第62話「小さな棺」
しばらくすると重苦しい静寂を破るように、玄関のロックが解除される音が響いた。
ビルとマイケルが戻ってきたんだ。
二人は、ソファで小さくなっていたエミリーの、あからさまな目の充血を優しく無視した。
「オラ!持ってきたぜ」
ビルがポケットから掴み出したものを、無造作にテーブルへバラ撒く。
ジャラジャラと乾いた金属音が響く。
それは昨晩、彼が激情のままに撃ち尽くしたであろう真鍮の空薬莢。
まだ微かに焦げ臭い。
「それと、犯人の身元についてだが、不明だ。そもそも人間では無かった。命令を遵守しただけだろう」
「……でも自殺してたって言ってなかったか?」
俺の問いに、マイケルは首を横に振った。
「最終的に自己破壊するようにプログラムされていたと考えるのが妥当な所だな。典型的な“使い捨て”だ」
「……そうか」
反吐が出る。
作っては壊す。
勝手さと傲慢さを一緒に育て上げると、出来上がるのが人だ。
今や物事の生き死にを左右するのは人で、それこそがバイブルだ。
「そんでそっちは?どうなった?」
「あっ、言うの忘れてた」
「オイオイ。しっかりしてくれよ」
ビルが呆れたように肩をすくめる。
「え?なに?」
エミリーは顔を明るくこちらに向ける。
俺はテーブルの上の薬莢を一つ手に取り、指で弄びながら告げた。
「アートを火葬して、その灰をこの薬莢に入れてネックレスにでもしようかなって」
「え!それすっごくいい〜!ユウト、やるじゃん〜!」
エミリーが顔を輝かせる。
その反応だけで、俺の迷いは消えた。
「そりゃどうも」
「ンで、今から業者探すのか?」
「生憎だが、そんな悠長にしている時間は無いぞ」
「それは俺に秘策がある」
俺は顎をしゃくり、三人を促す。
「ついてこい」
案内したのは、この広大な屋敷の最下層、地下室だ。
ひんやりとした空気が肌を刺す。無機質なコンクリートの部屋の奥に、それは鎮座していた。
「なにこれ〜」
「プラズマ焼却炉だ」
「ほーゥ、考えたな」
ビルが口笛を吹く。
巨大な銀色の筐体は、まるで棺桶を彷彿とさせる。
「機密文書を闇に葬るための装置か」
「皮肉にも、アートが一番嫌ってた企業の汚い部分が、役に立つ時が来たってわけだ」
俺は試しに、手元の空薬莢を一つ、投入口へ放り込んだ。
起動ボタンを押す。
ブォン、という低い唸りと共に、一瞬だけ青白い閃光が走る。
確認窓から覗き込むと、そこには塵一つ何もなかった。
「え、これじゃ、全部消えちゃうじゃん?」
「いや、照射時間をミリ秒単位で制御する」
俺は操作パネルを叩き、プリセットを書き換える。
「オーバーヒートで炉がイカれるかもしれないから、ちょっと時間かかるけど……」
有機物の気化ラインと、カルシウムの融解ラインの隙間を縫う。本来なら完全消滅のためにある機能を、極限までピーキーに設定する。
「よし、これで平気だ。……アートを連れてこよう」
そして俺はビルと二人で、アートの遺体を運んだ。エミリーに見守られながら。
あらゆるパーツ、チップを抜かれ、綺麗に拭き清められた彼は、とても美しかった。
ただ電源が切れただけで、どこかにボタンが、あるいは充電が満タンになればすぐにでも動きだしそうだった。
だがそれは彼の死に顔が美しかったがための幻想。まだ俺が旧き夢に囚われ続けているだけに過ぎない。
……アート、軽くなったな。
アートを運ぶ直前、俺は昨日のスーツの胸ポケットから写真を取り出していた。
彼の胸元に、それを添える。
そうすれば、その写真がずっと彼を見守ってくれる気がしたから。
あっちでも、安心して俺らを待っていてほしいから。
エミリーは彼を炉に入れる前の最期、そっと彼を抱きしめる。
そして彼を綺麗に収めると、炉の扉を閉めた。
一呼吸置き、皆で炉の中の彼を見る。
これでもう、この姿の彼を見ることは、金輪際無い。
「よし、じゃあ……いくぞ。皆、いいな?」
彼らは頷き、目を瞑る。
それからスイッチを入れる。
青いプラズマの炎が、瞬時に彼を包み込んだ。
煙も出ない。臭いもしない。火葬と呼ぶにはあまりにもクリーンで、デジタル。
このほんの数十秒の出来事が、俺には永遠に感じられた。
――あぁ、アート。
悲しいかな、この街に救いは無い。
