第64話「Stage」
「え?」
俺は思わず、目の前に見えているHUDの文字を読む。
……しまった。
グループ通信をしていたようだ。
「……」
流れる気まずい空気。
その尻拭いは手前でしか出来ない。
「……ごめん、エミリー」
謝罪も虚しく、彼女はじっと前を見つめたまま動かない。
つくづく乙女心の分からない男だ。
自分でもそう思う。
ガールフレンドには逃げられ、親友の女にはノンデリカシー。
……だったらもう、とことん彼女の強さに甘えるしかない。
俺は取り繕うのが苦手だ。
ビルより多少得意ってだけで、所詮中身はストリート育ちのアウトロー。
言いたいことは言い切ろう。
「だけど、お前のその覚悟じゃ、アートが悲しむ。俺はただ――」
必死に言葉を紡ぐ俺の熱を冷ますように、エミリーは一切こちらを振り向かなかった。
エレベーターの無機質なドアを見据えたまま、彼女の唇から淡々と平坦な声がこぼれ落ちる。
「アートは、もう、死んだの」
「……ッ!」
予想だにしなかった冷たい響きに、俺は思わず言葉を失った。
誰よりもアートの死に胸を痛め、彼を想っていたはずの彼女が、こんなにも呆気ない。
「まだ……、まだ、あいつはここにいる」
縋るようにそう反論し、俺は胸元のロケットを強く握りしめる。
手のひらに食い込む冷たい金属の感触だけが、あいつが今も共にいるという唯一の証明なのだから。
だがそれでも、彼女はこう言う。
「ううん。もう、死んじゃったの」
薄暗い影に覆われ、その顔に浮かんでいたのは、強がりでも冷酷さでもなかった。
そこにあるのは、今にも飲み込まれそうなほど暗く、ただ起伏のない無表情だった。
「でも、アタシはここにいる」
その言葉が終わると、何かを祝福したように光が差し込み始めた。
ぬるりと慣性が止まったのを感じる。
目的の階に着いたんだ。
そうして、次の言葉も無く、彼女は先にエレベーターを降りた。
俺はどうすればよいか分からず、手を伸ばして何かを発そうとした。
だがそれも虚しく、もうなんの語彙も自分には味方しなかった。
後ろからマイケルが俺の脇腹を縁頭で小突いて先に降りる。
小突かれたそこを擦ってマイケルを目で追っていると、大きな影が右横で止まるのが見える。
右を見ると、真横にビルが立っていた。
見上げるように顔を見ると、彼はこちらを見てくしゃりと顔を潰し、舌を出して少し笑った。
“下手くそ”とでも言いたそうな彼もまた、俺を置いて先にエレベーターを降りる。
何故いつもこうなってしまうのかとため息をつき、追随するように前へと進んだ。
降りるとすぐに後方で扉が閉まる。
その音につられて後ろを振り返ると、そこにはもう、入口がない。
外にもボタンが無い以上、これでもう、本当に背水の陣になった。
そして先に行った奴らが、窓ガラスに集まってるのが見えると、俺もそこに向かって歩く。
どうやらこの辺からでも分かるくらいの高さに来たようだと思い、徐々に近づいていくと、まだ見えぬ地面に俺は焦りを覚える。
板ガラスからやっと地面を見下ろせるようになり、外の景色が鮮明になると、俺は思わず声が出た。
「……最、上階か?」
「恐らく」
「こんな高い所初めて来たかも〜……」
「バカと煙は高ェ所が好きってのはあながち嘘じゃねェらしいな!」
ネオ・フランシスコを一望できる程の高さ。
ハリソンの本社ビルや、その他ビッグファイブのビル、名のあるタワーですらそれを凌駕するほどの高さ。
企業の人間が俺らを普段見下しているのも無理はない。
まさに絶景と言うべき標高が、目の前には広がっていた。
「いや、これは……どうやったって……」
“帰れない”。
その事が喉元に跳ねた段階で、言葉を飲み込む。
言ったら、叶ってしまう気がしたから。
