第33話「前夜」
「エミリー、とりあえず落ち着いてくれ。……今どこにいる?」
「今……えっと、今は……」
「OK、分かった、大丈夫。俺ら今からナカトミ行くんだ。来れるか?」
「う、 うん、分かった。向かうから、来てね」
「あぁ、必ず」
俺が言い終わると脳内通信は切れた。
痛々しい程の涙声だった。
それだけでアートの事で何かあったと分かるには十分だった。
早めに行った方がいい。
2人の視線を感じて、今の出来事の説明責任があることを覚える。
「エミリーだ。アートの事で切羽詰まってるみたいだった。多分、急を要する」
「向かうのか?」
「あぁ、そうしたい」
「場所は?」
「ナカトミ」
「まぁ、丁度いいところだが、時間は平気か?」
「平気だと思う。……これ見てくれ」
俺は先程送られてきた謎のメッセージを表示したホログラムを目から宙に出力し、マイケルとハンナに見せる。
「総帥か」
「……えぇ、お父様ですわ」
「俺もなんだかそんな確信がある」
このメッセージは総帥が送った。
そうなのだろう。
いや、それしかないんだ。
そんな状況下だ。
俺はホログラムを閉じる。
「不愉快だ。全て見透かされてる。こちらは何もかもが後手後手だ。奴は本当に人間をコントロールしているのだという気にさせられる」
マイケルが言った言葉は、俺の気持ちと紛うものだった。
あの話が本当なら俺らの未来は操られていることになる。
いや、それよりも酷い。
このままでは全ての人類の未来はおよそ一人にコントロールされ、確定してしまう。
奴の尊大な強欲のため、たったそれだけで。
あのメッセージは恐らく、それを示唆している。
脅しだ。
全て分かっている、視ているというその顕示。
俺らが挑発に乗り、黄金郷に向かうことも、その道中でエミリーから連絡が来ることも。
そして、これからのことも。
だが、それでも。
「それでも、行かなきゃ」
それを聞いて、2人は頷いた。
多分皆、同じ気持ちだろう。
それを聞いていたであろうビルが少しアクセルを強めた。
そうだ。今はナカトミに急ごう。
それ以外の事はその後でいい。
***
「……」
うるさいくらいの静寂がその場に充満した。
テーブルを挟んで座っていたエミリーが今、話し終えた。
彼女の手は今微かに震えている。
その隣で心配そうに彼女に寄り添うハンナ。
立ったまま腕を組んで聞いているビル。
そして少し離れたところで真剣な表情をしたマイケル。
今は警察じゃないと伝えるとすんなりとバーに入る許可が下りた。
そして、そう。
今、皆でエミリーからアートの話を聞いた。
アートを思うと感じたざわめきの正体はどうやらこれらしい。
彼はもう限界だったんだ。
……一ヵ月だ。
たった一ヵ月。
俺らと離れて過ごしたその一ヵ月は、彼の精神を壊すのに充分な時間だった。
あるいは、徐々に壊れつつあることに俺らが目を背けてきたのかもしれない。
アートは強い。
そうやって言い聞かせながら。
だけど現実はそうじゃなかった。
アートはエミリーを拒絶した。
ありえないことだ。
どんな角度から見ても、これは異常事態。
エミリーによると、まずアートを襲ったのは、仕事の多さによる睡眠不足だった。
それは次第に他者への暴言へと繋がる。
あとは、部下への八つ当たり、器物破損、暴力。
様々な、彼らしからぬ行動がエミリーを苦しめた。
そしてその加虐性は自身のガールフレンドにも及んだ。
だがそれでも、それでも、いつものアートに戻ってくれるはずだと信じた彼女は、今日、とうとうあのビルから脱出した。
……目の前にいるエミリーの顔には痣がある。
あいつは女に手をあげない、そういう男のはずだ。
疑う訳じゃないが、未だに信じられない。
だが、彼が変わってしまったことを、それは何よりも証明していた。
曰く”豹変”だと。
あの時エミリーを止めていれば、いや、それよりもアートにもっと寄り添ってやれば、こんな結果にはならなかったのだろうか。
だが、それではあいつに対する信頼が無いことになる。
例え何度やっても、こうなる運命なんだろうか。
考えても仕方の無いタラレバが頭の中を反芻する。
