第67話「真実②」
――驚かない。
それくらいなら想定済みだ。
怖いのは無論、この先。
お前は何を企んでいる?
何故アートが死ななくちゃならなかった?
俺らにこの計画を話す理由はなんだ?
それを聞くには、彼の話すこれからの“真実”とやらを聞かなければならない。
この上ない憂鬱と迫り来る恐怖、それを握り拳で押さえ込む。
冷え切った空気の中、彼の口がゆっくりと開く。
「ヒューマノイドを使って民意を操る。それは確かに有効だが、決定的ではない。有り体に言えば神を凌げない」
講義室で無知な学生に語りかけるような、淀みのない酷薄な響きだった。
「これは真の目的を達するための前段階に過ぎないんだよ」
彼はもったいぶるように間を置き、両手を大仰に広げてみせる。
「もし神という存在がいるとして、君たちはどう定義する?全知全能?完全無欠?……だが、そんなものは私から言わせてもらえば“死”と同義だ。固定された頂点による秩序など、ただの停滞。いずれは淀む、薄汚い安寧だ」
その表情には、自らの知への絶対的な自信がへばりついているように見える。
「本当に永劫、美しいのは“進化”だよ。神は完璧であるから進化しないなど、馬鹿げている。完璧であろうがその先が無いことは無い。エラーを繰り返し、環境に合わせて姿を変え、もっと先へ、もっと限界へ。そうして生物、我々は進化し続けてきた!」
熱を帯びた声が反響する。
まるで狂信者のような熱量が、部屋の温度を狂わせる錯覚を覚えた。
「そう。悲しいことに完全無欠には不確実性が無い。だが人にはある。つまりこの両者を結合したそれこそ、生物の頂点へと至る究極にして完璧な存在!」
恍惚とした瞳が、品定めでもするように俺たちを見据える。
「では、それをどう作るかだけど……。そこの二人はさっき、扉の前で“賢者の石”という言葉を使ったね。作り方は知っているかい?」
はっ。どうせ答えなんか求めちゃいない。
俺とマイケルは黙って彼の目を睨み続ける。
返答を持たない俺たちの沈黙を肯定と受け取ったのか、彼は満足げに頷き、言葉を続けた。
「まず前提として、原物質を用意する。まぁ、ここはなんだっていい。水銀だったり、金だったり、色々だ。それを徐々に加工していくんだ」
指先で虚空をなぞりながら、まるでお伽噺でも語るかのように。
モニターの暗闇の中に、原形を留めない緑色の塊がぽつりと浮かび上がる。
「第一段階は、黒化。この状態を黒い太陽とも呼ぶ。これは破壊を意味する。賢者の石を作るその最初の段階として、まずは対象物を徹底的に破壊、解体する。それは中身も外身も分離させ、極限の絶望を与えなければならない」
極限の絶望。その単語が、呪いのように耳にこびりつく。
隣に立つハンナの呼吸がわずかに乱れた。
画面上の緑の塊が、フラスコのような無機質な『器』と、その『中身』の二つに分かたれ、共に泥のように黒く染まった。
「第二段階は、白化。外身が絶望の黒い太陽と化し、分かたれた中身が腐り果てた時、今度は中身を浄化しなければならない。初めは一つだったモノを器と魂に分離し、その中身だけを綺麗に、純白に戻す。美しく、無垢な精神の浄化だ。これにより中身は新たに再定義、再構築される」
オカルトめいた理論だ。
だが、彼の口から語られると、血の通わない論文めいた冷徹さがあった。
画面では、黒く濁っていた中身だけが徐々に漂白され、純白の光を放つ。
黒い器と白い中身という、鮮明な対比が映し出された。
「第三段階は、赤化。白化により精錬された魂と、待機していた空っぽの黒い太陽。元は同じものであったはずの対立物を結合させる事で、“完全”が生まれる。その究極の存在が賢者の石というわけだ。相反するものを一つのものに収めるというのは、それ自体が超次元的な事だからね。まさに“一は全”というわけだ」
一は全。
その言葉の響きと共に、彼の顔に醜悪な笑みが浮かぶ。
黒い器に再び白い中身が入り込む。
二つは螺旋を描くように絡まり合い、鮮やかな赤い鉱石へと姿を変えた。
「そして、ここに人間性を加える。理論や秩序を司る男性原理と、感情や不確実性を司る女性原理の二つを当てはめると賢者の石は完成するんだ」
論理が飛躍しているようで、不思議と彼の頭の中では完璧に組み上がっているのがわかる。
モニター上で、男の影絵と女の影絵が赤い石に重なり、それらが一つに溶け合って赤い石が眩い輝きを帯びた。
