第55話「虚」
「そろそろだよ〜。気をつけてね〜」
エミリーがそう言った数秒後、エレベーターが開く。
俺とビルは銃を持って、狭い室内の陰に隠れる。
自然と手に力が入った。
不穏な静けさの中、エレベーターから顔を覗かせると、そこには誰も居なかった。人っ子一人も。
窺った末の収穫といえば、奥の大きな窓ガラスに無数の雨粒が当たり散らしていること。
つまり遂に天気が崩れた事が分かっただけだった。
「誰もいないぞ」
「……マジだな。ンだよ、拍子抜けだな」
「エミリー、この先なんかいそうか?俺のには引っかからない」
このフロアはほぼアートの部屋や重役の執務室、それに客間程度のもので、確かに大勢が入れるような構造ではない。
ただそれでも一応前を警戒しながら、俺はエミリーの方を振り向く。
「う〜ん。アタシも最近は毎日ここにいたから〜、多分この階には何もいないと思うけど〜」
そう言いつつも、エミリーの目は青く光る。
周囲のスキャンを開始したんだ。
「――いや、待って。これ違う。何か一つ上にテクスチャがある。カモフラージュされてるよ」
「ァんだって?」
「ここら一帯で何かを隠してるみたい、スキャンしたものが全てだと思わない方がいいよ。それにこのフロアじゃハッキングが効かない。正確に言うと効かないことも無いけど、1時間くらいかかっちゃうから。……アタシじゃ役に立てない」
「何言ってんだ、十分だ。ここまで来れたのはエミリーのおかげだ。この先なにがあっても戦闘は任せろ」
それに多分、何かが隠れて待っているというより元々この場所がそういう機密の場所なだけだろう。
確かに何度もここには訪れた。
だが流石にスキャンしようなんて思った事がないから、ここがカモフラージュされているのがデフォなのかどうかまでは俺らも分からない。
「ま、最悪オレ様もハックに協力すれば何とかなるだろ」
「……とりあえず警戒して進もう」
「うん」
雨で少し暗がりになった廊下を歩いていくと、大きく円状にひらけたホールに来た。
ここを通り抜ければ彼の私室がある。
こうなればもう目的地は目の前。
……なのだが。
「……聞こえたか」
「おう。後ろだな」
後ろの方でエレベーターの作動音がした。下の階へと向かったんだ。
なるほど、敵は必ずしも前から立ちはだかるわけじゃないってことだ。
挟み撃ちか。
三人で同時にエレベーターの方を睨み、これから起こる事を考える。
「エミリー」
「うん。来るっぽい、乗ってるよ」
「後ろからゾロゾロと来られたんじゃァ、たまんねェな!」
ビルは大きな広間の円のど真ん中、そこに大きく仁王立ちして後ろを向いた。
「オレ様が止めといてやるよ!……アイツを殴る役目はブラザーに任せるぜ」
その後ろ姿は勇敢そのものだった。
あぁ、俺らは負け無しでここまでやってきた。
フリーってのは負けること自体が生の終わりと直結する。だから勝ち続けなきゃならない。
ビルも俺も勝って勝って、勝って勝って勝ち続けて、仕事をこなしてきた。
だったら、今度だって勝つことは確定している。
これが数学ってやつだ。
だから、大丈夫。
「……分かった。任せる」
「おう!」
俺はビルの肩を叩く。
目的地のドアはもう見えている。
だったらもう、俺とエミリーはそこに向かうだけだ。
意を決してそこへ一直線に歩くと、エミリーの足が止まる。
「ごめん。やっぱり後味悪いからアタシも残るね」
「え?」
エミリーは申し訳なさそうに顔を下に向ける。
「アタシがワガママ言って皆に手伝ってもらってるんだ。なのにハンナとかマイケルとか、挙句ビルまで置いてくなんて……。アタシ出来ないかも、ごめん」
「……エミリー」
かけるべき言葉が見つからなかった。
全部が全部否定のできるものではなかったからだ。
確かにその節はある。本人も気にしてしまうだろう。
皆、言うことを避けているがこれには当然死の危険がある。
仮に誘導だとしてもその危険に変わりはない。
エミリーの言いたいことは、自分のせいで誰かが死ぬならその時は自分も死ぬと言っていることと同義だ。
今回の件、もちろん全て彼女のせいではない。
だがそれを止めることは、彼女に苦痛を味わわせることを意味する。
それは決して得策であるとは言えない。
それを止めることも、肯定することも、一様に得策にはなり得ない。
ましてハンナを止めなかったのにエミリーを止めるなんて、俺にはそんなこと出来なかった。
「それに、アートもアタシよりもユウトの方に来て欲しいと思う」
「……」
少し悲しそうに笑う彼女の顔を見て、俺は少し胸が痛くなる思いだった。
「……アートのこと、よろしく〜」
そう言うと彼女は踵を返し、ビルの方にスキップして行った。
死地には似つかわしくない、あまりに軽い足音。
それこそ、彼女なりの強さ。
俺は奥歯を噛んだ。
ビルがエミリーに気づき、笑って彼女を迎える。
それを脳裏に焼き付け、再び前を向き歩く。
マイケルやビルたちを置いてきても、俺が冷静でいられるのには理由がある。
確信はない。だが、ある違和感と推測がある。
昨晩話し合ったように、アートは本当は俺らの助けを待っていて、この杜撰なセキュリティは俺らをここに誘導するためのものだという推測が。
ビルとマイケルも、もしかしたらハンナだってそれを見抜いているかもしれない。
だがそれでも万が一に備えて死を覚悟しなければならない。
アートが本当に俺らを拒絶しているなら?と。
……ドアが迫る。
――あぁ、そうだ。
アートは俺たちに銃口を向けた。
その事実だけは、どんな冗談だとしても許せない。
救いたいのは本当だ。
だが、ここまでされて、ただお人好しに救いの手だけ差し伸べるわけにはいかない。
俺はメシアじゃないんだ。
そうだ。背中には皆の思いや、エドワードの策略までもが乗っている。
それは分かってる。
だが、そんなものを考えるのは二の次だ。
俺は今、ただ俺の怒りを彼にぶつける。
たとえ遊びでも、友に殺し合いを強いたツケはきっちりと払ってもらうぞ。
――なぁ、アート。
お前は今、どんな顔をしている?




