第10話 「髭男」
森を走る、細い道を進んでいく。
ここ最近に何度も使われた形跡があるが、あの馬車もその一つだったのだろう。
「干し肉に⋯⋯パンに⋯⋯乾燥させた果物かな?」
ロイが袋をガサゴソと触っている。
「やった⋯⋯これで生き延びられる」
ぼくは言う。
「そうだね。でもこのくらいで足りるかどうか」
「森を抜けてからどうするかも考えないと」
僕らはとりあえず、石のようなパンを取り出し、ひとくち食べ、道なりに進んでいくことにした。
日が落ちてきた。
ここでまた魔物が出てきたら危ない。
さっさと小屋を作って寝ることにしよう。
こうしていくつかの夜を超え、頼りない食料を頬張りつつ、どこかもわからない目的地を目指した。
所々で道がいくつも分かれたり消えかかったりしていたが、分かるはずもないので適当に進んだ。
祈るしかない。
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食料が尽きかけてきたある日、馬の足音が聞こえた。
ものすごい速さだ。
ロイがぼくを掴んで森に隠れる。
「なにかな?」
ロイが言う。
小声だ。
「さあ⋯」
茂みに隠れ、地面にうずくまる。
両手で口を塞ぐ。
足元の草が、ぼくを追い立てるようにひらひらと体に触れる。
地面を激しく打ち鳴らすような音は背後に回り、怒涛のスピードで駆け抜けていく。
かなりの数だ。
しばらく経ち、蹄の音は消えていった。
なんだったんだ?
いきなり過ぎて反応が出来なかった。
もう行ってしまったようだ。
仕方ない。
再び道に戻ろう。
立ち上がろうとしたそのとき、そよ風のような、かすかな違和感を感じた。
頭上を見る。
「何をしているのかね?」
逆さまになった髭面の顔があった。
「うああああああああああああああ」
ぼくは叫び声を上げ、跳び上がり。前方に逃げる。
勢いをつけすぎて目の前にあった木の幹に激突した。
「⋯⋯い゛っ!!」
おでこをさする。
血は出ていない。
そしてハッとし、細い道の方を見た。
さっき見た髭面の男が、棒立ちでこちらを見ていた。
その黒髪は肩まで伸びており、鼻の下、顎の髭と見事に調和することで、錬金術のように怪しさを増幅させていた。
凪のように静かな目はすべてを見透かしているようだった。
「何をしているのかな?」
男は言う。
どうする?
道に迷っているんだと素直に言おうか?
見た感じ、賊のような者には見えないし、服装はちゃんとしている。
やはりさっき通った人たちの仲間だろうか?
よし、ここは⋯⋯。
「あんたは何だ?」
ぼくは言った。
まずは相手が誰なのかを⋯⋯。
「私かね? そうだな⋯⋯」
男はこちらを見つめ、言った。
「迷子だ」
お前もか。
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わからない。
整理しよう。
わからない。
「何なんですか? あなたは」
ぼくは言う。
「私は⋯⋯まあそうだね⋯⋯なんと言ったら良いのか⋯⋯」
男は斜め上を見て、思案している。
長い髪や髭は『どうでもいいさ』という風にゆらゆらと揺れる。
「調査に来たのだ。
知っているだろう。あの事件について」
ロイがこちらを見る。
「それで⋯⋯道に迷ったというのは?」
「仲間と来ていたのだが、気づけば一人、というわけさ」
男は言う。
風のように爽やかに。
「さっきここを通った人たちは関係ないんですか?」
「ない。やつらを尾行すれば、とりあえず見晴らしの良い場所に行けると思ってね。
まあ、足じゃ無理だったが」
何を言ってるんだこの男は。
「助けを求めなかったんですか?」
「それは無理だ。私は彼らと違って、非公式に調査しようとしているのだから」
「やけにペラペラと喋りますね」
「君が聞いているんじゃないか」
何なんだこの男は。
飄々としていて、空気のように掴み所がない。
手を伸ばしても、霧のようにすり抜けてしまう。
「ところで、この森はどうやって抜けたら良いのだろうか?
妙に入り組んでて分からないのだ」
判断できない。
あまりにも会ったことのない人種過ぎて分からない。
悪人というのはこうやって人を騙すのだろうか?
