぼくは言った。
体を起こす。
空気孔を見ると、光が入り込んでいるのが見えた。
朝だ。
「どのくらい寝てたんだろう、俺たち」
「さあ⋯⋯もう昼くらいかもしれない。
あとちょっとだけ寝させ⋯」
「だめ」
「え」
「だめ」
「⋯はい」
あとちょっとだけ寝させ⋯⋯。
「早くこの森を出ないと。
どんな魔物が出るかも分かんないんだから」
珍しくまともなことを言う。
「⋯⋯そうだなあ。とりあえず、外に出よう」
立ち上がる。
塞いだ入口に穴を開けた。
外は満天の青空だ。
緑の木々は光を受けて煌めき、風を受けて踊っている。
ぐう、という音が同時に鳴った。
「お腹空いたね」
「うん、死ぬ」
非常にまずい。
昨日は色んなことがごっちゃになって気づかなかったけど、とんでもなく腹が空いている。
空っぽだ。
スッカスカ。
このままじゃあ共食い不可避。
「なに?」
うーん、まずそう。
「ぼくは出汁とか出ないからな」
「え?」
「うん」
「そっか」
とにかく、なにかを食べなければ。
生き物なんてどうやって捕まえるんだろう?
やったこともない。
「ロイって生き物捕まえたことある?」
「あるよ。というか森へは毎日行ってたから」
「授業を抜け出して?」
「そうだね」
ロイは鼻を鳴らした。
大丈夫だろうか。
まあこいつは食材よりハンターの方が向いているだろう。
「喉も乾いたな」
ぼくは魔術で水を生成し、口に放り込んだ。
「ロイ、口を開けて」
「んあ」
再び生成し、放り込む。
これもあまり多用はできない。
喉が渇いたときだけだ。
とりあえず小屋を回収しよう。
ぼくは小屋に手を触れて、魔素に還元した。
前を向いたとき、黒い物体が前方にあるのに気づいた。
「ん?」
そいつはぼくたちよりも少しだけ背が高く、三本の大きな牙を携えた猪のような見た目をしていた。
「ロイ、魔物は捕まえたことある?」
「ない」
まずい。
動物ならまだしも、魔物は危険だ。
戦って勝てるのかすらわからない。
こっちが食われて終わるんじゃ⋯⋯。
足がすくむ。
そもそも、この大きさの魔物がこんなところにいるはずがない。
せいぜい小動物ほどの個体がいるくらいだ。
しかしあいつは馬くらいの大きさはある。
異常だ。
「どうする?」
「流石に俺も魔物は⋯⋯。
でも、この距離じゃ逃げられない」
ロイは腰を落とし、構えた。
「ハル、武器をくれ」
「ああ」
ぼくは、土魔術で先の尖った棒を作ってロイに渡した。
すぐに折れちゃいそうだけど、無いよりかは断然あったほうがいい。
魔物と目が合っている。
一秒たりともこちらから目を離さない。
ぼくも注意を逸らさないように、じっと見つめた。
いざとなれば攻撃魔術を使う。
でも手の震えが止まらない。
授業ではこんなこと習わなかった。
同じ年頃の子どもたちと模擬的に戦っただけだ。
それも実戦のためというより、ただ交互に撃ち合っただけ。
今なら分かる。
あんなものお遊びだ。
殺し合いに、先生はいない。
手加減はない。
一挙手一投足が命をさらけ出す。
裸の恐怖。
「ハル、大丈夫。あの竜を思い出すんだ」
ロイが言った。
そうだ。
竜に比べれば虫みたいなもんだ。
怖くなんてない。
一歩踏み出す。
ロイが先を行く。
一歩踏み出す。
震えを抑え⋯⋯。
そこで気づいた。
命の感覚。
空気にこびりつく、殺気の肌触り。
それが、滑らかに散らばっていくことに。
「⋯⋯」
立ち止まる。
「ハル⋯⋯」
「ああ⋯⋯」
「死んでるな」
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そいつはビクリとも動かず、中空を見つめていた。
つい先ほどまでは生きていたのか、いや、生きていたのだろう、力強く、地面を踏みしめ立っている。
警戒しつつ体の側まで近づいた。
側面に回る。
「⋯⋯う」
猛烈な吐き気が襲った。
口を抑える。
脇腹のあたりに大きな傷があったのだ。
目を逸らす。
「これは剣の傷だ」
ロイが言った。
「てことは⋯⋯」
「うん、人間と戦って逃げてきたんじゃないかな」
ロイは普段通りにしている。
相変わらず野生児だ。
「てことは⋯⋯」
「うん、近くに誰かいるかもしれない」
良かった。
ゲテモノを食わずに済んだのだ。
「あれ⋯⋯」
ロイが魔物の後ろ、森の奥を指さした。
何かが見える。
「行ってみよう」
ロイはそう言うと、あっさりと進んでいった。
ぼくは不安を押し殺し、ついていく。
少し進むと細い道に出た。
人工的に整備された場所のようで、真っ直ぐと森を貫いている。
そこには馬車があった。
速度を上げるための魔道具を搭載した、シンプルな作りのもの。
しかし馬はおらず、人間の姿もない。
「これは⋯⋯」
鼻をつまんだ。
強烈な刺激臭。
「ハル、地面を見るな」
「⋯⋯え」
もぬけの殻になった馬車を見つめる。
「見張ってて」
「ああ」
ロイは馬車に乗り込み、山ほどの袋を持ってきた。
「これは?」
「食料だよ」
やっと⋯⋯。
「うれしいけど⋯⋯早く遠くに行きたい⋯⋯」
苦しさが喉元までせり上がり、吐き出してしまいそうだった。
「うん、すぐに出よう」
ぼくたちは、逃げるようにその場を後にした。