お前がどれほど世の中の人間を思いやった所で、世間はお前を思いやりはしなかった。
この世界でお前は少し純粋すぎた。
毒を制するための毒になる。
そうわざわざ決意しなければ毒になれないほどにはお前は脆く、澄んでいた。
そして無辜なるに降りかかるを一身に背負った。
俺らのために。
世界のために。
そんな人間が今、目の前で死んでいる。
確かに鼓動が止まっている。
企業にとって世界は巨大な実験場。
ネオ・フランシスコなど試金石にすぎない。
例えどれほどの金を手にしようとも、その一部からは脱却できない。
そうして俺らは現実という虚像を延々と体験させられている。
ただそれでも、今、彼の為に流れているこの血潮と熱い思い、これだけは本物だった。
この気持ち、意思、魂だけはまだ支配されちゃいない。
俺はお前に惹かれた理由をずっと、俺と似ているからだと思っていた。
……だけど違った。
お前は俺と似ても似つかない。
いつしか俺はお前に憧れていた。
この街で生きるにはお前のその賢しさと信念、プライドが必要不可欠なんだ。
小さな頃から闇に触れ、それに気づけたお前だからこそ、俺はお前に惹かれた。
輝いて見えた。一切の淀みなく、黒く、明るく、一層の光を放って見えた。
――だから。
ありがとう。アート。
友人でいてくれて。
仲間でいてくれて。
……兄弟でいてくれて。
あとは、後のことは全部、俺らに任せろ。
お前はゆっくり休んでくれ。
もう十分だ。もう、……十分だ。
数十秒後、炉内には少し黒ずんだ白い灰だけが残されていた。
その時、ふと、隣にいるビルの顔を見た。
彼は目を細め、その残滓を悲しそうにじっと見つめていた。
だけど、そこには慈愛のような、微かな口元の笑みが、アートへの弔いを表しているように思えた。
……ビルだって、同じ気持ちなんだ。
俺だけなはずがない。
ビルが俺の視線に気づく。
途端に笑顔を取り戻し、彼は腕を組む。
「マジで一瞬だな」
「あとはこれを詰めよう」
俺たちは黙々と作業に入った。
まだ熱を帯びた灰を、小さなスプーンで薬莢に詰めていく。
ビルの、マイケルの、エミリーの、俺の、そしてハンナの分。
「っていうか、あんまり言いたくないんだけどさ〜」
作業の手を止めず、エミリーがポツリと漏らす。
「あの焼却炉、人が入れる大きさなのが闇深だよね〜」
その言葉に、全員の視線が背後の銀色の筐体、その書類を焼くにしては不自然に大きすぎる投入口へと向く。
「焼却したい機密は、何も紙だけには限らないという事だろうな」
マイケルが淡々と事実を述べる。
あぁ、ここは確かにそういう場所だった。
そしてアートがこれを使っていたのは否定の出来ない事実だ。
だがそれも彼という多面体のほんの一面に過ぎない。
今や彼の全ては、俺らの中にある。
弾頭の代わりに、マイケルが取り出した装甲補修用の樹脂を流し込み、UVライトで硬化させて封をする。
これなら、例え銃弾が当たっても簡単には砕けない。
「……出来た。これを首にかければ」
完成した5つのネックレス。
真鍮の冷たさと、中の灰の熱さ。
俺はそれを首にかける。
初めてのそれは、とても軽くてとても重たい。
「これでいつでも傍にいられるね。アート」
エミリーが胸元の薬莢を握りしめ、微かに微笑む。
「これは……、私の分は必要か?」
マイケルが怪訝そうに、自分の分のネックレスを見つめていた。
「誰が仇取れるか分からないだろ。つけて一緒に戦ってくれよ」
「……乗りかかった船だ。承知した」
彼は短く息を吐き、それを首にかけた。
これで全員、同じ呪いを共有した。
「感傷に浸ってるトコ、悪ィけどよ」
ビルが愛銃のスライドを引く。
その目はもう、獲物を追う獣の色に戻っていた。
「そろそろ本格的にお嬢サマの心配した方がいいんじゃねェか?」
そうだ。
死者の時間はこれきりで終わり。
ここからは、生者の時間だ。
これからのための、過去を振り返らないようにするための戦い。
指名手配中だろうが、伝説のヒーローだろうが、莫大な遺産だろうが、そんなちっぽけな概念、今はどうだっていい。
皆と顔を合わせて、互いに静かに頷く。
ハンナの分のネックレスを握りしめ、俺らは冷たい地下室を出た。




