第33話 「あの日のこと」
軽い頭痛を覚え、目が覚めた。
チクッと針で刺されたような痛み。
そしてすぐに消えていく。
「おはよう、ハル」
ロイが言った。
「おはよう」
ぼくは言った。
昨日、夜中に家に帰って、そのまま寝た。
恐らくもう昼過ぎだろう。
「ごはん、出来たわよ」
入口からスアンさんが顔を出した。
穏やかな笑顔だ。
「はーい」
ぼくらは言った。
‐‐‐
居間に入る。
すでにリンが床に座っており、真ん中には大きな鍋。
湯気が舞っている。
「おはよう」
リンが言った。
「おはよう。あ、ディーンさんも。どうしたんですか?」
「今日はご馳走と聞いてね。招待してもらったんだ」
彼は笑う。
暖かい。
良い匂いがする。
昨日は全然食べてないからお腹が空いた。
「ハル、ご馳走だよ!」
「うん」
朝からテンションの高いロイに面食らいつつ、鍋の周りに座った。
どんな座り方をすればいいのか分からず、結局かしこまる形になってしまった。
ロイはどっかりと座っている。
この家の主人のようだ。
もっと気を遣え。
それにしても大きな鍋だと思った。
何人も賄えそうなほどに頼もしい。
魔族は少食らしいし、ぼくらのために作ってくれたのだろうか。
「ありがとうございます。こんなにたくさん」
「いいのよ。最近、大物が獲れてね、早く食べないといけないの」
この村に来る直前、デカい魚が海面から打ち上がっていたのを思い出した。
「見ました! あれは食材だったんだ!」
ロイが声を上げた。
「たまにあんなのがいるのよ。魔力の影響ね」
「誰が獲るんですか?」
「みんな狩人よ? 男も女もね」
スアンさんはいたずらっぽく笑う。
「すごい!」
ロイは再び声を上げた。
確かに、人族からすれば考えられない。
あの巨大魚の狩猟には魔術を使っていたはず。
であれば、それなりの威力がいる。
それを村人全員か。
ぼくは生まれつきの才能を感じ、少しげんなりした。
にしてもあの魚は大きすぎた。
「あんなにデカいのも食べるんですか?」
「滅多にないわ。久しぶりの客人が来るから、神様が連れてきてくれたのかしら」
スアンさんはそう言うと、小さな茶色い器にトロッとしたスープを注いだ。
「ウッチャーラ・タバンナ」
「あり⋯⋯ウッチャーラ・タバンネン」
ぼくらはお椀を受け取った。
手のひらが温まる。
「あの人⋯⋯私の夫が、大切な日によく獲ってきてくれてたけどね」
「え?」
「大きな魚のこと」
さっきの話か。
「お父さんって確か⋯⋯」
「あら、聞いてたのね」
スアンさんはさらっと言った。
「やめてよ、食事中に」
「いいじゃない。家族の思い出だわ」
「やめて」
「リン」
スアンさんの声が響く。
「いい加減、前を向きなさい」
「分かってるから」
「分かってないわ」
空気が少し張り詰めた。
「ごめんなさいね」
スアンさんは微笑した。
なるべく気配を消しながら、ぼくはスープを啜った。
リンは一言も喋らなかった。
あっという間に食べ終わってしまった。
ロイは遠慮なくおかわりをしている。
すると、リンが立ち上がった。
「出てくる」
「どこに?」
「海」
それだけ呟き、さっと家を出ていった。
「もう⋯⋯」
「はは。いずれ立ち直るさ」
ディーンさんは言う。
「だと良いけど」
お父さんを亡くしたんだ。
それは辛いだろう。
でも何か、それだけじゃない気がした。
「リンは⋯⋯どうしたんですか?」
思い切って聞いてみた。
昨日聞いた『殺した』という一言。
そして、空の書への手がかりがそこにあるんじゃないか。
「こんな外から来た人間に話すことじゃないかもしれないですけど⋯⋯」
「⋯⋯まあそうね」
スアンさんは床に目を落とした。
しかし、ふっとこちらを向き、話し始めた。
「数年前くらい。
この村の長、私とリンの大切な人が死んだ。
全身傷だらけで、ひどい有様だった」
ぼくは相槌を打つ。
「家の中だったし、明らかに事故じゃない。
こんなこと、生まれて初めてだったわ。
誰かが誰かを殺すなんて」
少し声色が変わりつつも、また元の声に戻る。
「犯人はすぐに見つかったの。
何人も目撃した人がいてね。
その女は今、村の外れに住んでるわ」
女性。
というか、住んでる?
