第9話「分水嶺(ターニングポイント)」
「はぁ、あー、マジで疲れた、休ませてくれ」
「あぁ、いいぜ。悪かったな、わざわざ」
「……ったく、本当だよ」
本当に疲れたが、良かった。ビルは暴れちゃいないみたいだし、親父さんも居た。警官の姿も見えないし、穏便に終われたらしい。
「で?何があったんだ?警官はどこに?」
「あぁ、ソレが……。というかアートはどうした?一緒じゃねぇのか」
「あー、うん。……女だ」
「……ハァ、呑気なもんだぜ」
全くの同意だ。ただ、あれは与えられた環境によるものじゃない、生来のものだ。変えるのは無理だし、変わった方が良いなんて事も無い。そこは俺もビルも分かってる。
それに……。
……それがこの街の生き方だからな。
「それで?何があった」
「話すとそれはそれは長ーくなるぜ」
「なんだってほんの数十分の出来事がそんなになるんだよ」
「まぁ黙って聞けって」
***
「……へぇ、面白い奴だな。そいつ」
「あぁ、だろ?オレも気に入ったぜ。結構根性ありそうだし、なんなら身内にNFPDが居るってのはアリだ」
「うん、だな」
「あぁ」
「というか休んでる場合じゃないな。……スミスはどうする?トライデント作戦とは言ったが、もうこうなったら本人に聞くしかないかもな」
「……そうなるとその場でって事もありえるぜ。万全の準備は必要だ。正直言ってあのセキュリティじゃ外からのハック支援は無理だ。少なくともオレは自信が無ェ」
「はぁ……優秀なハッカーは金がかかるぞ。めんどくさいな」
「……ンでもよ」
「なんだ?」
「グレイスに頼んだら手配してくれんじゃねぇか?」
「……うーん、あまり力を借りたくない気もするんだよな」
「なんでだ?折角のチャンスだぜ?逆に使わねぇ方が損だろ?」
「それこそ昼間の出来事だ。お前なんでNFPDが引き下がったか分かるか?」
「オレにビビったからだろ?」
「本気でそう思ってたのか?……はぁ。いいか、ビル。これは推測だが、あれはグレイスの力が警察にまで及んでるってことだと思う」
「……そうか!だからマイケルってヤツはそれに嫌気が差してたんだな」
「俺らは既に支援されているんだ。……何故そこまでグレイスがこの依頼に力を入れるのかは分からない。何故こんなに力を入れている依頼を俺らに頼んだかもな……。だがこれだけは言える。奴ら程の権力に頼り過ぎるのはまずい、所詮財閥は財閥だ。何を考えているのかは分からない。分からない内はあまり頼るわけにはいかない」
「……そうかもしれねぇな、オレらだけでやり切ったっていう表向きのタテマエってヤツが必要か」
「そういう事だ」
「めんどくせェ事だらけだぜ。クラシックスはお家騒動、しかもドラッグが関わってるときた。それで本筋は仕事の上司殺し、真相はナゾのままだ」
「……待てよ。電子ドラッグの件ならジュニアの方が詳しいんじゃないか?」
「オイオイ!本気で言ってんのか?この状況で若の所行けってのかよ!親父に殺されちまうぜ……」
「親父さんなら分かってくれるだろ」
「そりゃそうかもしれんが、若は今何処にいるかもオレらは掴めてねぇんだぜ?」
「……昔みたいにまた3人でクラシックスの手伝いでもするか」
「いや、でもよ!……なんでか分からねェが、今夜はオレが押され気味だな」
「まぁ、今日は正直疲れたしな。お前のせいで全力で走ったからってのもあるが、確かにお互い変な力入ってるかもな。……つまらない話はここまでにして飲むか」
「……アートもどうせ遊んでるんだしな」
「お前とアイツのせいで俺はさっきまでの酔いも覚めたしな」
「よし!そうと決まったら飲むか!ユウト!今日はオレの奢りだ!」
「ここお前らの店だろ」
「うるせェ!とにかく飲むぞ!」
俺らは店に居るクラシックスの連中も含めて夜遅くまで騒いだ。
***
そうして昼頃、目が覚めた。
「……んー、もう昼か」