そんな状況の中、それでも俺には少し思うところがあった。
恐らく、それはビルかもしれない。
「……1つ、聞いてもいいか」
俺はあまり刺激しないように、エミリーに語りかける。
確かにアートのことを思うと胸が痛むが、今はエミリーを支えなければならない。
彼女は瞳を伏せながら、小さく頷く。
「……うん」
「その、アートから助けてほしいって言う意思は感じたか?」
エミリーは俺を見る。
この質問の真意はなにか。
それを見極めたいというよりは、ただこれにどう答えたものかという戸惑いだろう。
それでもすぐに彼女は口を開いた。
「難しいけど……。そう感じた」
「それはどんな時に?」
「うぅん。えっと」
ハンナがこちらを見た。
それはそうだ。
何故こんな質問をするのか、それが理解できぬ。
そんな顔だ。
「……たまに」
エミリーはそれに気づかないうちに俯きながら話す。
「たまに、立ち止まるの。考えてるっていうか、何かと闘ってるっていうか、葛藤みたいな。その時、すごく、苦しそう……だった。でも、あの目を、アタシは止めて、あげられなかった」
再びエミリーの目に涙が浮かぶ。
それをハンナが肩を抱いて支えた。
だが、やっぱりそうか。
その言葉を聞いたビルと俺は目が合う。
やはり俺とビルの考えていたことは同じだったらしい。
するとビルが重々しく声を出す。
「……エミリー。こんなこと言う時じゃあねェってのは分かってる、だが言わせてくれ。ちょっと前言ってたよな。オレたちの馴れ初めを知りてェって」
「え?う、うん。言ったかも」
「それ、今話してやれるぜ」
「……で、でも、今はそんなことより」
マイケルは相変わらず大人しく座ってこちらの会話を聞いているだけだが、エミリーとハンナは動揺していた。
何故今そんな話を。
そんな表情だ。
そりゃあ、そうだろうな。
だが、あれはビルの不器用な思いやりだ。
今は昔話でも聞いて気分転換したほうがいい、そういうことだろう。
それに実際、ビルの言う通り、今その話をするのは結構いいアイデアなんだ。
なんせ俺とビルは似た状況のアートを昔見たことがある。
まさにそれは俺らが出会った頃の彼だったんだ。
「まぁまぁ。はやる気持ちも分かるけど、今すぐにあいつの所に行ったところで解決するわけじゃない。それに今日はもう時間も無いし、どうせ動き出すのは明日だ。だから、ビルのアイディアは良いアイディアだと思うよ、俺は」
それに今の感情のままエミリーを外に出すのは良くない。
好きな人の過去の話って気になるもんだろ?
だから俺らが”少し”やんちゃしてた時の話で気が紛れてくれれば、それだけでもいい。
「何か今のアートに繋がる部分もあるかもしれないし、エミリーが聞いてくれれば、アートを元に戻す手がかりが得られるかもしれない。それに、俺とビルはその様相のアートに心当たりがあるんだ。それをエミリーが知っておいて損は無いと思う。だから今は俺らの話を聞いてほしい」
エミリーは少し考え始めた。
まぁ、我ながら訳の分からないお願いだからな。
だから悩むのも無理ない。
自分のボーイフレンドが苦しんでいる時に自分だけのうのうと……ってどうしても思っちまうよな。
だが、アートのことを考えると辛いだろうから、昔の思い出話で気を紛らわせようという俺らの真意を見抜けないエミリーじゃない。
本来、気遣いというのはそれを悟られないことが必須条件だが、今回の場合はその圧を感じてもらいたい。
アートをいつも通りのあいつに戻したいのは当たり前だが、目の前のエミリーを救えないようではアートを救ったって意味がない。
だからここは少し強引にでも納得してもらう。
そう願っていると、後ろで一人座っていたマイケルが立つ。
「賛成だ。面白い。アルコールを持ってこよう、長くなりそうだ」
そう言って、この少し広い個室から出て行った。
エミリーからするとほぼ他人の彼がそう言う事によって、少し断りづらい雰囲気になった。
それが狙いだろう。
俺へのフォローのつもりだ。
マイケルらしいっちゃらしいやり方だな。
「うん、そう……だね、アタシも、知りたい。昔のアートのことも、皆のことも」
