第39話「欠鏡②」
間髪入れずに返されたその言葉をどう受け取るか困っていると、ロブは続けた。
「俺が昔に暴れてたみてぇに、お前が今まさに世の中の全てにイラついてるみてぇに、どんな金持ちでも世の中の仕組みってヤツはムカつくもんさ」
「……」
「そのハリソンの坊主も親の七光りがウザってぇはずだ。だから真反対の世界に片足突っ込んだり、危ねぇ橋渡ってみたりすんのさ。……だが結局、生まれついた肩書きから逃れられない。それに我慢ならねぇんだ。そこには何一つ、自分が望んで得た物が無いわけだからな。そんなんなら、むしろ端から形に無い方が幸せだった、ってよ」
痛い。
その台詞は俺の胸をハッキリと貫いた。
だってそれはつまり――
「ヘッ、俺らと同じだろ?」
そう言うと、ロブはタバコを出す。
箱をこちらに向けられたので、俺は首を横に振った。
それを見たロブは少し驚いた顔をしたが、すぐに自分の分に火をつけ喫んだ。
……確かに同じかもしれない。
奴と俺は真反対。だけどロブの言っていることが本当だとすれば、俺らがこの生まれに何かこう、生まれながらの劣等感を覚えていて、そんな状況を作り出しといてのうのうと生きている企業人達が憎いと感じるそれにすごく似ている。
「お前から見たら奴さんは恵まれてるかもしれないけど、あっちから見たお前も案外そう思われてるってことさ」
思うに、ロブの言うことは恐らく正しい。
ハリソンの生まれを揶揄すると確かにそんな反応をしていた。
親の七光りって思われるのが相当に嫌だと見受けられる。
だからいつだってやりたい事ばかりを出来てるように見えるアウトローがムカつくんだろう。
それにしても、こちらの事情を何も話していないロブが何故ここまで詳しくわかるのだろうか。
それが気になった。
「なんで、そんな事分かるんだよ」
咥えたタバコを指に挟み、彼は答えた。
「……そういう奴ァ俺が若ぇ頃にも何人もいたんだよ。何もかも面白くねぇって面したエリートの息子達がな、そりゃもうわんさか。そいつらは次から次へとバカみてぇにチーマー集団を作り出した。んで結局、どれもこれもそのままバカみてぇに死んでったよ。そいつも多分その口だろ、知らねぇけどな」
そんなんでビッグハンドの1つ、ハリソン家の息子があんな事してるのか?
はっきり言って、ついていけない。
だが、悲しいかな。
その気持ちは痛いほどわかった。
俺が奴を満ち足りてると思うように、あいつから見た俺もそう見えてるかもしれないってこと。
現実はそんなわけがないのに。
だが、どうしても隣の芝生は青く感じるもの。
奴の俺への怒りはきっと、俺が奴に感じている怒りと一緒。
“恵まれてる癖に辛気臭い顔しやがって”
概ねこんな感情だろう。
はぁ、人ってのは厄介な生き物だ。
周りと比べて生きて、何が面白いんだかな。
……待てよ。
これってもしかして。
「全部、俺のことじゃないか」
そこで1人、俺はボソリと呟いた。
他人が羨ましくて、自分の恵まれた環境は出来るだけ見て見ぬふりをする。そうして世の中の全てを恨んで、この世界はまるで面白くないと悪態をつく。
これじゃ、まるっきり全く一緒だ。
「……俺も当時、同じ事を思った」
どうやら俺の口からつい出た独り言は、彼の耳に届いていたみたいだ。
「だけどな。奴らと俺らとで一つだけ違う事がある。なんだか分かるか? ……それは信頼できる仲間がいるかどうかだ。奴ら企業人は裏切り裏切られの世界。こっちの世界も同じと言えば同じだが、決定的に向こうと違うのはそこだ。あいつらは生来染み付いた疑心暗鬼と猜疑心が拭えず、最後には誰からも愛されず、信頼されずにおっ死んでく。その点で、俺らとは決定的に違う」
