ニセモノに立場を奪われた追放聖女、隣国で王太子に溺愛される
私は聖女として育てられました。
優しい母と立派な父の背中を見て「貴方も素晴らしい聖女になるのよ」と幼い頃から言い含められていたのです。
事実、私には数百年に一度生まれるという聖女の力があり、私に宿る人とは違う能力は、様々な病気を癒し、魔物が発生させる瘴気を鎮めることができました。
生涯神に仕えることが聖女の能力に目覚めた幼い頃から定められていましたが、それを不満に思ったことはありません。
むしろ、光栄なことだと認識していました。
年頃の女の子のように、婚約者だ、恋人だ、と浮かれることは許されずとも、神にこの身を捧げることは、栄誉であると私自身心から信じていたのです。
ですが、私が十六歳の誕生日を迎えた三か月後、突然『異世界の聖女』が姿を現しました。
ヒマリ、と名乗った異世界の聖女は、王国に訪れる災厄を次々と予言しました。
最初は懐疑的だった教会の神父たちも、異世界の聖女の予言が当たれば当たるほど、異世界の聖女を重用し始めたのです。
異世界の聖女は奔放な人でした。
自由気ままに恋をして、好きになった人と楽しげに笑う。
私が諦めていた全てを手に入れて、屈託なく過ごす姿に、ほんの少し、嫉妬をしてしまったのです。
だから、きっと。
これは罰。
一瞬でも神を裏切った私に下された、天罰なのでしょう。
「ヘルミーナ・ドレイシー! 今日をもってお前は聖女ではない! 偽の聖女として人々を誑かした罪、万死に値する!!」
呼び出された教会の広間で、突然突きつけられた言葉に私は絶句しました。
なにを言われているのかわかりませんでした。
私は偽の聖女などではなく、力が分かった時から人々に献身的に尽くしてきたつもりだったのです。
人々を誑かすなんて、とんでもない。
けれど、青ざめた私がその場をぐるりと見渡しても、騎士たちは私に剣を突きつけるだけ、今まで面倒を見てくださっていた神父様ですら顔を逸らしていて、王国の王太子の隣でいつものように楽しげに笑うヒマリ様の姿に、私は悟らざるを得なかった。
(私は、邪魔になったんだわ)
一つの時代に、聖女は二人もいらない。
それが、同じ国の中でならなおのこと。
ヒマリ様を今後正式な聖女として持ち上げるには、幼い頃から聖女として活動してきた私が目障りなのだ、と。
絶望が心を覆って、失意が喉を締め付けました。
いっそここで殺されてしまいたいと願うような悲観的な心持ちになった私に、声がかけられたのです。
天真爛漫な、太陽のごとき明るい声。私を糾弾するこの場には、到底似合わない無邪気な声音。
「みなさん! ヘルミーナ様を虐めないで! あの人はあたしに嫉妬していただけなの!」
なにを、いっているのだろう。
目を見開いた私の前で、得意げに朗々と、ヒマリ様が高らかに歌うように告げる。
「あたしの力を自分のもののように振る舞ったけれど! それは可愛いやきもちだったの! このまま処刑なんて、あんまりだわ!」
(ああ、そこまで話はすすんでいるのですね)
私は処刑対象なのだ。
確かに「万死に値する」などといわれてしまったし、聖女が二人いて邪魔な王国にとって妥当な処分だろう。
でも、どうしてヒマリ様はそんなに楽しげに人の生き死にを語れるのか。
私にはヒマリ様が、今まで見てきたどんな魔物より恐ろしく思えた。
「追放にしてあげて! 命を奪うことはないわ!」
自分に酔っているのだ、とすぐに気づいた。
ヒマリ様はご自身に酔っていらっしゃる。酩酊しているのだ。
聖女だからお酒など嗜むことはできないはずなのに、この空気に酔っている。
「ふむ、そうだな。聖女ヒマリがそういうのであれば、我々は従おう」
教会で一番偉い神父様が、私にだってそんな低い態度をみせたことのないご老人が、真っ白な髭を撫でながらそう告げる。
もう、逃げ道はない。
父にも母にも、きっと二度と会えない。
でも、最近では父も母も新しい聖女であるヒマリ様に媚を売るのに必死だったから、もういいかな。
ぱりん、と。
心の中の何かが砕ける音がして。
私はそのまま、引きずられるように騎士に連れていかれた。その扱いはきっと罪人より酷いだろう。
「ニセモノの聖女め!」
「よくもいままで俺たちを騙したな!!」
「さっさとくたばれ! 偽善者!」
連行される最中、今まで癒してきたはずの人々から罵声を上げられ、石を投げられた。
体にぶつかった石が痛い。でも、それ以上に心が痛かった。
腐ったたまごが額にぶつかった。どろりと血のように落ちるたまごの嫌な匂いが、鼻についた。
▽▲▽▲▽
私は隣国との境の森に捨てられた。
文字通り『捨てられた』のだ。
着の身着のまま、食料の一つも渡されることなく、打ち捨てられた。
私を馬車から突き落とした騎士たちは、そのまま私を放置して戻っていったから、私はただ、ふらふらと森をさ迷うしかなかった。
幸いなことに、半日ほどあてもなく歩いた先で湖を見つけた。
澄んだ湖の水を口に入れると、半日ぶりの水に乾いた体が喜んでいるのが分かった。
無心で空腹を満たすように水を飲んだ。
ふと、湖を見ると、湖面に移る私は酷い顔をしていた。
地面に向かって捨てられたから、顔も体も泥だらけだ。
そっと水を救って顔を洗う。顔の泥は落ちたけれど、洋服の汚れはどうしようもない。
(……水浴びでもする?)