「怖気付いたか?」
「……まぁな」
マイケルのくだらない意地の悪い質問に、こちらも皮肉で答える。
なんと答えようと、なんと思おうと、もう進むしかない。
「オレ様はなんだかテンションが上がってきちまったぜ」
「え〜、なんかアタシも〜」
この2人はこんな状況でも、ハイファイブを敢行した。
羨ましい限りだ。
俺も煙にでもなりたかったよ。
そうすれば少しだけ、その気持ちを理解できそうだ。
俺らが初めての景色に圧倒され、しばし時の流れを忘れていると、後ろから聞き覚えのある声が聞こえる。
「ようこそ」
その声に俺らは振り向く。
するとそこに居たのは、サミュエル・スチュワート。
ハンナの付き人だった。
「久しぶりだな、君たち」
「サム!そっちも元気そうじゃねェか!」
「あぁ、ビル。君もな」
確かに久しい。
思えば彼との出会いが運命の転機だった。
お礼、文句、あれから言いたいことも聞きたいことも山ほどあるが、今は感動の再会を喜べる状況じゃない。
「どうしてここにいる?」
「総帥がお待ちだ。……案内しよう」
案内役。
出来るだけ警戒心を解くために知り合いを寄越したか。
彼は俺の胸元の弾丸を一瞥し、わずか目を細める。
「だがその前に。こっちだ」
俺らは顔を見合わせ、何も分からないまま、彼の言うままについてゆく。
もちろん、警戒しないわけではないが、下手な行動をするよりは、まとまって行動した方が良い。
何より、ここの構造を知れる絶好のチャンスだ。
もしかすれば逃げ道や、緊急時の経路があるかもしれない。
マイケルは眼だけを執拗に動かし、俺はキョロキョロとしながら、サムを追いかける。
「ここだ」
タイムオーバーのようだ。
何の怪しい点も見つからないまま、部屋の前に立たされる。
サムがドアを叩く。
「お嬢様、お連れいたしました」
「……入りなさい」
扉の向こうから声が聞こえると、その声にドキンと心臓が鳴る。
彼女がいる。
今回こそ、失敗は許されない。
何を言う?「悪かった」?「ごめん」?
それとも、「元気?」?「可愛いね」?
ついさっき会話で失敗した男が、正解なんて導き出せるものか!
内心、ものすごく焦り始めたが、いくらなんでも遅すぎた。
既に扉の隙間から、座った彼女の後ろ姿が見える。
いや、よし。
そうだ。まず謝ろう。
まずはそこからだ。
昨日の件は100%こちらに非がある。
何を話すにしろ、まず謝って、それから別のことを伝えればいい。
そうだ。そうしよう。
そう決意して、部屋に入ると、彼女が立ち上がり振り返った。
よし、今だ。
「ご――」
吹き飛んだ。
彼女の顔を見たら、全てが吹き飛んでしまった。
特別何かあったわけじゃない。
特別彼女が普段と違う何かをしていたわけじゃない。
だが、止まった。
彼女の顔を見たら、何かが消えた。
顔を見つめ、何秒経っただろうか。
彼女は怪訝そうに俺の顔を覗く。
「ユウト?」
その旋律で意識が現実へと引き戻される。
そうだ。何か言わなきゃ。
「あ、あぁ。……えっと、その。ご、ごめん。昨日の夜、俺、酷いこと言った。最低だった。あんな状況だからって許されることじゃない」
彼女の顔は少し悲しそうだ。
「信じてくれるか分からないけど、俺は本当に君の事は愛おしく思っているし、君の笑顔のためならなんでも出来る」
唇を噛み締め、彼女は少し照れた表情をする。
「……あの時、かけるべきだった言葉を言わせてほしい」
一転して、体に少し力が入ったのが分かる。
彼女は身構えた。
「確かに、この状況になった要因の一つに、君はいるかもしれない」
彼女は黙って頷いた。
