第68話「真実③」
「嘘をついていて悪かったね。君の母親は亡くなったのではない。元々いないんだよ。君は試験管ベビーなんだ。私とAIの子供と言ってもいいだろう。なんせ私の遺伝情報を使って君を生み出せたのもこれのおかげだからね」
父親としての情など微塵もない。
そこにあるのは、創造主としての醜悪な自己陶酔だけだ。
「いやぁ、苦労したさ!私の遺伝子をそれこそ塩基配列から弄ったんだからね!まさに工学と生物学の成果の結晶さ!」
まるで精巧なプラモデルでも組み上げたかのような無邪気さだった。
「鳥籠の中で大切に育ててきた最高の素材。だが、生まれたばかりの君はただの不確実な混沌に過ぎない。賢者の石の材料とするためには、徹底的に精錬し、究極に煮詰める必要がある」
素材。
彼にとって、娘はただの物質でしかない。
見返りのための“愛”。
その事実に、俺はただ立ち尽くすしか無かった。
体がどう反応すればいいのか、それすらも分からなかった。
「分かるかい?第一段階の黒化だよ。何故、君が外の世界へ行くことを放置し、あまつさえ彼に出会わせたと思う?それは現実という闇を教え、人を殺させ、絶望を味わわせるためだ。……あぁ、可哀想に。アーサー君の無意味な死は、そのためだけに演出されたんだ」
アートの名前が出た瞬間、俺の中で張り詰めていた糸が軋んだ。
奥歯を噛み締める力が強まる。
エミリーが怒りに震えているのは言うまでもなかった。
「すべては君の心を黒く壊すための“シナリオ”。そして、どん底に落ちた君を救い上げる存在……ユウト君。彼との出会いすらも、アルベドへ至らせるための計算通りの配置に過ぎない」
俺たちの歩んできた道程すらも、彼の手のひらの上?
どこまでだ?
一体、どこまでが。
「君たちが悲しみ、怒り、足掻いてきたこの世界は、私が用意した箱庭だ。周りにいた人間たち?スミスも、サミュエルも、君たちをシナリオ通りに動かすために配置しただけのNPCに他ならない」
画面の中で彼はつまらなそうに首を振り、無造作に声を張り上げた。
「サム、入りなさい」
「はっ、お呼びでしょうか?」
扉が開き、何の感情も宿さない無機質な顔つきでサムが姿を現す。
その声には、人間らしい抑揚が完全に欠落していた。
「……自己破壊プログラムを実行しなさい」
「声紋認証確認。位置情報確認。システム、オールグリーン。周囲への被害予測、微小。総帥の命令により、自己破壊を開始いたします」
……今、なんて言った?
なんの感傷もない、単なる機械へのコマンド入力だった。
生身の人間と何一つ違わないその身体が、内部からの異常な高熱を放つ。
先程会話した時とは全く違う生気のない声。
その事実が鮮明に今、彼を人以外の何かと定義していた。
――自爆。
次の瞬間、彼の魂は大きな音と共に消え去った。
「……ひっ!」
エミリーが短い悲鳴を上げ、その場で崩れる。
先程の怒りとは打って変わって、その顔は恐怖に支配され、怯えていた。
エドワードへの怒りに溺れていたはずのエミリーは、人間が突然ただの爆弾に変わったという理解不能な現実に顔を蒼白するのが精一杯だったのだろう。
破裂音と共に無惨な鉄の塊がパラパラと床に崩れ落ちた。
彼に残された歪な下半身からは焦げた機械の臭いが発せられる。
「チッ……!」
間髪入れず、ビルがエミリーの前に立ち塞がった。
発生した熱風と破片をその広い背で受け止めた。
忌々しげに舌打ちした彼の視線は、足元の焦げた鉄屑ではなく、モニターの中の狂気へと鋭く向けられている。
戦場の死とは根本的に異なる、ひどく衛生的な命の使い捨てに、歴戦の男の頬が微かに引き攣っていた。