どうやら大分騒いだらしい、店の中が片付け前に逆戻りだ。うん、これは親父さんに怒られるな。帰ってくる前に片付けなきゃならないな。
「あー……」
ふと通信履歴を見るとなにやら誰かが執拗にかけてきている。
「めんどくさいな……」
俺はまず、シャワーを浴びに行く事にした。BARとは言っちゃいるが、ここは一応アジトだ。裏にはファミリーの集会部屋もあるし、メンバーの部屋もある。つまり生活が出来るってな訳で、シャワールームも当然ある。
そこでシャワーを浴びながら、通信履歴にかけ直す。
「よう、アート。おはよう」
「おはようじゃないよ!もう昼だよ!」
「誰が誰に高説垂れてんだ……」
「どこいるの?」
「シャワールーム」
「ユウトもホテルってこと?」
「一緒にすんなよ。SHINERだ」
「あぁ、なるほどね。全然連絡ないから心配したよ」
「ってかまだホテル出てないのか?」
「そりゃ連絡ないからね」
「はぁ、早く来いよな。ボケ」
「はいはい、行きますよ。オタンコナス」
ヴゥゥン
つまらない掛け合いを終え、脳内通信を閉じる。
「ふぅ……」
久々に一人の時間が生まれた気がする。何だか最近は騒がしい日が続いている。そりゃ大仕事何だから当たり前っちゃ当たり前だ。
あいつらにそうと気付かされる前にも、少し毎日が上の空だったかもしれないという自覚があった。
……だから今の方が楽しい。
それに死者を悼む気持ちは……、というか死者への手向けというものは本人次第なのだと思う。
あぁ、こんな事ならばもっと話しておくのだった、もっと遊びたかった、このような願望は結局、生者本位でしかない。
……本当の意味での死者への手向けなど存在しえないのかもしれない。だからこそ俺はこの仕事を追えば得られるかもしれない真実への僅かな可能性にかけたい。
そうすればきっと、姉さんへの贖罪に近づけるはずだから。
よし、……整理しよう。
……まず、エンジェル。その特殊な電子ドラッグは電子世界のあらゆるものに擬態し、彼らを最終的に死へ、多くは飛び降り自殺に誘導するらしい。
だから、エンジェル。その天使の輪を掴むには一筋縄じゃいかない気がする。
なればこそ、危険を冒してでもドラッグに詳しいはずのシルヴィオJrに話を聞きに行く。親父さんよりその世界に詳しいはずだ。
……そしてマイケルという警官の話。何か意思のような存在に会ったという、それに少し唆されて短絡的な行動を取ってしまったとか。
そして親父さんの睨みでは、その目は、先日急に楯突いてきた息子と同じだったと。なるほど、その目をした者は短絡的な思考に陥るというのはあながち間違いじゃない。
……短絡的な……行動?……まさか。
俺はシャワールームを出て、タオルを巻きビルの部屋に行く。
「ビル!おいビル、起きろ」
「ぁン?……あぁ」
「夢見てる場合じゃないぞ。その夢を叶える時間だ」
「……朝から……何言ってやがる」
「もう昼だ、シャワー浴びてこい」
目をこすりながら起き上がるその大男は、未だに惰眠をむさぼっていたいと体で物語っていた。
「早くしろ」
「わかったわかった」
ビルは渋々シャワールームに向かった。
そしてまた、コール履歴にかけ直す。
「おい、アート」
「はいはい、何?もう向かってるって」
「嘘つけ、早く来い」
「なに?エンジェルを見つけたの?」
「……多分」
「……本当?」
「それを話すからさっさと来い。お前脚にスカイシップ付いてたろ」
「いやこれ、結構使いづらいからあんまり使いたくな……」
「早く来い!」
ヴィィン
一方的に捲し立てて、コールを切った。
服を着ながら、今の仮説をまとめよう。
……エンジェルに感染した、ないしは意図的に浸かった人間は自死を選ぶ。多くは飛び降りらしい。だけど全員じゃない。そこには理由があると踏んだ。つまり、それがエンジェルの本質ではなかったら?
