第45話「街の華②」
「いいのか?泣いたって引き返せないぞ」
「そっくりそのまま返すよ。今生の別れの挨拶は済んだの?」
「……」
「……」
後ろからビルが見守る中、睨み合いが続いた。
「お前、モジュールは?」
「アメリカ陸軍のものから空手、カンフー、バリツに至るまで、ありとあらゆるものがインプットされてる」
彼はコメカミをトントンと指で叩きながらそう言った。
「だから君は僕に敵わないの。さっさと降参しなよ」
「……悪いがそんなもんに負けないほど強いのが俺にも入ってるからな」
「へぇ、ウチの最新のモノを更に改造した“これ”よりも?」
「あぁ。――“経験”だ」
俺はスカして答えた。
「ハッ!そんなもんで勝てるならこんな商品は世の中に産まれないんだよ!」
「だな。それを今から確かめよう」
俺はファイティングポーズをとった。
そして左手をこちらに向けてクイッと2回。
「ビル。手出すなよ」
「チッ、ンなこったろうと思ったぜ!ザコどもやってくらァ!」
つまらなそうな態度を取り、ビルは俺の背中を叩く。
彼は周りのドンパチに加わりに行った。
まぁあいつは大丈夫だ。
そんなことより自分の心配をしていた方がいい。
大見得はとりあえず切ったが、少しでもミスったらマジで死にかねない。
……集中!
「じゃ、遠慮なく!」
ハリソンは目をギラつかせながら、一気に間合いを詰めてきた。
ッ速い!
彼の右手が顔目掛けて飛んでくるのを屈んで躱し、その先で向かってきた膝先を何とか両腕で受け止める。
少し後ろに押されつつも何とか耐える。
顔を上げると瞬く間に左拳が目の前にあった。
それを右手で弾き、次に降りかかる右の拳も左手で受け流した。
まるで銃弾のようなスピードで次々と繰り出される技。全くこちらのターンが回ってこない。
いや、それだけならまだしも、こいつの一撃はとてつもなく痛い。
あぁ、流石に人を傷つけることに長けていやがる。
どんだけ金積めばこんな重量級パーツだらけになるんだ!クソ!
そう思ってる合間にも彼の脚や拳は容赦なくこちらを狙ってくる。
避けたり受け止めているだけでは永久に勝てない。
これじゃ終わっちまう。
「ほらほら!どうした!やられてばっかじゃ――」
ハリソンは大きく右拳を引き、力を溜めた。
「勝てないよ!」
それを両腕で受け止める。火花が散り、少し皮膚が破けた。
強化スキンの裏の黒いアルミとカーボンが顕になり、体勢を大きく崩し後ろに飛ばされた。
その体勢のまま膝を折りたたみ小さくなり、後転の形を取る。
それが何とか功を奏し、すくりと立ち上がることが出来た。
「……はぁ、……はぁ、なかなか、やるじゃないか。モジュールを多くインプットしてるってのは……あながち、……嘘じゃないらしい、……ったく」
俺は血の滲んだ自分の右腕を見る。
金属とカーボン、少しの皮膚と血の湧き出たそこは実際の痛みよりも悲惨に見えた。
「はぁ、もう降参しとけば?白旗あげれば命だけは勘弁してあげるよ」
「……ヘッ、悪いな。俺には日本の血が入っててな。カミカゼしか頭にないんだよ」
息を整えてまた構えを取る。
いくらでも立ち上がる気でいないと彼を倒せない。覚悟はしてきた。
加減なんてしてる暇は無い、こっちも殺すつもりじゃないと。
「……あーぁ、くだらな」
彼がやれやれとため息をつく。
それを好機として俺は刹那に間合いを詰める。
だが彼の眼は俺を捉え続けた。
なのに彼は微動だにしようとしない。
重心を落とし、前かがみに彼の前に着いた俺を見下し続けた。
殴ってみろという挑発だろう。
腹の立つ奴だ。
ならばお望み通り!
