第38話「欠鏡①」
「いやぁ、探したよ!」
「そりゃご苦労なこった」
俺は教室に戻ろうとする。
「あれぇ?何、怖いの?」
確実に挑発だが、乗らずにはいられなかった。
それがきっと若さってやつだから。
「あ?舐めた口聞いてんなよ」
周りがざわつく中、俺は彼の前に立つ。
メンチを切り合う中で、ふと彼の後ろに金魚のフンがいることに気づく。
やれやれ、まただ。
また下僕をつけてきているらしい。
「……企業のガキってのは1人じゃ何も出来ないのか?」
「よく鳴く犬だなぁ。……落ちこぼれのぼっちの癖に」
マジで一々癇に障る野郎だ。
この場で叩き潰そう。
世の中のために、そうするしかない。
俺はハリソンに目掛けて拳を上げた。
勢いよく風を切る腕が止まったのは、彼の言葉でだった。
「いいの?殴っても。退学になっちゃうんじゃない?」
「――ッ!……クソが!」
代わりの矛先は壁だった。
廊下の壁にヒビが入る。
「あー、可哀想に。貧乏人には後ろ盾もないなんてねぇ」
「……へっ。お前みたいに何もかも親に泣きついて、おんぶに抱っこして貰ってたガキにゃ殴る勇気もねぇだろうからな」
何かが彼の逆鱗に触れた。
ズンと前に出て、咄嗟に俺の髪の毛を掴んだ。
「おい、今なんつった?」
「……あぁ?やっぱ図星だったってか?悪いな、バブちゃん。ママに来てもらって代わりに俺の事殴ってもらえよ。ククク」
次の瞬間、俺は床にキスをする羽目になった。
頬に彼の拳が当たって吹き飛ばされたのが原因だ。
流石は御曹司、腕に入れたパーツは半端じゃないんだろう。
今まで受けた何よりも痛い。
「……ペッ。こんなんでムキになって……。やっぱりガキじゃねぇか」
「……チッ。おい、帰るぞ」
まだ腹の虫は納まっていないように見えるが、彼は連れと帰ることを選んだ。
この際だ。餞別にもう1つパンチラインをくれてやろう。
「おいおい!逃げんのかよ!やっぱ家に帰って甘やかしてもらうのか!良かったなぁ!泣く理由が出来てよ!」
彼はピタリと止まり、こちらへと振り返る。
鬼の形相でこちらに向かってきた。
彼は勢いのまま、俺の胸ぐらを掴む。
尻をついた体が少し浮いた。
「いいか?僕はあんな親がいなくたって成功してる!ここに通う金も、地位も、仲間も!全部自分で手に入れた!君みたいに何の努力もせず、ただヘラヘラと生きてるやつを見てると虫唾が走るんだよ!!」
「……フッ」
俺はそれを鼻で笑った。
生まれながらにHAVESがHAVE-NOTSに何を熱弁垂れてんだか。
こいつには何か相当なコンプレックスがあるに違いない。
そもそもじゃなきゃこんな俺にわざわざ構ってこない。
「何がおかしいんだよ!」
彼は右拳を上げ、再び殴りかかった。
だが間一髪。
すんでのところでそれは止まることになる。
「ハリソン君。そこで何をしているのですか?」
そこに居たのは教師、もといヒューマノイドだった。
「チッ」
彼は舌打ちをしたが、次の瞬間には笑顔になっていた。
「先生!奇遇ですね!いやぁ、彼が転んでいたので助けてあげようと思ってたんですよ!ほら、立てるかい?」
気持ちの悪い笑顔で、その手を俺に向けてきた。
俺はその手を無視し起き上がり、ズボンのホコリを手で払った。
「素晴らしい!クラスを超えた友情はかけがえのないものです!」
「いえいえそんな……。ところで先生、この前のお話ですが――」
彼らは周りの奴らごと向こうの方に消えていってしまった。
まるで最初から俺なんて居なかったかのように。
……本当なんだったんだ。
どっと疲れた。勘弁してほしいものだ。
というかこれ、この先ずっと続く可能性があんのか?
