第15話 「前祭」
「今日は前祭だね」
ある昼の食事中、先生は言った。
前祭とは生に感謝するお祭りだ。
反対に後祭は、死者に感謝するお祭り。
「私は教会でやることがあってね。
みんなで行ってきなさい」
「そうですね」
ぼくは言った。
「私、参加したことないから楽しみ」
レイナは言った。
「そうなんだ。もの凄い人がいてちょっと疲れるけどね」
「えーそっかあ」
彼女は笑う。
「ロイは?」
「俺はいいかな」
二人きりってこと?
「一応全員参加なんだがね⋯⋯まあ強制はしないさ」
普通は『行きなさい』と言われるところだけど、こういうところに寛容なのが先生だ。
その心は、あの庭ほども大きい。
だけどロイは心配だ。
朝から晩まで思い詰めたように剣を振っていて、壊れてしまうんじゃないかというところまで来ている。
「じゃあ二人だね」
レイナはこちらを見て、言った。
「あーまあそうなるね」
ぼくは言った。
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屋敷を出て、外区にある中央広場へ向かう。
そこは市場や宿が密集している場所で、王都にいる庶民の中心地になっている。
また、大きな教会も広場の付近に存在している。
外区に入り大通りに出ると、お祭りに向かう人たちが街を埋め尽くし、遠くが見えなくなってしまうほどだった。
年に一度の行事だから仕方ない。
レイナとはぐれてしまわないか心配だ。
「すごい人だね」
レイナは言った。
「うん、どんな気分?」
「ちょっと疲れるかも」
彼女は笑った。
「見て! 光ってる!」
彼女は、きれいに澄んだ青空に右手を掲げ、そう言った。
手には指輪が嵌められていて、太陽の光を受けて煌めいている。
宝石のようだ。
前祭ではエステルの指輪に因み、思い思いの指輪を嵌めて信徒が祭りに参加する。
先生から二つ預かり、ぼくらは右手の人差し指にそれを通した。
「良い匂い」
レイナは言った。
道に立ち並ぶ露店から、魚や肉の香ばしい香りがする。
さっきお昼ご飯を食べたばかりなのに、何だかお腹が減ってきた。
祭りの高揚感のせいだろう。
今日はもういくらでも食べられる気がする。
「食べてみる?」
ぼくは言う。
先生からお小遣いを貰っていた。
「うん、食べたい」
露店はたくさん人が並んでいて、待つだけで少し疲れた。
「二つください」
「あいよ」
ぼくがお金を渡すと、大柄の店主は人の良さそうに微笑んだ。
「幸せそうな二人組じゃねえか」
「は、はあ」
ぼくはドギマギする。
レイナは俯いていて顔が見えない。
「あい二つだね」
ぼくらをそれを受け取ると、そそくさと道に戻った。
会話はなかった。
気を取り直し、中央広場を目指す。
「豚肉と野菜と⋯チーズがパンに挟んであるね」
妙に説明くさい言葉を発する。
「うん⋯⋯美味しそう」
確かに美味しそうだった。
ぼくはたまらずかぶりつく。
シャキ、と水々しい野菜の音、肉汁溢れ出すお肉、トロッ、と全てを包み込むチーズの温かさ。
「う⋯おいし!」
レイナは声を上げた。
「うん、これはうまい⋯⋯いろんな食べ物が合わさってて⋯⋯」
「まるで宝石箱みたい!」
レイナはパンを見つめながら言った。
太陽よりも、眩しい笑顔だった。
帰りにもう一度買おう。
そのころにはお腹が空いているはずだ。
いや空いてなくても買おう。
「帰りにまた買お!」
レイナは言った。
「うん、買おう」
ぼくは言った。
また一段と人が増えてきて、次第に日が沈んできて、なるべくレイナと離れないように、少しだけ、近づきながら歩いた。
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中央広場まできた。
先生の庭ほどもある広場は、あと少しですべて埋まってしまうほどだった。
周囲の宿屋や建物にも、たくさんの人たちが押し込められ、窓から広場を見守っている。
広場の中央には高台が設置されており、そこには大衆に語りかける司祭が立っていて、広場全体を見渡せるようになっている。
「近くに行ってみよう」
「うん」
人混みをかき分けて進む。
レイナはぼくの袖を掴む。
体の小ささもあってか、少しだけ前に進めた。
ここなら司祭の声が聞こえると思う。
十分ほど時間が過ぎた。
「お集まり頂きありがとうございます」
司祭が言った。
落ちていく夕日が綺麗だった。
「まずは、今日を生きている我々に、祝福を捧げましょう」
司祭がそう言うと、横から女性が現れた。
その人は、持っている小さな杖を空に掲げた。
炎が打ち上がる。
キラキラと輝きながら上昇し、それから穏やかに散った。
空に赤い花を咲かせたようだった。
