第32話「Invisible Chain」
バタバタとなだれ込むようにバンに乗り込んだ俺らがきちんと座る前に、ビルはアクセルを全開にする。
「っしゃア!捕まっとけェ!」
装甲車ほどではないにせよ、頑丈な車のリアに銃弾が甲高い音で当たるのが聞こえてきた。
だがそれでも見る見るうちに、CKSFの本部の姿が小さくなっていく。
追手もいない。どうやら撒いたみたいだ。
「ヒャッホゥ!オレ様の愛車の加速度ナメんなよ!」
一瞬両手を挙げて喜ぶビルの方を見る。
「おい、そろそろ安全運転してくれよ」
「おう!任せとけ!」
「ったく、信用ならないな……」
座りなおし、俺は向かい合わせに座るマイケルの方を向く。
……確かにこいつは強い。
だが妙に引っかかるところもあった。
人類最強の部隊とも称されるCKSFがあの程度なのだろうか。
……いや、それを凌いでマイケルが強いだけ?
終わった事、過ぎた事だと考えるには些か不安が残る。
あぁ、分かってる。
今は考えても仕方ない。
そうだと分かっていても拭い切れない、この脳の隅の靄。
……。
あぁ、そうだ。
そんなことよりも、もう1つ引っかかるところがあった。
「……2人とも、あんなことするなら事前に合図くらいくれよ!」
先程の作戦は、俺だけが知らされていない仲間外れの作戦のような気がした。
そんなことは無いと分かってはいるが、それでも一言言わないと気が済まない。
隣に座るハンナが口元に手を置きくすくすと笑う。
「敵を騙すにはまず味方からですわ」
マイケルは鼻でフッと笑う。
「そういうことだ」
「……はぁ、本当に誰も信用ならないな」
一瞬の間、ふとこぼしたその言葉に、マイケルが反応する。
「……本当に信用ならないのは」
彼はハンナの方を、含んだように一瞥する。
「エドワード・グレイスだと思うが」
彼の言ったことは全くその通りだった。
奴が一番信用ならない。
「そうだ。ハニー、大丈夫か?その、相当ショックだったと思うが……」
俺が心配してそう言うと、彼女は少し俯く。
ぽつりぽつりと彼女は語り始める。
「大丈夫……と言ったら嘘になります。あれが本当のお話でしたら、私の知っている優しいお父様のイメージとは随分、乖離があるようですから。……私は世間知らずです。本当のお父様のことすら知らずに生きてきたのかもしれません。フフッ、未だに脳内通信すら不思議だと思ってしまいますもの。……ですが」
そこで言葉を止め、彼女は笑顔でこちらを向いた。
「貴方が私のためにこんなに頑張っているのに、私だけ下を向いてなどいられませんから!」
ハンナのその言葉を受けて、“安全運転中”のビルが話し出す。
「悪かったなユウト!オレじゃお嬢サマを抑えられなかったぜ!……なんせ、オマエが通信で『死んじまうから早く助けてくれ』って言った時、急にハッとした顔して出て行っちまったんだよ!オレ様の制止なんか聞こえて無ェみたいにな!……愛されてんねェ!」
それを聞き、お礼と危ないことはしないでほしいとハンナに伝えようと思い、彼女の顔を見る。
そっぽを向いているが、耳が赤く染まり、照れているのが容易に想像できた。
だからお礼の代わりに彼女の膝にある手に、俺の手を重ねるだけにしておいた。
これだけで伝わるだろうから。
「ヨハンナ嬢は立派に君を助けた。フッ、初めて出会った時、髪を切り落としたのには驚いたものだ。それを見て私は正直、他の人間と同じように、夢見がちなティーネイジャーの気分が抜けていないのだと思っていた。だがどうやら、ヨハンナ嬢の”覚悟”は相当なモノのようだ。エドワードとは違い、信用、信頼に足るお人柄だ」