勢いそのまま彼の腹正面に右拳を叩き込む。
付近の風と砂が振動で揺れ、拳に肌と金属の感触が伝わる。
だがそれでも彼の体勢も表情も全く変わらなかった。
「フッ」
彼はこの上なくムカつく顔のまま、鼻で笑った。
俺はその顔を見て口角が上がった。
馬鹿だな、その無駄なプライドと傲慢さがこういう事態を招くんだ。
彼が俺のニヤけ面に気づいた時にはもう遅かった。
ズシンと拳に力を入れる。
メキメキと拳が腹に食い込んでいき、金属同士が軋む音が聞こえる。
とうに肌の感触を越え、その奥へと貫いていく触りを覚え始めた。
その辺りから彼は苦痛の表情を浮かべ、口から唾が飛び散った。
すぐさま右頬を殴られ、俺はよろけて後ずさる。
口の中が切れ、血の味が拡がった。
「ペッ。……慌てて手が出ちまうほど痛かったかよ」
彼は歯を噛み締めた。
今にもこちらにギリギリと音が聞こえてきそうな程に。
「チッ、分かった分かった。認めてあげるよ、君はそこらのチンピラとは違う。だからもう、手加減はしないからな」
自分の腹を少し撫でながら彼はそう言った。
今までのが手加減?おい、冗談キツイな。
これ以上なんてゴメンだ。
こりゃ最悪、2対1の卑劣戦術も視野に入れなきゃかもな。
だが残念、俺の口は聞かん坊だった。
「Go ahead, Make my day」
それを聞くとハリソンは一瞬、左を振るようにフェイントを入れ、すぐさま右膝を落としてきた。
俺は反射的に肘を固めて受け、逆に左肩越しに短いフックを叩き込んだ。
連続する衝撃と軋みが、二人の呼吸を乱した。
だが全体的にこちらが押され気味で、依然まずい状況に変わりは無い。
その事実を確認し息を整えていると、彼の姿は目の前から忽然と消えた。
どこに行ったかと周りを見回す内に、あぁどうやらこれは後ろしかないと悟った。
振り向くも遅く、涼やかな風が背中をひと撫でするが最後、彼はもはや影を残すのみだった。
更に背後に回り込まれた事に気づいた時には、もう全てが遅かった。
背中に激痛が走る。
その痛みは光のように素早く全身を駆け回り、脳に到達するのにそれほど時間を要さなかった。
思わず前傾姿勢になり倒れかける。
地面に右手をついたその時、その一点に体重を乗せた反動から横回転を作る。
足払いをした自分の足が確かに彼の足にあたり、ハリソンを転ばしたという確信を持った。
振り返り仰向けになった彼の顔を見て、そこへ思いっきり拳を叩きつける。
間一髪で避けた彼の頭を目で追った時、彼のある一点に目が惹かれた。そしてふいに妙案が浮かんだ。
俺には今、ようやっと勝ち筋が見えた気がした。結構難しいけどやるしかない。
色んな理由をつけてコイツを更生させるって言ってきたけど、今はただ、ハリソンに勝ちたい。その一心だった。
地面にいる彼を蹴りあげようとすると、彼はそれをも躱す。次の瞬間には背中をバネに一瞬で立ち上がっていた。
「すばしっこい、流石だな」
俺はその言葉と共に掌を地面に向け胸の前に持ってくる。
軽く上下に揺らし、身長を煽るジェスチャーをした。
それを見ると彼は鼻で笑った。
「ハッ、流石にその程度じゃなんとも思わないよ」
「言われ慣れてるからか」
なおも煽り続ける俺にハリソンは片眉を上げた。
「そんなことより大丈夫?よく喋るってのは負けてる奴のやることだよ。君、結構満身創痍でしょ?」
そりゃあな。
どう考えたって不利だから。
こっちは命を取りたくないが、恐らく向こうはそんなこと思っちゃいないだろうし。
いや……、それもどうかな。
なんていうか。
命を取ろうとしているようには見えない。
実際のところ、もしかしたら手加減しているかもしれないし、流石に殺すのは避けているのかもしれない。
ただ、これだけは言えるだろうなってことがある。
奴も俺も――
この状況が嫌いじゃないってこと。
俺は彼の言葉にニヤリと笑って再び襲いかかり、俺の左手が彼の脇腹を狙う。
だが彼はそれを受け止め、払いのけた。
「例え満身創痍でも、お前をぶん殴れるなら死ぬ最後の1秒まで戦ってやるよ!」
そのセリフとともに彼の腹を横蹴る。
彼は少しよろついたが、あまり意に介さずそのまま頭突きをしてきた。
それに呼応して、俺は頭に力を入れ返す。
「潔く負けを認めろよ……!このまま殴りあっていたらいずれ勝つのは、僕だ!」
頭突きが繰り返される。
おでこの付近から血が滴り落ちるが、それはもう、相手のものか自分のものか見当がつかない。
「……フフ、それは、どうかな?」
俺は彼を両手で押し飛ばす。
その勢いを殺し、また向かってきた彼の左拳。
その腕と体の間を俺の拳はするりと通った。
そのままハリソンの頭部、丁度こめかみの位置に衝撃を与えた。
さっき目にとまったもの。メモリーの挿入口、そこに律儀に挿さっている複数のチップ。
そしてその部位から少し飛び出た“それ”を俺は見逃さなかった。
――掴んだ!