きょろ、と辺りを見回す。近くには誰もいない。というか、こんな森の中に人がいるはずもない。
私は思い切って裸になって、湖に足を踏み入れた。
「冷たい……でも、気持ちいい」
泥で固まった髪を湖の水で洗う。
少し冷たいけれど、心地いい水で全身を清めていると、ざく、と地面を踏む音がした。
慌てて振り返った私の視線の先に、一頭の黒い馬とその手綱を握った絶世の美男子、と枕詞が付きそうな、ものすごく顔の整った男の人がいて。
「こんなところに……女の子が……?」
不思議そうにしている男の人が、じっと私を見ている。
暫し見つめあって、私はふと、自分が裸であることに気づいて、悲鳴を上げた。
「~~っ!!」
ばしゃん、と胸元を両手で隠して湖に半身を隠した私の行動で、ようやく男の人もまずいと気づいたらしい。
「す、すまない! 向こうに行っておくから! 着替えてくれ!!」
そういって、馬をつれて草陰へと消えていった。
どくどくと心臓が煩い。
ずっと父と神父以外の男の人とは極力関わらないように教育されてきたのに、裸をよりにもよって初めて会った異性に見られるなんて。
どう神様に言い訳をすればいいのだろう。そう考えて、ふと可笑しくなった。
(私はもう聖女ではないのに)
その事実に、泣きそうになる。
ずっと聖女として育てられてきたから、聖女でなくなった今、自分の存在価値が揺らいでいる。
のろのろと湖から出て、脱ぎ捨てていた洋服を手に取る。泥に汚れた洋服を、少しためらいつつ袖を通した。
「すみません、でてきてもらって大丈夫です」
私が茂みにそっと声をかけると、ややおいて先ほどの男の人が姿を現した。
その顔はまだ赤い。そういう反応をされると、こちらも反応に困る。
「君……名前は?」
「ヘルミーナ、と申します」
きっと、家の名前は名乗らない方がいい。
そう思って微笑んだ私に、男の人はなぜか眉を寄せた。そして。
「私はアルベルトだ」
名乗り返してくれたアルベルト様は、そっと私に近寄ってくる。
私が着替えている間に、連れていた馬は近くの木に手綱を固定したらしい。
「どうしてそんな恰好を……これを」
泥にまみれた洋服のことをいっているのだろう。
そっと差し出された上着を前に、私は首を横に振った。
「汚してしまいます」
「大丈夫だ。ほら」
少し強引に上着を着せられる。
まだ人肌の温もりが残っている上着を肩にかけられて、私が困惑していると、アルベルト様は再び眉間に皺を寄せて問いかけてきた。
「どうしてこんな場所にいる。森の中には魔物だっているというのに」
「捨てられてしまいまして」
「捨てられた?」
「はい」
聖女であったことを告げていいのかわからなくて、私はそう濁した。
私の言葉にアルベルト様の眉間にさらに深く皺が刻まれる。
「……言いたくないなら、深くは聞かないが。はぁ、こっちへ。見かけた以上、見捨てるのも気持ちが悪い。君は私が連れて帰る」
その気持ちは優しいものだ。
聖女として色んな人と接してきたからこそわかる。この言葉に裏はないと。
でも、甘えていいのか。少し逡巡した私の手首をアルベルト様が握って、そのまま抱き上げられた。
「きゃっ」
「暴れるなよ。落としたくない」
横抱きに抱えられて、私は咄嗟にアルベルト様の首に手を回した。
アルベルト様は小さく笑って、馬を止めている方へと歩き出す。
「いい子だ。そのままじっとしていてくれ」
「……私は子供ではありません」
「子供だよ。私からすれば」
確かにアルベルト様は二十を過ぎていらっしゃるように見えるし、十六歳の私なんて子供かもしれないけれど。
私だって成人しているのに。
頬を膨らませた私に、アルベルト様がくすくすと笑う。ああ、なんだか心地いいな。
ずっと、緊張していたから。緊張が解けたら、眠くなってしまった。
「寝ていていい。すぐに首都につく」
(ああ、でも、そこに私の居場所は……)
ないのです、とは言えなかった。
襲い掛かってくる眠気に負けて、私の意識は落ちてしまったから。
▽▲▽▲▽
次に私が目を覚ましたのは、豪華な部屋のベッドの中だった。
(まさか、ずっと寝ていたの……?!)