再び照れくさそうにする彼女を意に介さず、マイケルは一呼吸置く。
「……これから黄金郷で何が起こるか分からない。ただ、恐らくはまた罠だろう。だが私としてはやはり総帥の下に話を聞きに行くべきだと思っている。あの話、MAGNUM OPUSだけを目的とするには不可解な点がある。……人類全体の管理、それを完遂するためには不可解なものが」
「不可解なもの?」
すかさず聞き返す。
「あぁ、大きくは2つ。1つ、我々への計画の開示。1つ、愛娘の存在」
指でそれぞれ2つ数え、マイケルは言う。
「まず、我々に計画を開示した意図が分からないという事だ。普通に考えれば確実に要らない要素だろう。彼は最後に我々を鍵と称していた。となると恐らく、開示した後の我々の行動が重要なのだろうが……。まぁ、それも未知数だ」
確かにこれは俺も考えていた。
あそこに誘い込まれたからには、何か意味があるはずだ。
この計画を聞かせた俺らにして欲しい行動がある。
そう考えた方が自然だ。
つまりは、またしても奴の掌で踊らされるかもしれないってこと。
神妙な面持ちで彼は続ける。
「そして、ヨハンナ嬢をこちらに渡したままだという事。改造を一切施さないほど愛しているという噂にも関わらず、彼はヨハンナ嬢を返せだのという事は一言も言わなかった。明らかに不自然な点だ。……それに、あの思想を持って、何故娘に対する改造を許さなかったのだろうという謎がある。若しくはあの思想だからこそなのか。……あぁ、すまない、職業病だ。一度これは置いておこう」
ハンナが苦痛そうな顔で話を聞いていた。
無理もない。
この事実は、父親に必要では無いものとして扱われた可能性を示唆するものだ。
それに気づき、彼女の手を握る。
強く握り返してきたその手から、彼女が未知の恐怖に耐えていることが伺えた。
その健気さから少し父性が芽生えたが、一旦それを邪念だと振り払った。
……確かにどちらも不可解な点と呼ぶに値するものだった。
だが、何を考えようと、結局俺らには何も分からない。
彼が何を考えているか、この計画の真の目的は何なのか。
それにもしかすると奴の放った言葉、その全てが嘘かもしれない。
そうは思いながらも、再び耳を彼の言葉に傾ける。
アートの親父の件があるだけで、総帥を黒だと疑うのにはもう十分すぎているから。
「ともかく、これらは全て必然だと考えるべきだ。我々に計画を話したことも、ヨハンナ嬢を手元に置かないことも、どちらも計画の完遂に必要な事と考えるのが妥当だ。我々の目線から見た不可解な点は、総帥から見た必要な点に違いない」
どこかの探偵みたいな推理だ。
ありえないことを全て取り除いたあと、そこに残ったもの――。
「つまり我々は今、ヨハンナ嬢を連れて黄金郷に行く事を強いられている」
……これが真実。
そう。俺らはこんなに分かりやすい罠に飛び込まなければならない。
相手が望んでいるがままに、その行動を取らなければならない。
あぁ、何たる苦痛。
夢も未来も、何も無い。
だが自由だけはある。
それが希望の街ネオ・フランシスコで生きる、数少ない利点の1つだ。
この街の所謂『希望』の部分だ。
万引きをしようが、裸でうろつこうが、体を売ろうが、その結果殺されることになろうとも。
その全てが自由。
如何に市民監視システムが作動していようと、ここにはその自由が存在していた。
しかし今、それすらも奪われようとしている。
俺らの行動は全て、奴の思うがまま。
奴らは何もかもを奪おうとする。
金のため?理想のため?