少し笑みを浮かべ、彼女も同意した。
申し訳ない気持ちがあるが、今はこれでいい。
エミリーの心を救ってやれるのなら。
「ッしゃア!オレ様も酒持ってくるぜ!アイツにまかせたら、ツマンネー酒ばっかり持ってきそうだからな!」
「フフッ確かに。頼んだぞ」
後ろ向きで腕を上げて、彼も出て行った。
「まぁ、ハニーにも俺らの過去を知っておいてほしいところもあるしな。自分語りでつまらないかもしれないが、我慢してくれ」
俺はエミリーの横で一番困惑してるであろう自分のガールフレンドにも声をかける。
「え、えぇ。私はエミリーがそれでいいなら、構いません」
そうして、少し待つとビルとマイケルが帰ってきた。
「オイ!コイツ、ヤバいぞ」
ビルがそう言いながら入ってくる。
ため息をついたマイケルも一緒だ。
「なんだよ。2人揃うと相変わらず騒がしいな」
「結構高めのSAKE頼みやがった!良い趣味してるぜ!」
そう言って二人はいくつかの瓶をテーブルに置く。
ウイスキー、ジン、果実酒、日本酒、合成酒、アイスペールや炭酸水も持ってきていた。
確かにほとんどが高めの物だ。
どうやら本格的に語るつもりっぽい。
果たして、このレパートリーに見合う話を提供出来るだろうか。
とりあえず友情に乾杯し、語り始めることにする。
先程と違って、皆で輪を描くように座る。
「えーと、どっから話せばいいか……」
「あれは……何年前ってコトになんだ?」
「俺がアカデミーに通ってた時だから……、七年前くらいか」
「おっ、マジかよ!なんかそう聞くと年食ったもんだなァ」
「一向に大人にはなれなそうだけどな」
俺とビル、二人でそう笑い合う。
咳払いし、気を取り直す。
「ええと、だからこれから話すのは七年前の俺らの話だ」
「な、七年前のユウト……」
「……へ~、なんかそう聞いたら写真とか見たいかも~」
何故かゴクリと唾を飲み込むハンナ。
ニヤけ始めるエミリー。
うん。この作戦は正解っぽい。
段々エミリーがいつもの調子に戻ってきた。
場の空気も徐々に温まってきた。
だが、いつもの彼女に戻る程、その痣が痛々しく見える。
アートのやつも、1発ぶん殴ってやらなきゃ。
いや、俺、ビル、本人だから。
……3発は殴る計算になるな。
それで……あぁ、そうだ。
写真か、あったかな。
「ロブが持ってるんじゃないかな。後で見せるよ」
「え~今見ようよ~。ハンナも見たいよね~?」
「え、えぇ!もちろん!」
エミリーよりもワクワクし始めたハンナを見てやれやれと思いつつも、そういう訳で俺はロブの下に行く。
「ロブさん。あのー、ほら。皆で撮った写真ない?昔撮ったじゃん?」
「あ?あぁ。裏にあるぞ、要るのか?」
「うん。ちょっと貸してほしいんだけど」
そう頼むとロブは裏からそれを持ってきてくれた。
このご時世珍しい現像した写真だ。
丁寧に写真立てに入れてある。
大事にしてくれているのだろう。
そこには俺、ビル、アート、ロブ、ジュニアとその親父さんが写っていた。
写ってないが撮ってるのはミラって名前の情報屋だ。
制服姿の俺とアート、今より手のかかるビルと今は亡きジュニア、笑いながら俺らの肩に手を置くロブとクラシックスの親父さんの写真だ。
どう見てもクソガキどもの面倒を見る親って感じだな。
……これ見せるの恥ずかしいな。
そう思っていた。
「思い出話か?」
ロブが少し顔を崩して聞いてきた。
「え?あぁ、そうだよ。なんかひょんなことからな」
「そうかい」
「ロブも手が空いたら来てよ。そっちから見た話も聞きたいし」
「……フッ、暇ンなったらな」
そんなやり取りをして、俺は奴らの所に戻った。
少しためらいながらも写真を見せる。
「え~、何これ~皆可愛いじゃん~」
「これがユウトの……、青春時代……」
「見るからに悪ガキだ。私がいたら職質だな」
ビルは懐かしいと言い、ガハハと笑っていた。
恥ずかしさを振り払うように、俺は口を開く。
「まぁ、だからその頃の話だ。見ててもいいけど、ちゃんと聞いてくれよ」
そう言うと、皆の注目が俺に集まった。
「えーと、そうだな。じゃあ、ここから話そうかな――」