ロブは明後日の方向を見ながら話していた。
それはまるで、過去に亡くした友を思い出すかのような、そんな哀愁を感じるものだった。
「心から信頼できる仲間がいるお陰で、俺ァこうしてくたばり損ねた。……そんで今となっちゃ、こんなシケたバーを経営してるってんだから、人生何があるか分かんねぇよな!ガッハッハ!」
俺は片眉を上げてロブの顔を見た。
「おい、否定しろよ」
「いや、実際シケてるでしょ」
「ったく、これだからガキは」
ボリボリと頭を搔くロブを見て、俺は少し笑った。
……なんだか分からないが、やる気が出てきた。
どうやら、俺にはやらなきゃならないことがあるみたいだ。
「俺、もう行くね」
「……おう。また来い」
立ち上がって出口に向かう。
だが出口の前で止まって、俺は振り返った。
お礼の一つでも言わなきゃ。
こんな時代でも多少なりとも礼儀ってもんは大事にしなきゃならない。
「ねぇ、美人の店員でも雇ったら?ここに来る度に萎んだオッサンの顔だけ見なきゃいけないの苦痛なんだよね」
それを言い終わると同時に、液体の入ったペットボトルが飛んできた。
それを華麗に避ける。
「おい!!待てクソガキ!!!」
そんな声が後ろから聞こえたが、次の瞬間に俺は笑いながら走り去った。
俺らの関係なんてこんなんでいい。
これが照れ隠しのお礼代わり。
外に出るとすっかり暗くなった空と風は、体内の空気を入れ替えるのにちょうど良かった。
大きく息を吸って、俺は一歩を踏み出した。
昼間の明るさとはまた違う、夜中の明るさを演出するネオン街を通り、俺はまたアパートに帰った。
ドアを開けてもそこには誰も居なかったが、さっきとは違ってあまり悲しくはならなかった。
しかしそれでも扉を閉め、屋上に向かった。
そこにあるベンチに横になり星空を仰いだ。
こうしていると心がスッキリする気がする。
……この2日間で随分良いことを学んだ。
つまらない事してるのは自分自身だった。
変な意地を張るくらいなら、泥まみれでも正直な方がマシだ。
例え何かに嫌われても。
家族や真の友人は、それでも裏切らない。
だから面白いし、前に進める。
そう思うと昨日今日、冒険した甲斐があった。
取引ではわざわざ喧嘩を買って暴れて。
そして今日はまた、あのハリソンに楯突いた。
その時に彼から感じたのは、孤独と寂しさ。
彼を見ているとまるで鏡を見ている感覚に陥った。
彼もあれで孤独を紛らわしているんだ。
きっと。
奴は俺よりも強い孤独を抱えている。
今日の彼の怒りの台詞から、大企業の一人息子というアイデンティティを心底憎んでいるように感じた。
ロブの言う通り、親の七光りが許せずそのルーツごと否定したいんだろう。
それに比べたら俺の悩みなんてそれを矮小にしたかのよう。
満ち足りた毎日がくだらないから悪態をつこうなんて、それこそ馬鹿みたいだ。
一体なんだってくだらないことを抱えていたんだか。
そんなことを思ったら、ふと悩みなんてどうでも良くなった。
世の中はつまらなくない。
この街もそうだ。
クソみたいな街だが、それでも奇妙な日常を届けてくれる。
……それに気づかせてくれたのは、妙なことにあのハリソンだ。
俺と奴は同じなんだ。
微塵も感謝したくないが、奴にもこの気持ちを味合わせる必要がある。
奴は俺だ。
でも奴は孤独だ。
ハリソンにも真の友人が必要なんだ。
俺にとってのビルやジュニアのように。
だからあいつは俺が更生してやる。
それがここ2日間で俺を成長させてくれた“お礼”ってやつだ。
そうと決まれば明日からその気で動こう。
善は急げって言うからな。
――全く。
世の中ってのは案外、面白いみたいだ。




