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アル≒テミス  作者: 谷 風汰
第2章 出会い編

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第14話 「心の距離」

 いつもの授業が終わり、ぼくは街を散歩していた。

 一年も経てば街の地形にも慣れてくる。

 あちらこちらにある礼拝堂や大きな教会がこの区のシンボルだ。


 教会区は、王城や貴族街がある区画を取り囲むように五つの区に分かれている。

 ここは第二教会区。

 それぞれの区の中心には大きな教会があり、周辺にはいくつかの礼拝堂が建てられている。


 讃美歌が聞こえてきた。

 白い服を着た女性が広場に集まり、空を仰ぎながら唄っている。

 石畳を歩く蹄の音が、控えめなリズムを添える。

 鳥が鳴く。


 街の至るところに音符があって、一つ一つが縫われていくように、重なっていた。


 空気の匂いを嗅いだ。

 ふんわりと鼻に広がる。

 かすかに焼き立てのパンの匂いがした。



 しばらく歩き、礼拝堂の前まで来た。

 クラリス領のものには入ったことあるけど、ここはない。

 行ってみよう。

 心のモヤモヤを晴らしたかった。


 扉を開け、中に入る。


 そこには、十脚ずつの長椅子が二列で縦に並んでいて、その真ん中を深紅のカーペットが走っていた。

 部屋の壁には細長い窓がいくつも並んでいる。

 さらに正面奥の壁、祈る場所のその先は一段だけ高くなっており、そこには聖楽器や、パードレ様が聖典を読むときに使う台などが置いてある。


 僕は段の前にある『祈りの椅子』まで歩を進めた。


 意外に人が少ない。

 僕とあと一人しかいない。

 その人物は祈りの椅子に座り、ちょうど祈りを捧げているところだった。

 肩まで伸びた黒髪、どうやら女の子らしい。

 僕は何となく立ち止まって、その光景に目を凝らす。


 世界が変わった。


 驚くほど対称的に並べられた二列の長椅子と、その間を伸びるカーペットの先端にポツン、と設けられた小さな椅子。


 祈りを捧げる黒髪の聖女。


 礼拝堂に満ちる光は太陽から放射されているのではなく、彼女から発せられているのだと、そう思った。


 彼女は立ち上がる。

 ぼくは急いで扉から出る。


 そのまま早足で、その場を離れた。



---



 レイナだった。

 彼女は祈っていた。

 椅子に座り、頭を屈めて。


 どうして出てきた?

 チャンスだったのに。

 あの場なら、話せたかもしれない。


 ぼくはそのまま小一時間悩み、道の中央に突っ立っていた。


 そして決意した。

 行くしかない。


 礼拝堂の前まできた。

 扉の取っ手を握る。

 冷たい。 


 開けた。


 そこには誰もいなかった。

 ただ、日の光が差し込んでいるだけ、ただ、カーテンが風になびいているだけ。


 遅かった。


 ぼくは落ち込み、そのままゆらゆらと礼拝堂の中に入った。

 カーペットを進み、『祈りの椅子』の前に立つ。


 彼女は、何を祈っていたのだろうか?


 右の壁の方を見ると、四角い小部屋があった。

 その扉には『悩みの部屋』と書かれている。


 誰かいるのだろうか?


 ぼくは、このモヤモヤをぶつけたくて、気づけばその部屋の中にいた。

 そこは衝立で仕切られており、お互いの顔が見えないようになっていた。


「どうぞ、何でも申し上げてください」


 女性の声がした。


「えっと⋯⋯一緒に住んでいる同年代の女の子がいて⋯⋯それで⋯⋯中々話しかけられないんです」

「⋯⋯」


 返答はない。


「えっと」

「⋯⋯そうですか⋯⋯それは大変ですね」


 そんな他人事みたいな!


「いや⋯⋯なので⋯⋯どうすればよいのかと」

「そうですね⋯」


 歯切れが悪いな。

 というか、何か聞き覚えのあるような⋯⋯。


「話しかければ良いのです」

「分かってますよ」


 初めて入ったけど、こんな感じなの?


「あ⋯⋯すいません」

「いえいえ」


 女性の声がしおらしくなる。


「そういうときは⋯⋯まずお食事に誘えと、本に書いてありました」

「本に? なんという本ですか?」

「⋯⋯? えっと⋯⋯『なんとかが教える恋愛大全』⋯⋯みたいな?」

「はあ」


 というか、本、と聞いて閃いた。

 壁に耳を押し当てて聞いていた、先生と話しているあの声⋯⋯。


「あの⋯⋯もしかして」

「なんでしょう?」

「レイナさん、でしょうか?」


「違います」



---



「嘘です⋯ごめんなさい」


 彼女は謝る。


「いや、別に謝らなくてもいいんだけど」


 ぼくは言う。


 沈黙が流れる。


「⋯⋯そういえば⋯⋯初めて話すよね」

「⋯⋯はい」


 彼女の言葉は、少しぎこちなかった。

 でも、思ったよりはしゃべってくれた。

 顔が見えないからだろうか。


「えーと⋯⋯先生の家での暮らしはどんな感じ?」

「⋯⋯良い人だと」

「あはは。ぼくもそう思う」

「⋯⋯」


 どどどどうしよう。


「⋯⋯」

「⋯⋯」


 数分経った。


 まずい。

 こんなとき、どうすればいいのだろう。

 先生には教わっていない。


 結局、沈黙に耐えられず、部屋を出てしまった。


 彼女はまだ礼拝堂に居なきゃいけないらしく、ぼくは一人、帰路についた。

 心臓がドキドキしていた。


 あんな感じでよかったのかな?