俺はそう考えた。エンジェルの本質は人の思考を堕落させ、短絡的にさせること。
ジュニアは元々、父親の方針への反骨心を持っていた。
それが昨日今日で急に爆発したのだ。……姉さんの時もまさか死ぬ素振りなんて無かった。今過去に戻っても俺は見抜けないだろう。
……短絡的になった人間は、きっと辿り着いてしまうんだ。
嫌だ、辛い、辞めたい、諦めたい。そういった人の絶望を引き出し、それを終わらせようとするんだ。最も早い方法で。
それにマイケルは裏通りで、ジュニアは裏でドラッグに近い存在だった。感染経路も考えやすい。
……あぁ、分かってる。だからって飛躍的だって言いたいんだろ。だけど、偶然だと思えない。短絡的な行動した2人と姉さんの死の共通点。それこそなにかウイルスに感染したような行動原理。
こじつけだとも言いきれないし、無視するには似すぎている。
……マイケルはきっと強い。強い精神力がなければ自分の逆心には逆らえないんだ。自分の心は嘘をつかないからな。
ジュニアの命が危ない。彼は結構心に溜め込むタイプだ。きっと跡継ぎとしてのプレッシャーもあったんだろう。早く彼を止めないと親父さんは……。
きっと俺と同じ悲しみを味わう事になる。
ガチャ。
後ろで戸が開く音がした。
「着いたよ。ユウト」
振り返って彼と……隣の女を見る。派手な格好の、所謂ダウナー系の女っぽい。
「……昨日のウェイトレスだな」
「急げって言うからさ、彼女のバイクで来たの」
「はぁ、分かった。じゃあ今日の所は帰ってもら……」
「この娘、ハッカーなんだ」
「……。なんで必要だって分かったんだ?」
「いやだって、もうこうなったらスミスの所押し掛けるしかないでしょ?まぁ、少なくとも君たちがそう考えるって僕は踏んだの。正解だった?」
「……ったく。負けた負けた」
「イェーイ!Bingpot!」
「結構優秀なんで〜、よろしく〜」
「あぁ、よろしく」
「それで?エンジェルについて何か分かったって?」
「あぁ、えぇと、どこから話すか……」
「あ、この娘には伝えといたよ、話」
「……お前に機密事項は渡せないな」
「ビルよりも?」
「同類だ」
「えぇー」
そう言っていると大きな影が奥の方から入ってきた。
「何だ何だ?オレ様の話か?」
「おいビル。服を着ろ」
「あァ?いいだろうよ別に」
「レディがいるんだよ」
「ぁン?」
そう言ってビルは少し恥ずかしげに俯いた少女を見る。
「な?」
「もー、文明人として服くらい着てよー」
「……ったく。なんでオレ様がオマエらに合わせなきゃならねぇってんだ」
ブツブツ言いながら大きな影は奥に戻って行った。
少し待つと、彼は戻ってきた。
「ほらよ。これでいいか」
「時間が惜しい。俺の仮説を聞いてもらうぞ」
「仮説?なんだァ?ソレ」
「いいから聞け」
そうして俺は先程の仮説を3人に向けて説明した。
「……ぶっ飛んではいるけど」
「スジが通ってねぇとまでは言えねぇな」
「……」
「……もしこれが本当ならジュニアの命も危ない。どちらにせよ彼には会って、エンジェルのことを聞きたい。会えるし救えるなら一石二鳥だ」
「うん。それはそうかもね」
「だけどどうやって若を見つけりゃいいんだ?」
「まず大至急親父さんに連絡しよう。ビル、頼んだぞ」
「おうよ」
ビルは脳内通信を始めた。
「それでアートと……えーと」
「エミリー。エミリー・ジャクソンです〜」
「うん、アートとエミリーはオンライン上の履歴で彼に辿り着けたりするか?」
「OK、出来るかはさておき、任せて」
「合点〜」
「頼んだ」
……俺はNFPDに向かおう。警察の情報も馬鹿には出来ない。それに今の俺らが行けば協力は惜しめない。
「俺はNFPDの警察署に行ってくる」
「え?さっき言ってた警官の所?」
「それもあるが、ジュニアの情報を貰ってくる」
「ハハ、半分くらい脅しだね。それって」
「……脅しだってなんだって使えるもんは使おう。親父さんを悲しませないためにも」
「……うん。そうだね」
俺は急いで店を飛び出した。
もう二度と、悲しみを生まないために。