人を殺しておいて?
「えっと⋯⋯罰とかは?」
「村から追い出すのが罰。
リンが言ったのよ。『その人は犯人じゃない』って」
目撃者は多数いたけど、リンだけが否定したと。
「どうしてリンはそんなことを?」
「さあ⋯⋯でも、次に長を継ぐのはリンだから、みんな無下にもできなくて、結局妥協案みたいになっちゃったの」
それで追放か。
「だからこれで解決。
死んだ彼のことはみんな尊敬してたから、当然辛かったけど、徐々に前を向いていけるようになった。
でも、リンだけは、まだ立ち直れてないみたいで⋯⋯」
「何か、あるんですか?」
「うーん、最後に喧嘩してたからかなあ。
長を継ぐか継がないかでかなり揉めてて。
海の外に連れ出したのが間違いだったのかしら」
「『殺した』って、そう言ってました」
「どうでもいい責任を感じてるのね、まったく」
スアンさんは言う。
「今、村長は誰が?」
「私が代理でやってるわ」
「そういえば、お父さんが亡くなった頃から人族が来たって言ってました」
急に、ロイが口を挟んだ。
「そうね。それに関してもあの子はよく思っていないみたいね。
これも、もう終わった問題だろうけれど」
終わった問題か。
「空の書、ってお母さんも知らないんですか?」
ロイが言った。
「知らないわね。夫から聞いたこともなかったし、そんな言い伝えもないわ。
魔族の村ってあんまり知られてないから、適当な噂が流れたんじゃないの?」
「そうなのかなあ」
「死者の塔のことは、私たちもよく知らないから、無いとも言い切れないかも?」
スアンさんはいたずらっぽく笑った。
「私としては、あると思っているんだけどね」
「どうしてですか?」
「そうだな、またちゃんと話そうか。私の家に来るといい」
「家?」
「使ってない場所を借りてるんだ」
「そうなんですね」
素晴らしい協力者を得てしまった。
これでなんとかなるかもしれない。
「まあ、見つかったら教えてね。
別に興味あるわけじゃないけど」
スアンさんは笑った。
「それと」
ぼくらを交互に見る。
「リンのこと、お願いね」
⋯
ごはんを食べたあと、ディーンさんと外へ出た。
どうやら用事があるらしい。
海の近くのお墓。
リンは向こうの浜辺の方にいるのか、見当たらなかった。
「なにするんですか?」
「ちょっとね」
ディーンさんは小さな声で言った。
氷の木に沿って歩き、とある墓の前で止まる。
とても美しい形をしていた。
他のものは、近くで見るとどこか曲がっていたり欠けていたりしたけど、これはそんなところが一つもない。
見事だ。
ディーンさんは膝をつき、目を閉じた。
両手のひらを合わせる。
「リンの父親の墓だ」
「ああ⋯⋯」
ぼくも目を閉じた。
手と手を握り合わせ、祈りを捧げる。
ロイを小突き、同じことをするように促す。
波が弾ける音がする。
「彼らにはお世話になってるからね。お礼をしておかないと」
「よくここに来るんですか?」
「ああ、毎日ね」
すごいな。
どれだけの思いがあるのかはわからないけど、誰かのために毎日祈り続けるのは簡単なことじゃない。
見習いたいと思った。
ゆっくりと、ディーンさんは立ち上がった。
後ろを向き、歩き出す。
「よし、それじゃあ家へ行こう。
もし本気で探す気なら、見せたいものもある」
「はい、お願いします」
ぼくは答えた。
「やったね、ハル」
「うん」
何か手がかりがあるかもしれない。