「諸説あるが、少なくとも私はこの方法を信じている」
微塵の疑いもない、澄み切った声だった。
「この理論を聞いた時に閃いたよ。あぁ、これだ。これが出来れば神を越えられる、人はまだ進化できるとね」
彼は己の天才性に酔いしれるように、その赤い石の方を見る。
彼はまるでそれが見えているかのように目線を一致させる。
「そうして私は、己の持つすべての技術と資産を注ぎ込み、この“器”を創り上げた」
彼が画面上の赤い鉱石を指で弾くように消し去る。
代わりにモニターに現れたのは、光を一切反射しない、魅入るような漆黒の球体だった。
「見たまえ。これが超高度自律型AI、通称“賢者の石”だ!……もっとも、今の段階ではまだ完成には程遠いけどね」
その漆黒の球体は、先ほど錬金術の過程で示された黒い器と同じ輪郭を持っていた。
つまり、今見せられているこの球体が、完成を待つ空っぽの器だと言いたいのだろう。
「先ほどの錬金術の話に当てはめるなら、このAIは『男性原理』だ。なぜだかわかるかい?」
わざとらしい問いかけ。
誰も答えない空間で、彼は肩をすくめた。
「……」
沈黙が降りた直後、その答えは残酷なほどあっさりと提示される。
「このAIの中枢には、既に理論と秩序が入っているからだよ。……つまり私の魂が入っているんだ。今君たちに見せている“これ”こそが、私本体だよ」
画面上の黒い器へ、再び男性の影絵が現れ吸い込まれていく。
その影の輪郭は、紛れもなく目の前に立つエドワード自身の姿をしていた。
息を呑む気配がする。
信じ難い真実に、ハンナがふらつくように一歩前へ出る。
「で、では、今までのお父様は――」
娘の絞り出すような問い。
だが、返ってきたのは昨日の天気でも語るような軽薄さだった。
「あぁ、人前に出る時は仮の身体に意識を移していたよ。スペアだっていくつかある。なんなら見せてもいい。私からするとお出かけ用の姿って認識かな」
人の形をしていながら、そこに人間性は欠片もない。
紛い物であることなど、彼にとっては考慮するに値しないのだろう。
マイケルの顔から、スッと表情が抜け落ちるのが分かる。
人間の意識をデータ化し、義体を衣服のように着替える。
彼の中の論理回路が、目の前の男をもはや同種の生命体ではないと結論付けたかのように、その場に重く冷たい沈黙が落ちた。
「話を戻そうか。私は純粋な論理を司り、賢者の石と結合して空っぽの死の器たる黒い太陽となった。だが、神を超えるためには、ここに『女性原理』を結合させなければならない」
再び、狂気じみた講義が再開される。彼の言葉が、不吉な輪郭を描き始めた。
画面には、黒い球体と並ぶように、純白の光を放つ女性形の影絵が現れる。
まただ。
この狂ったパズルのピースが、俺たちの現実へと露骨に当てはめられようとしている。
「感情、流動、混沌……停滞した論理回路に“進化”という名の爆発を引き起こすための、最高に不確実な魂を」
嫌な予感がした。
俺の脳裏で、これまでの出来事が最悪の形で繋がりかける。
「だが、全く無関係なものをただくっつけたところで、それは不格好なツギハギに過ぎない。錬金術において、対極の存在を真に結合させるには絶対の条件がある。……わかるかい?“元は同じものであった対立物を、二つに分かつ”ことだよ」
彼はゆっくりと視線を動かし、正確な軌道でハンナを捉えた。
「私は、究極の生命の基となる原物質を用意し、それを意図的に『器』と『魂』の二つに分離させたのだ」
もう、逃げ場はない。
その言葉は引導を渡すように告げられる。
画面上で、最初の緑色の原物質が、黒い球体と白い魂の二つへ分かたれる映像がリフレインする。
……器があの黒い球だというのなら、あの白い塊は――。
「純粋な論理だけを残した空っぽの死の器。それがこの私であり、このAIだ。そして、そこから切り離されたもう半身。私の遺伝子コードを持ち、私に足りない不確実性を担うために生み出された存在」
彼の眼球に、獲物を追い詰めた捕食者のような冷酷な光が宿る。
モニターの女性のシルエットが変化し始め、徐々に肌の色や顔のパーツを形成していく。
そして一瞬の光の後、そこにハッキリと映し出されたのは、俺らがよく知るその人物の姿だった。
「――ヨハンナ。君はそのためにいるんだよ」
彼女の顔から、一瞬にして全ての色彩が抜け落ちた。




