第34話「Zilch」
その日もいつも通りの日だった。
「おーい。来たぞ」
学校の帰りそのまま、いつも通りBAR『SHINER』に顔を出す。
すると初めに目が合ったのはジュニアだった。
「んだよ、またサボりか」
「いやいや、今日はちゃんと行ったって」
「へぇ。どうだかね」
ジュニアは半笑いのまま、奥に歩いていった。
ビルを呼びに行こうとしているんだろう。
「ビル!ユウトが来たぞ!」
そう彼が奥に声をかけると、向こうから声が聞こえた。
「あいよ!」
そう言って数秒後に顔を見せたのは、ビルとドン・シルヴィオだった。
「元気か、クソガキ」
いつも通りの挨拶を言う親父さん。
もちろんそれに返事をする。
「まぁね、いつも通りだよ。ええと、それで、今日はなんか手伝いある?」
「あー、そうだ。受け取って欲しい荷物がある。それを取ってきてくれ。……今、座標と時間を送った」
直接送られてきたデータを確認する。
そんなに遠くないし、荷物もデカくなさそうだ。
運動がてら歩いて行くか。
「行こうぜ、ビル」
「じゃッ、行ってくるぜ!若、親父!」
2人に見送られ、俺とビルは外に出て歩き出す。
ふわりと吹いたそよ風に前髪が煽られ、鼻とおでこをくすぐった。
前髪を手でかき上げ、胸ポケットから煙草を取り出す。
それに火をつけ、一服。
「今日もガッコー、サボったのか?」
隣から声がした。
同じような質問に辟易とする。
「お前らなぁ。言うほど俺、不良じゃないんだって」
「おっと、悪ィな。最近の優等生ってのは煙草を吸うモンって知らなくてよ」
「……姉さんみたいなこと言うな」
こいつは放っておくと、鋭い皮肉を言う。
腹立たしい事この上ない。
「ンで、受け取りの時間何時だって?」
「……夜だな。まだ5時間くらい時間がある」
「お!マジかよ!ンじゃあその前に遊びに行けるな!クラブでも行こうぜ!」
「ったく、よく人の事言えるよなぁ」
「オレ様はお前みたいな凡人とは違うからな。素行不良でも優秀なのよ」
「……いや、じゃあ素行不良でも成績優秀な俺が一番凄いだろ」
「おっと、そうなっちまうか……。まァそれでいいか!どっちも優秀!」
えらい自信だ。
この前やらかして親父に怒られたのを忘れたのかもしれない。
「この前遊んでたら、仕事に遅れて怒られたろ」
「ンでも、5時間もあったら結局時間潰すしか方法ねェだろ?」
「それは……、まぁそうだけど。ロブさんのとこ行って時間潰せばよくないか?」
「おい!あんなオッサンのとこ行ったって何が楽しいんだよ!辛気臭い奴らがたむろしてるだけだろ!」
結構世話になってるから口には出さないが、まぁ同感だな。
あそこはなんて言うか、疎外感を感じる。
何故だか分からないけど。
「それもそうか。……じゃあ、まぁ、どっか行くか」
「ッしゃぁ!そう来なくちゃ!」
ビルが俺の背中をバンバン叩く。
普通に痛い。
こいつは加減を知らない。
これを筋肉馬鹿というんだ。
サイバーパーツをつけたり、シェルのような皮膚装甲で固めた腕を、果たして筋肉と形容するかという疑問は残されてるにしてもな。
……しょうがない。とりあえず向かうとしよう。
***
眩しい光。
鳴り響く音。
とにかくうるさければ良いといったような曲だ。
こんなものを音楽と言えるのか。
そう思う事もあるが、周りも自分も踊って楽しんでいる以上、これも音で楽しむ形の1つなんだろう。
ブレザーは脱いだ。
シャツが良い。
踊って暑いから脱ぐのかって?
……まぁそれもあるが、1番はガキだってバレないようにだ。
特にウチの生徒ってバレたら、……かなりマズい。
正確には生徒ってバレる事は問題ないんだが……。
まぁ、それはまた後で話すことにしよう。
それにしても酔ってきた。騒ぐのも一苦労だ。
ここらで一休みしよう。
知らん奴と踊ってるビルを放り、俺は隅に寄る。
その暗がりで、俺は煙草に火をつけた。
うん、分かってる。
いわゆる反抗期だってのは自覚してる。
だけど分かってたって止められないものもあるんだよ。
直したくても無性に、こう、なんていうか、何にでも腹が立つんだ。
腹立つ自分にも腹立つって言うか。
暴走機関車って感じ。
ティーネイジャーを過ぎた奴らなら理解出来ると思うけど。
いや、ビルにそんなものは無さそうだし、俺が変なのかもな。
……はぁ。今更、何考えてんだか。
先程まで自分がいた場所を見る。
紫や緑、色とりどりにライトアップされている。
周りの人間はそこで踊って照らされている。
なんだかそれが、皆は光、俺だけが影って感じだった。
……帰ろうかな。
ビルには、受け取りは任せたってメッセージだけ残そう。
どうせ大した荷物でもないだろうし、いつも通りなんかの金になるものとかデータとか、そんなんだろ。
いや、そんなのもどうでもいいか。
つけたばかりの煙草を踏みつけ、俺は帰路についた。
***
そんなこんなで我が家に帰ってきた。
別に裕福って訳じゃないが、大企業に就職してる姉さんのおかげでまぁまぁなマンションの一室に住めている。
2人暮らしでそんなにでかいところ住んでもな、って事でそこそこの広さって感じ。
いつも通り無言で玄関を開け、手を洗って自室に向かおうとする。
するとリビングから姉さんが出てきた。
「ちょっと、ユウト。言うことがあるでしょ」
あぁ、そう。
これも、いつものだ。
「別になんもないよ」
「ただいまは?」
めんどくさい。
だがもっとめんどくさいのは、これを断って言わなかった時だ。
だから言うしかない。
言うしかないって思った方が、楽だから。
「……ただいま」
「うん!よろしい!」
そう言いながら彼女は手を広げる。
俺はこれが嫌いだ。
何故かって?
