第8話 「逃走」
目の前が発光した。
視界が真っ白になった。
それは一瞬で、気づけば元の風景に戻っていた。
何かが突き刺したのだ。
真っ白い大きな槍のようなものが。
竜は悲痛な声を上げている。
誰かに助けを求めるような、誰にも求められないような叫びだった。
雨が降り始めた。
豪雨だ。
竜の傷を洗い流すかのように、凄まじい勢いを持って地面に浴びせかけている。
ぼくたちはまだ飛んでいる。
そろそろ魔力も尽きてきた。
着地を失敗して死ぬかもしれない。
体力も限界だ。
このまま逃げられるだろうか?
ドン、という衝撃が走る。
「ロイ⋯⋯」
着地していた。
ロイがぼくを抱えて。
足だけを使って。
「なんて体だよ、ほんと」
「ハル、ごめん」
ほんとだよ。
「まあ⋯⋯ありがと」
「いや⋯⋯こちらこそ」
ぼくは何だかこそばゆくなり、顔を背けた。
というか、違和感。
何か忘れていたような⋯⋯。
そうだ、炎だ。
炎の海だ。
さっき使った魔術では、到底安全な場所まで飛ぶことは出来なかった。
ぼくらは火だるまになる予定だった。
あたりを見渡した。
消えている。
炎の海は蒸発してしまったのか、あっという間に姿を消していた。
この雨のせいだ。
恐ろしいほど降り続けている豪雨がぼくらを助けた。
危なかった。
火だるまにならずに済んだのだ。
ぼくはホッとすると、周囲がやけに静かになっていることに気づいた。
雨音はある。
でもそれだけだ。
それだけが、悲しいほどに響いている。
竜のいた方向を見た。
暗くてよく見えない。
雲が空を覆っているせいで、微かな光すら届いていない。
雨はこだまする。
フッと光が灯るのが見えた。
竜の口元。
放出するわけでもなく、ただ、微かな炎を吐き出している。
暗闇の灯火。
夜、ぽつんと部屋を照らすロウソクの炎のような暖かみがあった。
そして気づいた。
竜の足元。
一人の人間が、立っていることに。
---
誰だ?
魔術師団の生き残り?
いや、なんとなく、そうではない気がした。
その人間は灰色のローブを纏っており、大きな杖を持っている。
魔術師だ。
細かくは見えないけど、兵士とは風貌が違う。
あいつがやったのか?
いや⋯⋯あんな魔術⋯⋯一人で扱えるわけがない。
威力も影響の範囲も異常だ。
混乱した。
何が起こったのかわからない。
今のぼくの知識では、何一つ整理はできなかった。
しかもなぜ動かない?
竜も魔術師も見つめ合ったままじっとしている。
お互いに牽制しているのか?
それにしても、竜は何かするはずだ。
何を考えているのか⋯⋯。
竜の口元、灯火が揺れる。
今にも消えてしまいそうな、かすかな命の揺らぎだった。
現れては消え、現れては消え⋯⋯。
そのときだった。
「グオオオオォォォォォォォオオオオオオ!!!!」
竜が叫んだ。
頭を高く上げ、翼を広げる。
炎は肥大し成長する。
夜明けをもたらすほど、煌々と⋯⋯。
中空に火種が飛んでいる。
炎が燃え広がっている。
太陽が昇った。
竜は、軽々と吐き出した。
風が吹き荒れ空気が燃える。
体が焼け焦げるような錯覚。
炎球は中空で止まった。
魔術師の上に結界が現れていたのだ。
薄赤色をしており、業火をすべて受け止めるほどの大きさだった。
炎は結界に衝突し、弾けるように消えた。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
ぼくらは唖然としていた。
動けなかった。
辺りは静かになる。
魔術師が、杖を空にかざした。
青い光が放たれる。
雨が停止した。
空中に、無数の水滴が浮かぶ。
時間が止まったように。
空を見上げる。
雨粒は、青い光を反射して、星のように輝いていた。
瞬いていた。
満天の夜空。
空気が震える。
螺旋を描くように雨粒は回転し、魔術師の杖の上へと吸い込まれていった。
小さな水の球が現れ、雨粒を取り込み、肥大化していく。
やがて一つとなる。
青き剣。
小さな雨粒の塊は、雲を突くほどの巨大な刃となった。
大地を穿つ刃となった。
切っ先は竜を睨む。
どこに行こうと逃げられない。
青い光は輝きを増す。
夜を青く染めたとき、杖は振り下ろされた。
剣は放たれる。
「行こう!!」
死の淵から這い出るように、ぼくたちは走り出した。
地面が揺れる。
竜の雄叫びが耳に響く。
それでも足を踏み抜いた。
ハッ。
ハッ。
ハッ。
呼吸の音を聴いていた。
恐怖を遮断したかった。
命を見つめていたかった。
気づけば、音は消えていた。
雨も止んでいた。
空気はひんやりと、肌を触った。
「どこまでいこう」
ロイは言った。
「空の果てまで」
ぼくは言った。
心臓は鼓動を増している。
裸の心が踊っている。
夜。
鳥が鳴いた。
満月が見えた。
自由に、なれた気がした。
第1章 逃走編 終