意識のない人間を運ぶのは大変だと私でさえわかる。
慌てて起き上がった私は、ソファで寛いでいたアルベルト様と視線が合って、思わず固まった。
「ああ、起きたのか。おはよう」
穏やかな声で挨拶をされると、どうしていいのかわからない。
だって、最近ずっと聖女としての役目で忙しくしていて、こんな風に優しい挨拶なんて交わしていなかったから。
「お、はようございます……」
声はしりすぼみに小さくなってしまった。
恥ずかしくて俯いていると、静かに近づいてくる気配がする。頬に、そっと指先が触れる。
「顔を上げて、ヘルミーナ」
「……はい」
そうっと視線を上げると、アルベルト様が微笑んでいる。心臓に悪い。どきどきする。
少しの痛みを伴ったそれに、私が目を見開くと、アルベルト様はすぐに真剣な面差しになった。
「聖女である君が、どうして古の森の奥深くに捨てられていたんだ?」
「っ」
バレてしまった。私が元は聖女であると。
アルベルト様は首都に戻ると仰っていた。勝手に戻ってきた私は、今度こそ処刑されるのではないか。
青ざめる私に、アルベルト様が私の頬を撫でる。
その手があまりに優しくて、私は泣きそうな感情を堪えるのに必死だった。
「大丈夫、君は殺されたりしない」
「え……?」
私の心を見通したかのようなアルベルト様の言葉に、私は小さく目を見開いた。
「ここは君のいた国じゃない。隣国のポーラ王国だ」
「りんごく」
「ああ」
私が捨てられた古の森を挟んだ隣の国。
どうして、と戸惑いが表情に出ていたのだろう、アルベルト様がベッドに浅く腰かけて説明をしてくれた。
「この国には病が蔓延している。瘴気に満ちた病だ。古の森には病の解毒薬があるという信託を得て、私は解毒薬を探しに行って、君に出会った。――君は、隣国とはいえ聖女だろう。病を治癒できないだろうか」
真摯な言葉に、私は息を飲む。
はく、と言葉の出ない口を動かして、口を引き結ぶと強い決意を瞳に宿して一つ頷いた。
「病であれば、私の力で治せます。瘴気が原因ならば、きっとお役に立てます。御恩を、返させてください」
「助かる。街には病人が溢れている。早速行けるか?」
「はい」
私は捨てられたとはいえ聖女だ。この力を人のために役立てるならば、動かない理由はない。
立ち上がったアルベルト様が差し出してくれた手を掴んで、久々に私は自分の意思で真っ直ぐに背を伸ばして立った。
▽▲▽▲▽
街にはアルベルト様の言葉通り、病人であふれていた。
街だけではなく、私が寝かせられていた王宮にだって、病人がたくさんいた。
出会う人すべてに聖女の力で癒しの魔法をかけていく。
すぐに効果が出ることは少ない。
顔色は多少マシになったといえ、まだまだ辛そうな人々に「しっかり休んでください」「ご飯をちゃんと食べてください」と声をかける。
病院はさらに悲惨だった。あふれかえる患者に、私は一人一人向き合った。
途中、アルベルト様が運んでくださる簡単な食事を摂りながら、倒れるまで祈り続けた。
本当に私が倒れてしまう前に、アルベルト様が休憩を挟んでくださったから、倒れることこそなかったけれど、特に重症な人々を治すのに三日の時間がかかった。
寝る間も惜しんで祈りながら魔法をかけ続ける私を献身的に支えてくださったアルベルト様に「このご老人で最後だ」と告げられた時、私は全身の力が抜けて倒れそうになった。
「ありがとう、ヘルミーナ。君はこの国の救世主だ。確かに君は聖女だった。本当にありがとう。どうか、ゆっくり休んでくれ」
その言葉を聞いて、私は満足しながら久々に穏やかな気持ちで意識を手離した。
再び目を覚ました時、アルベルト様はいらっしゃらなかった。
代わりに控えてくれていたメイドに事情を聞くと、なんとアルベルト様はこの国の王太子だという。
王太子自らが解毒薬を求めて危険な古の森に立ち入るほど、この国は深刻な病に侵されていたのだ。