……あー神様頼む、俺の日常を返してくれ。
「はぁ。何やってんだろ、俺」
ボソッとつぶやくと、今まで聞こえなかった周りの背景が鮮明になった。
どうやら注目されていたみたいだ。
「見せもんじゃないぞ。散れ散れ」
手でシッシッとすると、野次馬は全て消えていった。
今日はこれ以上居たって良いことはなさそうだ。
よし、帰ろう。
そのまま俺は帰路に着いた。
「ったく、なんなんだよあいつ。わざわざつっかかってきやがって」
悪態をつきながら繁華街を歩く。
俺は胸ポケットをまさぐる。
タバコタバコ。
「あー」
そうだった。無いんだった、くそ。
……。
ただ、それにしてもあの御曹司。
生まれてこの方不自由無く育ってきて、満ち足りた人生のくせに何を俺に構ってくることがあるんだ。
暇つぶしのつもりか?
それともアウトローに憧れが?
フッ、金持ちの考えることは何も分からない。
分かりたくもない。
そうしてムシャクシャしたまま、玄関を開ける。
昨日とは違い、そこは静かだった。
……あぁ、そうか。
姉さんは今日は居ない。
というよりは昨日が珍しかったのだ。
夜中だろうが朝だろうが、ほとんど居ない。
そのおかげでアカデミーに色々と納付しているってんだから。
只今、それをサボっている訳だが。
何故か分からないが、この玄関を開ければ無条件でこの胸のつっかえが取れる気がした。
そんな淡い期待でこの扉を開けた。
しかし現実はそうじゃなかった。
ただ明かりの点いていない部屋を覗くだけだった。
そこには何の解決もない。
ただ暗闇が俺を出迎えただけだった。
それを見て何を思ったか、俺は扉を閉め再び繁華街に向かった。
その行先は――。
***
「おっ!久しぶりじゃねぇか!ユウト!」
そう、ナカトミに来てしまった。
小煩いおっさんのもとにわざわざ足を運んでしまったのだ。
少しくたびれたダークピンクのモヒカン男は、まだ元気そうだった。
「うん。久しぶり、ロブ」
「お、どうしたよ。元気無ぇじゃねぇか」
「別に」
「……そうかい」
カウンターに座り、俺は何かカクテルを頼んだ。
何を頼んだかは覚えていない。
「そのアザ、どうしたんだよ。また喧嘩でもしたか?」
「……転んだだけ」
俺は何故か嘘をついた。
意味も無く。
「ハッハッハッ!最近のアスファルトってやつぁ、ゲンコツの形にでっぱってるモンもあるのか!そりゃ俺も用心しなきゃな!」
うるさい笑い声。
それにからかわれているのも腹が立つ。
「あー!もう!喧嘩だよ喧嘩!これで満足かよ!……ったく、久々に来たらこれだよ」
「んだよ、だったらわざわざ隠すことねぇだろ?いつもの事じゃねぇか。……お、なんだ?まさかあのデカブツとでもしたのか?」
「馬鹿、するわけないだろ」
「だよなぁ。んじゃあ誰だよ」
「……アカデミーの奴。ハリソンん所の一人息子らしい」
「うげっ。お前それマジか?いつからそんなアホになったんだ」
「さぁな、ビルとあんたに影響されたんだよ」
「へっ、相変わらず口の減らねぇガキだ」
「……それに」
俺の言葉にロブは手を止めた。
「俺からは手を出してない。だからまだアホじゃない」
とっくに液体の無くなったグラス。
その氷が溶ける様子を見ながら俺はそう言った。
「……大人になったじゃねぇか」
「あぁ、“つまんない”大人になっちゃったよ」
「ハッハッハッ!違ぇねぇや!」
そのロブの笑いに釣られて、俺も少し笑みがこぼれた。
特段面白かった訳ではないのに。
「しかしとはいえ、お前がトラブるなんて珍しいじゃねぇの」
「いや、完全にもらい事故だって。向こうがしつこいんだ」
しつこい理由は分からない。
だがロブなら分かるかもしれない。
そう思って俺は彼にそれを切り出してみた。
「……あんな満ち足りてるはずなのに、どうして俺みたいなのに構うんだろうな」
「あ?誰が?」
「だから、そのハリソンの御曹司」
「そいつが満ち足りてるなんて言ってたのか?」
「いや、言ってないけどさ。あんな不自由ない生活してるんだから、そうだろ?」
「いや――」
ビルは真剣な顔をした。
「そりゃ違うな」
「え?」




