第29話 「愛の魔術」
アマラさんは前に出る。
黒いローブが風に揺れる。
ついに⋯⋯お手本。
そういえば、修行ではぼくが使う魔術を見せてくれただけで、アマラさんがどんな戦いをするのかは見たことがなかった。
ちゃんと観察して、吸収しないと。
「シフォンちゃんも手を出さなくて良いからね?」
「ああ、お前と同じでな」
同じ?
どういうことだろう。
「二人が戦うと、どっちが強いんですか?」
ロイがシフォンさんに聞いた。
そんなこと聞くもんじゃ⋯⋯。
「アマラだ」
即答だった。
「私など、指一本も触れられん」
そう言ったシフォンさんは、今まで見たことのないほどの笑顔だった。
信頼を帯びた、どっしりとした笑み。
長年の付き合いが記録されているような表情。
木々がざわめいた。
草がなびく。
どんよりとした空気がこの場を支配している。
盗賊は、高らかな声を上げた。
戦いが始まった。
風を切る音が空を駆ける。
放物線を描き、無数の弓矢が飛来した。
四方八方を埋め尽くし、すべての死角を奪った。
ぼくは辺りを見回す。
だめだ。
受けきれないほどの攻撃が迫っている。
遅れて、剣を持った男たちが向かってきた。
逃げ場がなくなるほど、ぼくらを取り囲む円が縮んでいく。
足が震えた。
魔物とは違う、明確な悪意に体を縛られていくように感じた。
人間の恐ろしさを感じた。
アマラさんは動かない。
そもそも武器も持っていない。
「アマ⋯⋯」
ロイが前に出ようとした。
シフォンさんが止める。
「問題ない」
男たちの下卑た笑みが迫る。
剣を掲げて野蛮な声を上げている。
死にかけで倒れている、格好の獲物を発見したような軽はずみな空気感。
光を受けて無数の矢が煌めいた。
落下を始める。
こちらを睨む。
まっすぐと、アマラさんの頭上に到達しようとしたそのとき、何かが前を掠った。
大きな、白い物体。
壁のように視界を覆う。
大きな影がぼくらを包む。
血しぶきが上がった。
ぼくは固まる。
空を飛び散る命の叫びが、四方八方に舞い上がる。
ぶちまけられて広がり弾ける。
時間が遅くなったように感じ、赤い雨粒が、空中に浮かんでいるように見えた。
服の袖を見た。
赤い斑点が染みている。
降り注ぐ矢は、もう一つもなかった。
全てが刺さっていた。
地面ではない。
ぼくらの周りを囲む、無数の魔物の体に。
「久しぶりね、みんな」
アマラさんが言った。
慈愛に包まれた、そのくせ乾き切った、空っぽの言葉。
三匹の巨大な白い狼、頭上を飛び回る四つの翼を持った鳥、人型のトカゲのような魔物。
それら全てが、彼女の盾となっていた。
血みどろの体を震わせて。
「これが⋯⋯」
「そうだ、人間以外のあらゆる生物を従える」
「愛の魔術」
シフォンさんは言った。
‐‐‐
盗賊は立ち止まっていた。
まるで理解していないようだった。
目前に雷でも降ったかのようなぽかんとした表情。
仕方がない。
ぼくも同じなんだから。
いまだに頭が整理されていない。
矢が飛んできたと思ったら、ぼくらの周りに魔物が現れた。
森から出てきたのだろうが、とんでもない速度だ。
アマラさんは魔物たちの頭を撫でている。
まるで飼っているようだ。
「さあみんな、あの人たちをやっつけちゃって」
その瞬間、白狼が牙を向いた。
咆哮とともに、盗賊に襲いかかる。
反応なんて出来るはずもないスピードだった。
咄嗟に矢が放たれた。
さっきよりも数は多い。
だが、空を飛ぶ鳥の魔物が全て受け止めている。
その度に甲高い鳴き声が響いた。
⋯⋯何かがおかしい。
魔物が盾になっている、叫び声を上げている、しかし、それでもなお、動き回っている。
耐久力が異常だ。
「打たれ強すぎませんか?」
「それも魔術の力だ」
なるほど、従えるだけじゃなく強化までしてしまうのか。
道理で倒れても倒れても起き上がるわけだ。
無限の盾であり、無限の矛。
「魔物の命なんぞこれっぽっちも気にしない、あいつだからこそ出来る芸当だな」
シフォンさんは言った。
呆れたような顔をしていた。
アマラさんは一つも傷を負っていない。
手出しすらしていない。
魔物が戦っているだけ。
しかし、こんなこと、他に誰が出来るだろう?
盗賊たちはすでに、全身に矢が刺さった白狼に殲滅させられていた。
あっけなく、周囲に死体が転がっている。
ムシャムシャと捕食されている。
「終わったわね」
アマラさんが言った。
ローブには一滴の血も飛び散ることもなく、もちろん、手も赤く染まっていない。
本当に呆気なく⋯⋯。
そう思った瞬間、森がざわめいた。
地鳴りのような衝撃が響く。
魔物たちもざわめいた。
しかし、流石に体力がなくなってきたのか、動きは鈍重になっている。
もう瀕死なんだ。
ぼくは振り向き、空を見上げた。
大男だ。
巨大な剣を持った大男がアマラさんの背後に向かって跳躍していた。
逆光に染まり、黒い石像のように見えた。
「アマラさん!!」
ぼくは言った。
遅い。
後頭部めがけて男は剣を振りかぶる。
「獲ったァァ!!!!!!!」
剣先が煌めいた。
『大蛇』
地面が盛り上がる。
小さな丘が現れる。
大地が割れた。
出現したのは、大樹のような蛇。
一直線に空を刺し、大男を丸呑みにした。
そして何事もなく、ゆっくりと、地中に戻っていく。
ぼくは口が開いていた。
何も言えなかった。
これが魔女。
これが、愛の魔術。
「終わりね♡」
アマラさんは微笑んだ。
⋯⋯ぼくは、ここまで辿り着けるのだろうか。
どれだけ未来を眺めても、そんな自分は見当たらない。
遥か高み。
「アマラ、ご苦労だった」
「ええ、久しぶりでちょっと疲れちゃった」
「何もしてないだろう、お前は」
「これでも魔力を使うのよ?」
二人は笑っている。
その姿が、ぼくには眩しく光って見えた。
「ハル」
ロイが言った。
「ああ、ぼくたちもあそこまで⋯⋯」
どこまでかかるのかは分からない。
でも、見てみたいと思ったんだ。
頂上からの景色を。
「じゃあみんな、もう帰っていいわよ」
アマラさんは魔物たちに言った。
名残惜しそうに鳴いていたのが、ちょっとだけ不憫に思えた。
「帰りましょうか」
「はい!」
ぼくらは館に向けて歩き出した。
疲労が溜まっている。
足取りは重いが心は軽い。
今日はぐっすりと眠れるだろう。
二人にも感謝だ。
「アマラさ⋯⋯」
ん?
なにか、違和感。
まだ昼過ぎだよな。
辺りが暗い。
空を見上げた。
そこにいたのは、タイタン。
その影で、夜をつくるほど巨大な、人型の魔物だった。
「あら、もう終わっちゃったわよ?」
アマラさんは言った。
タイタンは、悲しそうに鳴いた。