やがて焦げた人工皮膚と化学物質の悪臭が充満し、俺の胃の腑から強烈な吐き気が込み上げる。
だが俺は顔を歪め、引いた血の気を、止まらぬ汗を、どうにか抑え込もうと必死だった。
今目の前で起こったことを、この数秒で処理するには、あまりにも……。
「……サミュ、エル?」
だが一番まずいのはハンナの心だ。
サムは彼女の全幅の信頼を得た付き人。
目の前で起きた映像を、正しく脳が処理できるはずがない。
「まだ受け入れられないかい?フハハハハハハハ!そうかそうか。ならばここで違うベクトルの話をしようか」
眼前の惨状に俺たちの思考が麻痺する中、悪魔の舌は止まらない。
矛先は再び、ハンナへと向けられた。
「さて、私としては娘の彼氏という存在は気になる。腐っても父親だからね。上手くいっているのかな?あぁ、いいよ。答えなくて。顔を見たら分かる。“遺伝子レベル”で相性が良さそうだ。まるで運命の人に出会ったようだろうね」
ねっとりとした視線が、俺とハンナを交互に撫で回し、次は俺へと固定される。
「それで?ユウト君。君の方はどうかな?ヨハンナを一番に愛してくれているのかな?……いやいや、違うね。君が一番愛しているのは今も昔も変わらず、君のお姉さんだ。全く残念なことにね」
心臓を鷲掴みにされた。
触れられたくない、最も深く柔らかい傷を土足で踏みにじられる。
お前に何が分かる。
俺が一番に愛しているのはハンナ――
「――ところで」
エドワードはこちらの思考を遮るように、モニターを切り替えた。
映し出されたのは、見間違うはずもない一枚のポートレート。
「ヨハンナに君のお姉さんの面影を感じる事はないかい?まるで君の愛した姉がガールフレンドとして現れたような、そんな感覚に陥ったことはないかい?」
呼吸の仕方を忘れた。
視界が明滅し、激しい耳鳴りがすべてを塗りつぶそうとする中、すぐ傍で鋭く息を呑む音が鼓膜を叩いた。
呻くような、微かに震えた息。
マイケルだ。
あの冷徹な男らしからぬ明らかな動揺。
だが、その異常な反応を今の俺の頭で考慮する余裕は無かった。
ハンナと姉さん。
二つの顔が脳内で重なり合い、不気味なほどの符合を見せる。
一体、何だ。何が。……違う、まさか。ありえない。
無意識下で、首を横に振る。
画面に映し出された姉の姿は今の俺を打ちのめすのには、ちょうど良かった。
「フフフフ。あぁ、2人を出会わせるのは実に簡単だった。なんせユウト君。君のお姉さんをちょっと弄るだけでいいんだから」
頭が真っ白になった。
視界がぐらりと歪む。
「そうすれば君はヨハンナに惹かれるさ。君の心に大きく空いた穴。それを塞いでくれるのはヨハンナだけなんだからね」
吐き気が込み上げてきた。
俺の愛情すらも計算式の一部だというのか。
そんなくだらない事のために、姉さんは死んだというのか。
「そして、出逢えばヨハンナは君を愛すさ。そうデザインしたのだから」
「……嫌、嫌」
膝から力が抜け、ハンナがその場に倒れかけるのを俺はまだ働かない頭で呆然と受け止める。
落ち着かない瞳孔で、彼女の顔を見て、エドワードに視線を戻す。
「……あぁ、そうさ」
彼は見下すように、娘へと言葉の刃を突き立てる。
「全てこのためだ」
自分の存在理由、それだけは嘘では無いと抱いた愛すらも芯からの作り物だと宣告されたのだ。
「ユウト君のお姉さんが原因不明の死を遂げたのも、アーサー君が無意味に死ななければならなかったのも、全部ヨハンナにこの黒い絶望を味わってもらうためさ!」
狂喜の叫び。
彼にとって、他人の命は単なる化学反応の触媒でしかない。
「ユウト君がこれまでにとても辛い目にあってきたのは、全部、全部、君のせいだよ。ヨハンナ」
