第59話「Hero」
理解を拒んだ。
脳が何も機能しなかった。
今、俺の目の前では何が起きた?
何を、分かればいい?
ただ一つ、反射的に「ビル!」とだけ叫んだ。次いでマイケルが「あの窓だ!」と言ったはずだ。
ビルは見た事もない怒りの表情をして、血眼で銃声の方向に走っていった。
目の焦点が合わない。
瞳孔が開く。
そこから先は何十秒、何分、突っ立っていたままだったか分からない。
マイケルが急いでアートに近づいた。
雨の染み込んだ道に、アートの頭から出た血が絶えず混ざり合う。
揺すらないよう慎重にマイケルがアートの首元や胸元を調べる。
口元に耳を近付け、最後には自身のコードをアートのコネクタに繋いだ。
その後彼は重々しく、口を開いた。
少し躊躇ったように口を閉じ、意を決したように再び俺らの方を向く。
「……救急信号の断絶。……駄目だ。特殊弾だ。緊急生命安定インプラントも停止している。……もう、間に合わない」
「……嘘だ」
――全ての音が遠のく。
雨の音も次第に聞こえなくなった。
嘘だ。
アート。
……嘘だ。
なんでだ。
なんで。
……何故お前が。
こんなにも……、こんなにも苦しんでいたお前が!
何故!
なんで、救われないんだ……!
なら、残された俺たちは、一体どうすればいい?
俺は……また、何も、救えなかったのか!
姉さんも!ジュニアも!果てはアートすら!
俺は救えないのか!
……俺には何も、救えないのか!
なんでだ。
なんで俺の大事な人間ばかりを……!
何が目的だ!
神か!エドワードか!
誰がこいつの命を奪った!
誰の恨みだ!
何のために!
何のためにこいつが死ななくちゃいけないんだ!
……この世界では金が全てなんだろ?
なら救え!救ってくれ!
誰でもいい!
神か?名医か?
悪魔でも、蛇だってなんだって構わない!
こいつを救える奴がいるならいくらだって払う!
……何が特殊弾だ!
そんなもので世界有数の富豪が死ぬってのか?
この世界で最も持つ者の最期がこれか?
……何が、希望の街だ。
希望だけを夢見て死ぬことが一番幸せだとでも言いたいのか!
……ふざけるなよ。
こいつはまだ、まだまだ生きて。
俺らと笑い合って、ふざけ合って生きていくんだ!
なぁ!アート!そうだろ?
目を……覚ましてくれ。
頼む。
もう他には何も望まない。
……ただ目を、開けてほしいだけなんだ。
――静寂が止む。
雨の音、それをかき消すようなエミリーの泣き声。
その全てが聞こえた。
マイケルは俺の隣に立ち、エミリーはアートに覆い被さって号泣している。
先程の言い合いよりも遥かに大きい声、大粒の涙。
俺の感情を凌駕するような悲鳴。
あぁ、そうだ。
きっと、そうだ。
まだ、まだ助かるかもしれない。
「どけ!」
俺はエミリーもマイケルも押しのけ、アートのそばにかけつける。
死戦期呼吸……無い。
EVS……、停止確認。
……っ、胸骨圧迫を、開始。
彼の体は波打つように揺れ、手から伝わる冷たさが俺の心に響く。
だが、やめない。
やめる、わけには……。
「……アート!俺を置いて死ぬな!俺はまだ話したいことが山ほどある!」
何度も、何度も、何度も彼の胸骨を押し、押しては戻す。
こちらの呼吸は徐々に上がってゆく、しかし彼の息は一向に吹き返さない。
「なぁ、アート!……俺ら、初めて会った時も散々だったよな!……殴りあって、罵倒しあって。今だってそうだ!……ロブん所でも殴りあって怒られた事もあったよな!」
届かない。
彼の耳は確かにそこにある。
だが届かない。
今触れている身体は、彼を彼とたらしめるには決定的な何かが足りないのだ。
「……何か悩みがあるなら聞くって、俺ら、兄弟だろ!辛いことがあるなら、なんでも巻き込んでいいって!こんなことに、なる前に!……なぁ、アート、なんでだ。……なん、でだ」
どれだけ涙が流れても、雨と共に流され落ちる。
腕に力を込め、どれほど丹念に彼の心臓へ働きかけようとも、その努力は届かない。
「ユウト……。もう」
マイケルが後ろから俺の肩に手を置く。
「……うるさい!黙れ!まだこいつは助かるかもしれないんだ!」
肩にのった手の力は強くなる。
「……君が心を乱せば、他の者はどうなる?今は、今だけは堪えろ」
その言葉にハッとして前を見る。
声にもならない声で泣きじゃくるエミリー。
まるで先程の俺のように呆然と立ち尽くすハンナ。
それぞれが今、自身の心を喪失している。
――そうだ。
……悲しいのは俺だけじゃない。
今は、俺がしっかりしなくちゃ。
「エミリー、とりあえず安全な場所に戻ろう。ここに居ちゃ……、駄目だ」
俺が動きを止めると、アートの下に再び覆い被さって泣いているエミリーの背中を軽く擦る。
マイケルに目線を配る。
彼はエミリーを立たせて、背中を支えた。
そのままアートを担いで、彼らは用意していた車の方へ向かう。
彼らが行った後、血溜まりの中にあった写真を拾った。
あぁ。この頃は……。
……ハンナにも声をかけなければならない。
胸ポケットに写真をしまい、俺は振り向く。
「ハンナ。一旦、向こうに行こう」
そうして声をかけると、彼女は口を震わせ、目は一点を見つめるばかりだった。
半ば放心状態の彼女からは生気が感じられなかった。
だが確かに何かをボソボソと呟いているのが分かる。
全く動かずにその場で震えっぱなしの彼女を心配して、顔を覗く。
「ヨハンナ?」
「私の……せいだ。私の……。私が……。なぜ?どうして?」
……まずい。
彼女はネイキッドだ。
もちろん感情制御装置はついていない。
このままでは精神的な負荷が大きすぎる。
「ヨハンナ!ヨハンナ!」
俺が目の前で大声を出すと、彼女はハッとしてこちらを見た。
「ユウト!ユウト!アーサー様が――!」
「ダメだ。今は何も考えるな。とにかく、こっちに」
俺が彼女を支えてマイケルの背中を追う。
女性陣を席に着かせ、自分も座席に座った。
今は何も考える気にならない。
考えてもならない。
せめて、家に着くまでは。
車内でどれ程の時間が経ったか。
何故、この周囲はこれほどまでに雨の響きを許したままなのか。
ルーフに当たるその音が、鬱陶しく、蹴り上げたくなる衝動に駆られるが、その煩わしさは無を思い出させるのに精一杯だった。
黙って下を向いて、ただその事実を受け止め続ける。
やがて、増してずぶ濡れのビルがバンのドアを開けた。
「どうだった?」そう聞こうとしたが、その前に彼の怒りの震えが見え、俺の口を噤ませた。
「……自殺してやがった」
ギリギリと口を噛み締める音が聞こえた。
ならば無理もない。怒るに決まってる。
彼の腰には愛用の銃。
少し、硝煙の匂いのするそれの弾倉が見当たらない。
恐らくその死体は今頃見るに堪えないのだろう。
何故?犯人の目的は?
考えればそんな疑問が次々と浮かぶが、今はそんなこと、どうだっていい。
「……そうか。行こう」
重く激しい雨の中、俺らはただ、車を発進させる。
そうして車内の俺たちは、その目的地となるアートの家に辿り着くまで、遂に一言も喋ることはなかった。
その間、ただ胸ポケットに入れた写真の端だけが密かに反射していた。




