第18話 「二人だけの世界」
「え」
「⋯⋯」
「もう一回言って?」
「東京」
「トウキョウ?」
「トウキョウ」
トウキョウ⋯⋯うーん⋯⋯聞いたことがない。
帝国よりかなり東の方なのか。
でも、そこからなんでこんなところにきたんだろう?
それから彼女は、フフっと嬉しそうに笑った。
「聞いたことないでしょ?」
「え? いや⋯⋯まあなんとなく? は聞いたことあるような⋯⋯うん」
「君は嘘が下手だね」
「先生みたいに!」
ぼくの嘘はバレやすいらしい。
「だって、この世界に存在しない場所だもん」
「? どういうこと」
「そういうこと」
「え?」
「つまりね⋯⋯私」
「違う世界からきたの」
あ、そういうことね。
どういうこと?
「何を言っているの?」
大丈夫だろうか?
そんなに辛かったのだろうか?
自分はこの世界の人間ではないと思わなきゃならないほど、彼女は追い詰められていたのだろうか?
「そういうことだって」
でも、レイナの口調は何だか明るくて、とても辛そうには聞こえなかった。
少なくとも、追い詰められているようには。
だめだ。
わからない。
「違う世界って?」
「といっても、私もよくわかってないんだけどね。
なんか気づいたらお城の中にいたの」
「あー」
あー???????
「あ! あれね、あの、さっき家を出たと思ってたのに気づいたら学校に着いてた、みたいな」
「ちがう」
頭がクラクラしてきた。
「あーあれか! 気づいたら近所に新しい教会が建ってたってやつ?」
「ちがう」
う⋯⋯頭が痛い。
「じゃあベッドに入ったと思ったらもう朝だったみたいな?」
「それはそうかも」
何を言ってるんだ。
まあ、これ以上深堀りするのはやめとこう。
きっと触れちゃいけない部分なんだ。
闇を感じる。
「⋯⋯よし、わかった。一旦認める」
「うん、こっちも証明する手段がないし」
彼女も辛かったんだろう。
「それで、どんな場所だったの?」
「そうだね⋯⋯この世界よりもっとたくさん人がいて、この世界よりちょっとだけ平和で、この世界よりずっと悩んでる人が多かったかな」
「へえ⋯⋯それって、良い世界なの?」
「わかんない」
かすかに笑い声が聞こえた。
吐き捨てるような笑いだった。
「レイナはどんな生活してたの?」
「普通の家庭だったよ⋯⋯あ、普通っていうのは、毎日ごはんが食べられて、学校に行って、友達と遊んで、みたいな」
「学校はこの世界のものと違うの?」
「似たような感じ。でも、もっとたくさん人がいて、その国に生まれた人ならみんな通わないといけないの」
レイナは言った。
「みんな⋯⋯それはなんというか⋯⋯大変そうだね」
「うん、でもそれが楽しい人達もいるみたい」
廊下には、夜が迫ってきている。
「私は幼い頃から人と喋るのが苦手で、でも勉強はできたから、それだけは頑張ってた。
そうすれば、先生でも、友達でも、家族でも、誰かが褒めてくれた。
でもそれ以上はない。
でも頑張った。試験にだけは受かろうって」
彼女は続ける。
「それで受かったんだよ。
でも、周りはすごい人たちばかりで、褒められるために勉強してた私はついていけなくって、もう何もかも、嫌になった」
ぼくと似ている。
「そんなとき、この世界に飛ばされて、気づけばお城の中にいて。
怖い人達に攫われて、知らない人たちに助けられて、この家に来た。
言葉も分かんないし、そもそも何が起こったかもわかんなかったら私はもう、孤独だと思った。
このまま死ぬんだと思った」
鼻をすする音。
「でも先生は良い人だった。
だから頑張った。生きなきゃと思った。
ちょっとだけ先生と話すようになって、本を読んで言葉も覚えて、それから顔を合わせなきゃ他の人とも喋れると思ったから、先生にお願いして礼拝堂で働かせてもらった」
声が震える。
「私、頑張ったんだよ。この世界で生きるために」
「頑張ったんだよ」
ぼくは何も言えなかった。
胸が締め付けられるだけで、口は動いてくれない。
「ハルくんもありがとね」
「⋯⋯いや⋯⋯ぼくは何も⋯⋯」
「違うの。ハルくんが毎日礼拝堂に来てくれたから、喋るのがどんどん上達していって、それから、人と話すときに緊張が減ったんだ」
「そっか。でもそれはレイナの努力だよ。
ぼくこそ、レイナと話せて楽しかった」
「⋯⋯うん⋯⋯ありがとう」
夕食の準備をする音は、いつしか消えていた。
心地の良い静けさが廊下を包む。
永遠のような時間が過ぎた。
お互い、何も話さなかった。
その時間は心地よく、二人の心は溶け合うようで、ドア越しに感じる彼女の気配をぼくは、背中で確かめ続けていた。
レイナは、きっともう大丈夫。
ぼくは立ち上がった。
ドアに体を向ける。
もう怖くはない。
向こうに、彼女が待っている。
ぼくも、ここにいる。
息を吸った。
ゆっくりと吐いた。
手を伸ばす。
取っ手を握り、開ける。
第2章 出会い編 終
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