この男は仲間と来ていると言った。
もし助けてもらえるのなら、これ以上のことはない。
ロイがこちらを見ている。
行くしかない。
決断しろ。
生きるために。
「⋯⋯実は⋯⋯ぼくたちも迷っているんです」
「なんと」
男は目を見開いた。
感情の揺らぎが、初めて見えた。
「だから道は分かりません」
「そうか⋯⋯」
男は斜め上を見る。
「であれば、一緒に探そうじゃないか。
この森を抜けよう」
よかった⋯⋯のか?
いや、良かったとしよう。
後戻りはできない。
ぼくとロイは再び道に戻り、髭男と進むことになった。
彼の仲間を探して。
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といっても、現在、ぼくらは焚き火を囲んでいる。
彼は非公式に調査に来ているため、周囲に助けを求める狼煙は上げたくなかったそうだが、子ども二人が一緒にいるということで結局仲間たちに合図を送ることにしたようだ。
「そういえば、あの事件があってからどのくらい経っているんでしょうか?」
ぼくは言った。
「そうだね⋯⋯厳密には分からないが⋯⋯二週間、というところだろう」
唖然とした。
そんなに長い時間この森にいたのか。
どうりで何か臭いし、体もベタつくわけだ。
皮膚自体にも違和感が出てきている。
少し体もだるい。
「フランソワさんはなぜ調査に行くんですか?
それも非公式で」
ロイが聞く。
彼はそう名乗った。
普段は学校教師をしているようで、王都の学校で教えているらしい。
「知的好奇心のみだ」
フランソワさんは言う。
「君たちは実際に見たんだろう? どうだった?」
「少し怖かったけど、あんなものは見たことありませんでした。
驚きです」
ロイは楽しそうに言った。
正直、竜が現れたときは死ぬかもと思ったけど、今になってみれば、興奮の後味だけが残っている。
「ほう⋯⋯羨ましいねえ」
「ぜひ、調査が終わったら話を聞かせてください」
ロイが言う。
「行かないよ」
「え?」
「調査には行かない。そもそも帰り道だったんだ、君たちに会ったのも」
どういうことだ?
「君たちは知らないかもしれないね。そうだな⋯⋯。
まず、あの現場付近の警備をしている兵団が竜と戦い全滅。
その後、応援に駆けつけた残りの兵士たちは、誰もいなくなった現場を目にした。
そこは一面荒野になっており、命の気配などは一切無かったという」
ぼくたちがあの場を離れた後だ。
それから、魔術師も竜も消えた、ということだろうか。
「そして兵士たちは、再び城の調査に乗り出した。
その数日後、」
焚き火が閃く。
「全滅した」
「理由は不明。だから途中で諦めた。あまりにも未知で、危険だ。
好奇心はあるが、命を投げ出したくはない」
フランソワさんは語り終えると、ぼくたち二人を見た。
「君たちは城に入ったのだろう?
体に違和感はなかったかね?」
彼はこちらを向く。
その目には、焚き火が煌々と燃えていた。
「⋯⋯特には」
ぼくは答えた。
「なら良いのだが。まだ分かってないことも多い。
機を待つとしよう。
それにしても、君たちはどこから来た?
家はどこだ?」
ギクッとした。
「そうですね⋯⋯家はあの城に潰されました」
「なんと⋯じゃあ家族も?」
「⋯⋯はい」
嘘ではない。
完全に下敷きになっていた。
ただロイの家族は別の場所にいて、助かっているという可能性もある。
でも、そうじゃなかった。
ぼくが思っているのは、そうじゃない。
帰りたく、なかった。
「なるほど⋯⋯偶然か必然か⋯⋯。
これもまた運命だろうか」
フランソワさんは斜め上を見て言った。
「とりあえず私の家に来るといい」
「ありがとうございます」
ぼくとロイは感謝した。
少しだけ、うしろめたかった。
そのとき後ろから声がした。
「おおぉぉい」
「お、ついに見つかったようだ」
フランソワさんの仲間の声らしく、喜びと安堵の響きを震わせていた。
ぼくらは彼らの方へ行き、馬に乗せてもらった。
このまま王都へと帰るらしい。
この人たちに会えなかったら死んでいただろう。
命の恩人だ。
軽快に響く蹄の音。
別れを告げる木々のざわめき。
夜は空を覆っている。
その暗闇は、曇り空のようにぼくの心に滲み、一粒の重たい水滴を垂らしていた。