分からない。
だけどなんだか、うっとうしくて。
「……やだよ」
俺がそう言って部屋のドアを開けると、姉さんは強引に俺を引き寄せ、抱擁した。
身長は俺より姉さんの方が大きい。
抱きしめられると、丁度彼女のあごが俺の頭に当たる。
小さい時からこの差は変わらなかった。
曰く寝ないから伸びないのだと。
……そんなことを考えながらそっぽを向いていた。
彼女は俺の背中に腕を回すが、俺の両手は以前ポケットに突っ込んだままだ。
昔からそうだった。
帰るといつでもこうしてくれた。
だが、いつからか俺はこれを返さなくなった。
その代わりに少し頬を赤らめ、明後日を向いてただこの時が終わるのをじっと待つだけの作業になったのだ。
そして、背中を2回優しく叩かれる。
終わりの合図だ。
「おかえりなさい」
彼女の満面の笑みを見て、また俺は顔を逸らし自室に入っていった。
ベッドに仰向けにダイブする。
正直胸が痛い。
それこそ姉さんは寿命を削ってるって表現が正しい。
大企業に勤める人間の下層など、皆そんなもんだ。
命を削って削って、金を稼いでいる。
そうして少しでも俺を楽させようとしてくれている。
学校だってそうだ。
“Goodman Academy”
言わずと知れた名門校。
21世紀を代表する資産家、アイザック・グッドマンにより設立されたそこに俺は通っている。
その高い授業料は、姉さんがサカモトで働いてなきゃ賄えないものだ。
経済、経営、企業、法律、テクノロジーといった科目に特化したカリキュラムで、未来の企業人エリートを育てることに特化した学校で、大企業の御曹司、政治家の跡取り、その子弟、そんな連中で構成されている。
そんな俺には場違いな所に通わせてくれているのは、ただ一心に俺のためを思ってのことだ。
でもだからって、クラブに行くことがばれたらまずいのは規律が厳しくて、一発退学だからとかそういうんじゃない。
ここには外部の人間には秘匿されている醜悪な制度が存在する。
それが”クラス分け”だ。
あぁ、確かに西海岸では日本に強く影響を受けた学校も少なくない。
だからクラス分けなんて普通だろ、って思うかも知れないけど、ここでは一味違う。
……なんたって親の地位でクラスが分かれるんだ。
しかもそれは分かりやすく制服に刻まれている。
つまり内部の人間が見れば、その学生がどこのクラスにいるかって分かるってこと。
上からABCって続いてくんだが、俺みたいなのはそんな順番すっ飛ばしてZが与えられる。
Zクラス。
響きはかっこいいかもしれないけど、つまり最下層って意味だからな。
校内では容赦なく見下されている。
人だとも思われていない事だろう。
そうやって選民思想を植え込むことも教育の一環なんだ。
俺らはそのサンドバッグ役ってわけ。
だからクラブに行ってるのが他のアカデミー生にバレたら、何言われるか分かったもんじゃない。
最悪退学に追い込まれる可能性もある。
そういうわけでウチの学生だってのはバレたくないんだ。
正直、めんどくさいよな。
でも授業はヒューマノイドが先生だし、教育の質はクラスによって差があるわけじゃない。
ただいつもの学校生活で隅に追いやられるだけだ。
それを数年耐えれば卒業の証が貰えるんだから楽なもんだ。
人によっちゃ辛いだろうし、当然やめる奴も多いわけだが、姉さんの苦労に比べたら俺の苦しみなんか可愛いくらいだ。
……。
そのはずだ。
確かにそのはずなんだが、俺は結局この有様だ。
何に感化されたか知らないが不良と言う方が似つかわしい人間になってしまった。
それは成績が良くたって関係ない。
確実に素行は不良のそれだ。
どうしてこうなったんだろう。
今の俺は……なんていうか。
何もない。
そうした得も言われぬ絶望感に苛まれそうになると同時に、室内にインターホン音が響いた。
姉さんがそれに応答する声が聞こえると、その第一声に俺は思わず飛び起きた。
「あら!ビル!いらっしゃい!元気だった?」
……なんで来たんだ、あいつ!