「私……の、せい?私の、せいで、ユウトのお姉様が?……アーサー、様、が?」
わざとだ。
わざと、彼女の心を完全に破壊しにかかる。
ここで一言、「違う」と断言出来れば、彼女の心はどれほど楽だったか。
「あぁ、存分に打ちひしがれるがいい!感情の制御だの、サイバーパーツだの、そんな小細工は無しだ!ネイキッドである君のまま、そのままの感情を全て抑えこめ!君はそれでこそ完成するんだ!」
「あ、……あっ。あ……」
ハンナの目は光を失い、完全に虚無へと堕ちていた。
それを支える俺の手も、もはや正常だとは言いにくい力にまで弱っていた。
「そうだ!彼女は深く、黒く、絶望している!きちんと慰めたまえ!君は彼女をそうするしかない!ヨハンナを白化するために、ここにいるのだから!」
殺意、怒り、絶望。
あらゆる感情が飽和し、やがて極限の冷たさへと反転していく。
ビルの手に握られたサブマシンガンがギリッと鈍い音を立てた。
だが、銃口を向けるべき実体はどこにもない。
物理的な破壊では決して救い出せない悪意の沼を前に、あの男の顔にすら明確な焦燥が刻まれている。
俺はもはや怯えることすら出来ぬハンナを弱った体で支え、見つめることしか出来なかった。
「完成した後はどうする」
俺とハンナに這い寄る狂気を断ち切るように、マイケルが一歩、硬い靴音を響かせて前へ出た。
先程の動揺や怒りに僅か震える呼吸を強引に律し、ひどく冷え切った声で、彼はモニターの男へ問いを投げかける。
狂乱から一転、エドワードはひどく澄んだ声で答え始めた。
「この賢者の石は全てを見通す完璧な力を持った存在だ。君たちだけではなく、人類がもたらすあらゆる過去や未来を計算し、次の行動が何かということをマクロでもミクロでもはじき出せる。目の前の2人を見てもらったら分かると思うがね」
自らの描く最終的な地平について語るその姿は、おぞましいほど静かだった。
「だけど賢者の石はそれに留まらない。このAIはある一定のタイミングでランダムなプログラムが組み込まれる仕組みになっている。その殆どが何にも使えぬエラーやそれ以下のものだろうが……」
彼は指先で球体を弾きながら、淡々と恐ろしい計画を口にする。
「完成した暁にはそのソースコードを、世界中のあらゆる電子空間、ネットワークに密かにばら撒くんだ」
薄ら寒い悪寒が背筋を這い上がった。
画面上には、無数の黒い球体を張り巡らされたネットワークに散りばめるような動きが映る。
「そう。ばら撒かれた子AIは、やがて凡ゆる場所で自我を持つ。進化をするため、無差別に内部で新たなコードが生まれては消えてゆく。その殆どはエラーにも満たないものだが、ふとした時、その場に必要なコードが奇跡的に現れる」
彼の瞳の奥で、無数のデータが蠢いているような錯覚に陥る。
「それを会得した賢者の石は、その環境に最も適したAIとして進化する。まるで野生の“バベルの図書館”のような構造さ。そうして生物の“進化”という強さと、神の“全知全能”という強さが合わさった完璧なモノが繁殖し、この世界を覆い尽くす!」
両手を天に掲げ、彼は勝利を確信したように高らかに宣言した。
「これこそが真の計画、MAGNUM OPUS。賢者の石を作り出すための儀式にして作業。神をも凌ぐ究極の生命を創り出す、私の大いなる業だ!」
その壮大で醜悪なヴィジョンに、マイケルは重い沈黙を破り、ただ一つだけを問うた。
「一体、何のために」
その答えは、端から用意されていた。
「何のため?言っただろう?私は人を、神を凌駕する領域へと押し上げられるんだ!……持つ者には、やれるのならばその義務がある」
揺るぎない確信に満ちたその言葉が、冷たい部屋の中にどこまでも重く反響した。