権力者の考えることは分からない。
だが、この国の建国の精神が失われていくだけは分かる。
明日には魂を売られ、ヒューマノイドにされ、生きる自由も奪われるかもしれないんだ。
権利よりももっと原始的、そんな根本的自由までもが今、この街では失われつつある。
でも、だったら。
それならいっそ……。
「……行かないって選択肢もあるんじゃないか?」
マイケルとハンナが俺のことを見る。
それに気づきハッとする。
俺は今、なんて……。
最悪の言葉を口にしたかもしれない。
「悪い。忘れてく――」
「そうです。行かない事も、出来ますわ」
俺の言葉に被せるように隣から声がする。
「……ですが、私はある日突然、貴方が貴方で無くなることにきっと耐えられません。マイケルもビルもそうです。お友達が急にその人で無くなる、そんな事が日常になったらきっと皆、壊れてしまいます。……だからお父様を止めなければならない。例えそれが罠であっても、私を止める理由にはなりません」
……さっきまで彼女を守りたいと思っていた自分が馬鹿みたいだ。
彼女は強い。
俺なんかよりずっと。
自分の愛する父親から捨てられているかもしれない、利用されているかもしれない絶望と恐怖に、まさに今、打ち勝たんとしているんだ。
アートだって、企業の恐怖に抗い続けている。
俺みたいなぬるま湯に使ってる者が、行きたくないなんて駄々を捏ねている場合か。
……自由を捨てるという代償を払い、悪の手から世の中を救う。
柄じゃないし、今どきそんな熱血ヒーローみたいなのが流行る世の中じゃない。
けれど。
愛した人をこんな顔させて、俺だけ逃げる訳にもいかないから。
「そうだよな、ハニー。ごめんごめん。言ってみただけだ。皆の何気ない日常の為に、一緒に親父さんの計画を止めよう」
「えぇ!……えぇ!そうですわ!」
……この笑顔だ。
この笑顔のためなら何だって出来る。
そうだ。
誰かがやらなきゃ。
その誰かが俺だっていいんだ。
「……それにユウト、有無を言わさず君には必ず同行してもらうぞ。それが約束だ」
「え?いやいや、お前との取引内容は、俺が知ってるグレイスの情報を渡すってだけだろ?」
「……こうなった以上、グレイスの真実を知るのが条件だ。当初思っていたより長い期間拘束されているしな」
「……はいはい。結局俺は行くしかないってことかよ」
「安心しろよ!オレ様もいるからな!」
突如運転席から声が発生した。
いや、逆だな。よくさっきまで黙っていられたもんだ。
「あー、そりゃ頼もしいな」
「おい!なんだよ!ノリ悪ィな!」
俺らのやり取りで少し車内が和んだ所で、ふと外の景色を見るとおかしなことに気づく。
「おい、ビル。これどこに向かってるんだ」
「ロブのオッサンのとこだ」
「お前なぁ、話聞いてたのか?今は黄金郷に――」
「その前に景気づけくらいしてもいいだろ!」
全く、いつも通りで逆に感心する。
「なぁ、総帥もこいつの行動だけは読めてないと思うんだけど」
「同感だ。あちら側から見ても、ここは特異点に見えていることだろう」
「おい!好き勝手言ってんじゃねェぞ!」
「前見て運転しろ」
「わぁーッてるよ!ったくよォ」
そうこうしていると、眼の端に1件の新着メッセージのアイコンが写る。
送信者不明。いつも通りスパムだろう。
いつもならスルーするはずのそれが妙に気になり、メッセージを開いてしまった。
――そろそろ頃合いだ
―こちらに来るのは後回しにしていい
というメッセージだった。
なんだこれ。
誰かが間違って送ったメッセ?
そんなことを思って文字を見ていると、脳内通信が鳴った。
エミリーからだ。
よく連絡の来る日だな、なんて考えてコールに出る。
「エミリー!久しぶりだな、元気――」
俺の声を遮り、聞こえる声。
「――ウト!お願い、助けて!ユウト!アタシじゃ……もう、アートを……、アートを……!」
彼女の叫ぶように話す涙声は、明らかにそれが異常事態だということを示していた。
……先程のメッセージが頭を過ぎる。
頃合い?
こちらに来るのは後回しにしろ?
……あぁ!くそっ!
――今、この街で、一体何が起こってるって言うんだ!
いつもお読みくださりありがとうございます。
ここまでを第2章として区切らせていただきます。
中途半端かなとは思いつつも、引きのある所になっていると感じています。
いかがだったでしょうか。
1章の時よりも、登場人物が物語に絡み合い、話が大きくなってきました。
お楽しみいただけていれば幸いです。
また、ランキングに掲載されたことにも、心より感謝しております。
皆さまの温かいご支援が、私の創作意欲の大きな励みとなっております。
遅筆にはなりますがこれからも物語は続いてまいりますので、引き続きコメントや評価、応援などいただけると大変嬉しく思います。
読んでくださる皆さんに、心より感謝を込めて。
Mr.G