「だけど、じゃあ君がいなければ良かったなんて、俺は思っちゃいない。それじゃ俺は君に一生出会えない。例えこの先どんな困難が待っていても、俺は君に会いたいし、会えてよかったって思い続ける。死がふたりを分かつまで、それを続けたいんだ」
彼女は涙ぐんで、俺を見つめ続ける。
「愛してるよ、ヨハンナ」
それを聞くと、ハンナは俺に恐る恐る近づく。
そして、手を差し出してくる。
俺がそれを受け止めようとすると、だが彼女は不安そうに引っ込めた。
「……でも」
彼女は震える声で、絞り出すように言った。
「私と一緒にいたら、また、貴方をあんな風に苦しめてしまう。私には、貴方のその言葉を受け取る資格なんて……」
……そうか。
俺は彼女の心を芯から砕いてしまった。
いや、違う。俺の余裕のなさが、彼女に忌まわしき呪いをかけてしまったんだ。
だから俺は、引っ込めようとしたその手を強引に引き寄せた。
「資格なら、ある。俺が今、君にそうしてほしいと願ってるんだから」
彼女を支える“資格”は、もう俺には無いのかもしれない。
それでも、この手だけはもう離すつもりはなかった。
と考えたのも束の間、彼女は右足で床を大きく蹴ってこちらに跳び込む。
「馬鹿!私だって愛してます!何度だって言うわ!愛してる!愛してるから!」
それを思い切り受け止めて、強く抱きしめる。
彼女の温もり、鼓動、匂いが伝わってきた。
それらを五感全てで包み込む。
すると彼女は顔を少し離し、息のかかる距離で話す。
「だけれど、私のせいで皆さん危険に晒してしまうことは不本意です。私ももっと、もっともっと、皆さんを、あなたを守れるくらい強くなります」
俺がそれに頷くと、彼女は照れたように下を向く。
彼女の頬を支え、目線をこちらに戻させる。
潤んだ瞳に、困ったような眉。
そして、彼女と唇を交わす。
惚けた顔に思わずニヤリとする。
「不安そうな君も可愛かったよ」
「な、なによ。もう。ばか!こんなに長いこと放っておいて!」
「長いって……、一晩だけだろ?」
「ふん。貴方は一晩も私と会えなくて平気なようですけれど、私はそんなに長いこと待てません」
彼女はプイとそっぽを向く。
「あ、また可愛い」
「も、もう!」
俺らが周りのことを忘れ、とんでもないバカップル加減を露呈していると、外野から声が聞こえる。
「いやァ、あのままおっぱじめるのに500ドルかけるぜ」
「賛成〜、アタシもそれに乗る〜」
「仲直りをする際にシていると、癖になるという。気をつけろ」
そして、その横には頭を抱えたサムがため息混じりに突っ立っていた。
これはこれは、とんでもない所をお見せしてしまったようだ。
俺はそっと彼女を離し、苦し紛れに頭を搔く。
「み、皆さんもお揃いで、来てくれてありがとう!」
「え〜?本当にありがとうって思ってる〜?」
「どうやらお邪魔みてェだよなぁ」
「ちなみにそのままでいると根本的原因が解決されず、別れるケースもあります。気をつけてください」
あぁ、こういう時の悪ノリは本当に最高だ。
仕掛けられている側がこちらじゃなければもっと最高なんだが。
ハンナの狼狽えぶりをからかうように、悪ノリは次第に熱を帯びていく。
エミリーの容赦ないツッコミにハンナが顔を真っ赤にして反論し、ビルが腹を抱えて笑い、マイケルがやれやれと肩をすくめる。
そんな騒がしくも温かい光景を見ていると、直前までエレベーターの中で張り詰めていた死の気配が嘘のように薄れ、俺の口元からも自然と笑みがこぼれていた。
このまま時間が止まればいい。
ほんの数秒、そんな甘い錯覚に陥りかけた、その時だった。
わざとらしく、明らかな制止を促す咳払いが部屋に響いた。
ピタリと笑い声が止み、全員の視線が音の主へと集まる。
サムだ。
彼は仕事人としての、どこか冷ややかで事務的な顔に戻っていた。
「そろそろ、良いかな?」