メイドの話を聞いて青ざめる私とは対照的に、私のお腹は空腹を訴えてぐうと鳴った。
恥ずかしくてお腹を押さえたけれど、メイドは一つも笑うことなく「お食事の準備をしてまいります」と頭を下げてくれたのだ。
部屋で待っていてください、といわれたので、ソファに座ってぼんやりとしていると、食事の前にアルベルト様が私を尋ねていらっしゃった。
「ヘルミーナ、体調はどうかな?」
「大丈夫です。……その、お腹は空いていますけれど」
「はは、それはそうだろう。すぐに食事が届くから、一緒に食べよう」
「はい」
優しく気遣ってくださるアルベルト様がローテーブルを挟んで、私の正面のソファに座る。
少しの沈黙の後、アルベルト様は言葉を選んでいる様子で話し出した。
「ヘルミーナ、君は国に未練はあるか?」
「どうしてですか?」
「君の祖国が、この国と同じ病に犯されているらしい」
その言葉に、私は僅かに目を見開いて、自嘲気味に笑った。
脳裏に描くのは、天真爛漫な笑顔のヒマリ様。
「私がいなくても、大丈夫です。国には異国の聖女様がいらっしゃいますから」
「その聖女だが、ニセモノだという話だ」
「え?」
思わぬアルベルト様の言葉に、私は言葉を失った。
「送り込んだ騎士の報告だ。ニセモノの聖女がどうやって未来を予言していたのかわからないが、病を癒す力もなく、病人を穢れだといって遠ざけているという」
「そんな!」
あんまりな事実に私が憤った声を上げると、アルベルト様は肩を竦めた。
そして、懐から一通の手紙を取り出した。
「これは嘆願書だ。この国を救ったのがヘルミーナだと知った君の祖国から、帰ってきてほしい、という」
渡された手紙を開く。そこに連ねられた言葉に私は眉を顰めた。
「……なんて、一方的な……」
そこには「すぐに帰国し病を癒すこと」とだけ書かれていた。
私を追放したことへの謝罪もなく、今後二人の聖女をどうするのかの記載もない。
こんな手紙では、到底帰ろうなんて思えない。
「どうする、ヘルミーナ」
「帰りません。帰る義理もありません」
きっぱりと言い切った私に、アルベルト様はどこかほっとした様子で笑った。
「そうか、それなら、この国の妃にならないか?」
「え?」
思わぬ言葉に、ぱち、と瞬きをする。
きょとんとしている私に、アルベルト様が少し頬を赤くして照れたように笑う。
「君が人々の為に真摯に祈る姿に心を揺さぶられた。端的に言うと、惚れてしまった」
「っ!」
真っ直ぐに私の目を見て。真摯に告げられた言葉に、私は思わず口元を抑えた。
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
だって、今まで。そんな風に私を褒めてくれた人はいなかった。
全ての事柄は聖女だから出来て当然だと言われ続けていたから。
ぽろ、と涙が零れ落ちる。
「ヘルミーナ、返事を聞いてもいいかい?」
「はい。はい……喜んで……!!」
ぽろぽろと涙をこぼしながら、嬉しくて私は頷いた。
にこにこと微笑みながらアルベルト様は「では、祝いの席を用意しよう!」と嬉しそうに微笑んでくれて、私はそれがより一層嬉しかった。
▽▲▽▲▽
一年後、私の祖国であった国は滅びてしまった。
人々を襲った病に対抗手段を講じることもできなかった国を、国民は強く糾弾し、内乱に発展したという。
でも、私を捨てた国にも人々にも思い入れも何もない。
全く関係のない人々は可哀そうだとは思うけれど、戦火を逃れた人たちをアルベルト様が受け入れてくださったから、罪悪感は軽かった。
―― 一方で。
私とアルベルト様は結婚式を挙げた。
ポーラ王国にもはや病の影はなく、人々は私とアルベルト様の結婚式を諸手を上げて喜んでくれた。
私はこの国で幸せにある。
アルベルト様と一緒に幸せになっていく。
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