 いや、だめに決まっている。


 グルグルと後悔が巡った。

 さっき話したことをなんどもなんども反復する。


 気づけば、家の前にいた。



 翌日の同じ時間、ぼくは再び礼拝堂に行った。

 彼女はあの部屋にいた。


 緊張した。

 赤くなった顔を、彼女に見られなかったのが救いだった。


「⋯⋯好きな食べ物ってなんですか?」


 何を聞いているんだぼくは。


「⋯⋯え⋯⋯りんごとか」


 彼女は言った。


「へえ」

「⋯⋯」


 をを⋯⋯ロイを連れてくれば良かった⋯⋯。

 いやそうじゃない。


「先生って料理上手だよね」


 絞り出す。


「⋯⋯そうですね⋯⋯すごいと思います」

「すごいよね」

「⋯⋯」


 会話は終わった。

 たった数言、たったそれだけで全ての体力を使い果たした気がした。


 自分が情けない。  


 ぼくはそそくさと部屋を出て、礼拝堂を後にした。

 街にはあまり人がおらず、寂しさを埋めるように家に帰った。



 その翌日も行った。

 相変わらず彼女はいた。

 少しだけ、緊張は減った気がした。


 そのまた翌日も行った。


 そしてまた翌日。


 翌日。


 翌日⋯⋯。



---



------



---------



------------



「昨日さ、ロイが訓練してたんだけど、やっと先生に剣が当たったんだ」


 ぼくは言った。


「⋯⋯すごいですね」


 彼女は言った。


「前はまったく当たらなかったから」

「⋯⋯」


 ⋯⋯。


「剣術はやるんですか?」

「ぼく? ちょっとだけね。

 でも、魔術のほうが楽しいかな」


 ぼくは笑った。


「本が好きなんだよね?」

「⋯⋯そうですね」


 彼女は答える。


「言語や歴史が好きだなんて、変わってるね」

「⋯⋯いえ」



---



「ハルくんって、昔どこに住んでいたんですか?」


 彼女は言う。


「クラリス領っていうところだよ。

 ロイのお父さんが治めてたところ」

「へえ、すごいですね」


 彼女は言う。


「一度そんなところにいってみたいです」

「⋯⋯ぼくは⋯⋯戻りたくはないかな⋯⋯」

「あ、いや、ごめんなさい⋯⋯」


 彼女は謝る。



---



「先生、シロに嫌われているよね」


 ぼくは言った。


「そうそう、毎回手を噛まれるんだよね」


 レイナは笑う。


「この前なんて、帰ってきただけで吠えられてたよ」

「なんでだろ」


 ぼくも笑った。


「ハルくんはさ、勉強熱心ですごいよね」


 彼女は言う。


「まあね」


 カッコつける。


「あ、そろそろ帰らないと。ちょっと待ってて。

 帰りの準備してくるから」


「うん」



------------



---------



------



---



「隣、座ってもいい?」


 彼女は、長椅子に座っているぼくに言った。


「いいよ」


 ぼくは言った。


「⋯⋯ハルくんはさ、何とも思わないんだね」

「何のこと?」

「右目のアザのこと」


 彼女は、俯きながら言う。


「あーまあね」


 カッコつけた。


「そうなんだ。変わってるね」


 彼女は僕の目を見て言った。

 以前感じた弱々しさは、もうその目には映っていない。

 強い人だと思った。


「ここは良いよね。心が洗われるみたい」

「⋯⋯そうだね」


 ぼくは答えた。


「神様って、ほんとに救ってくれるのかな?」


 彼女は言った。


「信じてないの?」

「うーん⋯⋯全てを信じてるわけじゃないけど、信じたいものはある、かな」

「信じたい? 何を?」


「祈りを」


 そう言った彼女の声には、願望と諦めが同居しているような気がした。


「『祈りの椅子』って、何でそう呼ばれてるか憶えてる?」

「え⋯⋯」

「何で椅子に座るのか、っていうこと」

「⋯⋯」

「あっ、突然言われても困るよね。ごめんごめん」


 彼女は謝る。


「正解は?」


 僕は聞く。


「正解は⋯⋯なんだっけ?」


 彼女は、照れくさそうに笑う。


「そうだ。思い出した。

 一人目の聖者ラザリエの無事を、彼の妻が椅子の上で祈ったから、だったね」


 それだ。

 思い出した。


「『エステルは祈った。魔神の寵愛を彼がその身に受けんことを』」

「第十四章第三節」


 初めて、彼女に触れたような気がした。


「『エステルの指輪』も良いよね」

「確か⋯⋯彼女が予言とともに魔神様から貰った指輪」

「そして、旅立ちの瞬間に彼に託した」


 その指輪は今や魔神教の紋章になっており、この礼拝堂の正面の壁にも大きく飾られている。


「『祈り』ってなんだと思う?」


 なんだと思う⋯⋯?

 難しい質問だ。


「うーん、はは。何だろうね」


 僕は笑って誤魔化した。


「『誤魔化し』だと私は思う」

「え?」

「誤魔化すしかない、逃げるしかないから祈るんだ。

 きっとエステルもそうだった」


 僕は、どのような意図でそれを言っているのか、よく分からなかった。


「でも、信じたいんだよね?」


 僕は聞いた。


「うん。だから信じたいんだ」


 彼女は真っ直ぐと言った。 

 僕は、何も言えなかった。


 

 それから礼拝堂を出て、一緒に屋敷へ帰った。

 道は長かった。


 隣に並ぶぼくと彼女の間には、少しだけ距離が空いていて、そこに踏み込まないように、なるべく触れないように、でも歩調だけは合うように、夕焼けの中を、歩いた。

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