レイナの目が、赤く染まる。
ぼくはそれを見つめている。
かすかな静けさの後、拍手が巻き起こった。
広場は踊る。
「それでは、今から『誓いの儀』を執り行います。
私が投げる指輪を受け取った者は、壇上に上がってきてください。
その者が今回の誓いの代表です。
投げる方角は、最も手が挙がっている場所へ」
広場がどよめいた。
無数の手が空を埋め尽くし、まったく前が見えなくなった。
ぼくらも慌てて手を挙げる。
「では」
一瞬だけ声が聞こえ、広場から音が消えた。
そして、ぼくの目の前、無数の手が生えている空の隙間、指輪が煌めくのが見えた。
騒音がのしかかる。
密集するように人間が地面に集まる。
再び煌めき。
鳥のように空高く舞っているそれは、美しい放物線を描き、自分の巣に帰るようにレイナの手に収まった。
周囲の視線が集まる。
「え」
レイナは固まる。
そのときだった。
「キャアアアアアアア!!!!!」
悲鳴が上がった。
「悪魔の子!! 悪魔の子よ!!」
まるで呪いにかけられたような、恐怖に引きつった顔をした婦人がこちらを指さしている。
レイナを指さしている。
呪いは伝染する。
「あんなやつに渡すな!!」
「あのアザ、呪われてるわ!!!」
「早く消えて!!!!」
「取り返せ!!!!!!!!」
荒波のように人間が迫ってきた。
その顔は、人間のあらゆる憎悪を押し固めたような、醜悪な仮面に見えた。
「レイナ!!」
ぼくは叫ぶ。
彼女の手から指輪を奪う。
遥か彼方に投げ捨てた。
「おい!!」
「指輪はどこだ!!」
「あっちにいったぞ!!」
あっという間に興味を失い、指輪の方向へと、人波は押し返した。
レイナは片手を上げたまま固まっている。
ぼくはその手を取って走った。
人混みを抜ける。
広場を抜ける。
街を抜ける。
行き交う視線。
あの日のことを思い出す。
ロイと走って逃げたあの日。
でも今は違う。
あんな高揚感じゃない。
ただ、狂いそうなほど頭が熱い。
ぼくは心を落ち着けるように握った手を強めた。
震えていた。
弱っていた。
消えてしまいそうだった。
レイナの方が辛いんだ。
ぼくよりも、何倍も、辛いに決まってる。
弱ってちゃいけない。
強く、強くいよう。
どのくらい走ったのだろうか。
どこにいるのだろうか。
お祭りのためか、人気は一つもない。
立ち止まり、周囲を見渡した。
誰も使っていないような空き家があった。
ぼくらはそこに、逃げ込んだ。
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家の扉を背に、二人並んで座る。
そこは一階建ての家で、中には何も無かった。
もう夜が訪れていて、ガラスのない窓からは満月が覗いている。
夜風が体を震わせる。
びゅう、という音が響く。
それからしばらくは、何の音もしなかった。
「レイナ」
ぼくは言った。
「⋯⋯」
彼女は答えない。
今、何を考えているんだろう?
何を思っているんだろう?
必死に頭を使っても、何も出てはこなかった。
今まで以上に空いた二人の距離が、どうしようもなく辛かった。
「ごめんね」
レイナは言った。
「え?」
ぼくは言った。
混乱した。
辛いのは彼女の方で、ぼくは何もされていない。
「⋯⋯」
彼女は何も喋らない。
ぼくは、暗闇の中を彷徨うように、彼女の心を探した。
命のように儚い光を発するそれは、一度見つけただけじゃ追いつけない。
どれだけ歩み寄ろうとしても、どれだけ手を伸ばしてもいつまでも、追いつけない気がした。
冷たい風が吹く。
「⋯⋯ハルくんにも⋯⋯辛い思いをさせたから」
彼女は言う。
「いや⋯⋯そんなことないよ⋯⋯」
ぼくは言う。
『大丈夫だよ』、『心配しないで』、『元気出して』、『前を向こう』⋯⋯。
無数の言葉が浮かんだ。
でもそれらは空っぽで、脆くて、突つけば崩れてしまいそうな、安物の言葉だった。
ぼくは下を向く。
讃美歌が聞こえてきた。
前祭の最後に唄う、締めくくりの歌。
「神様は、救ってくれないんだろうね」
彼女は言った。
「⋯⋯そんなことないよ」
安物の言葉。
「だったらさ!! なんで私たちはここにいるの!?
なんで私はここにいるの!?」
「いや⋯⋯だから⋯⋯時間がかかるんだ」
「どうして!?」
「⋯⋯それは⋯⋯みんな平等だから⋯⋯レイナもそうさ」
安物の言葉。
「私は」
「あなた達とは違う」
その声は、氷のように冷たく、槍のようにぼくを、貫いた。
レイナは立ち上がる。
「まっ⋯⋯」
「一人にさせて」
その言葉に逆らうことはできなかった。
どうするべきかも分からなかった。
扉の閉まる音がする。
讃美歌が空しく響く。
満月は、ぼくの孤独を笑う。




