第28話「覚悟」
「やはりCKSFは来なかったな」
中に入り、ハンナをベッドに寝かしつける。
いつも俺が寝ていたそこに他人を寝かせるのは少し不思議な気分だった。
暗い部屋を後にして、リビングに戻るとマイケルがそう口にした。
俺の方を一瞬見た後、ビルが話す。
「……そういやァ、まだ聞いてなかったぜ。CKSFはどっから出てきた話なんだ?」
「……あぁ、それか」
夕暮れの日差しが差す中、俺はいつものソファに座る。
「マイケルが言うには、追跡されてるらしい」
俺はマイケルの顔を見る。
「恐らくな」
彼は目を瞑り、下を向いた。
そうしてまた、座り直す。
「だが動きが妙だ。見てるばかりで、こちらを殺しに来ない」
それを聞いたビルはふんぞり返って答える。
「……ったく、次から次へと問題が起こるなァ!嫌いじゃねェぜ!」
「言ってる場合か。アートの親父の件といい、ハンナの件といい、何かおかしいぞ」
「……確かにユウトの話を聞く限り、普通じゃない状況に巻き込まれているのは確かだ」
その間に立ち上がり、勝手に酒を持ってきて、難しい顔をしたビルが口を開く。
「……確かに今は何がなんだか分からねェけどよ。あの嬢ちゃんをグレイスに送り返したところで、その監視が解決するとは思えねェんだよな」
「それは何故だ?」
マイケルはビルが持ってきたボトルとグラスを受け取り、人数分注いだ。
「……勘ってヤツよ」
……正直言ってビルの勘はよく当たる。
俺は受けとった合成酒のショットを一気に飲み干した。
どうやらこのえも言われぬ不安感は、アルコールでは拭いきれないらしい。
そうしてふと、俺はあることを思い出した。
「……そう言えば。この数ヶ月、俺が1人で活動していた時に噂で聞いた事だが、グレイスが各企業と連携して大きな計画を立てていると聞いたんだ。どうせよくあるいつもの噂程度のものだと思っていたが……」
「……市民監視システムか?」
マイケルが少し傾けたグラスを口前でピタリと止める。
「あぁ、確かそんな名前だった気がするけど……。なんか知ってるのか?」
「……いや、私も噂程度だ。見回りをしていると、最近になってその話が出てくるようになった。……急に皆が口を揃えて話すようになったから印象に残ってな」
それを聞いたビルが大きな声を出す。
「でもそれっておかしな話だよなァ?この街の住民の監視なんて今更だろ?」
一口飲んだマイケルが静かに答える。
「だからこそ、この噂が際立つんだ。何故わざわざそんな話が最近になって噂になっているのか?とな」
急な悪寒がする。
何やら大きな悪意のようなものを感じた。
そして、たった一つ。
当たっては欲しくないものが頭を過ぎる。
「……全部、俺らに対するメッセージ……なのか?」
「……考えたくはないがな」
……考えたくはない。そりゃそうだ。
だが、これがメッセージだとすると、マイケルがこちら側にいるということ自体も見られているという事になる。
でなければ俺らは奴らに襲われるまで、一生監視されていることに気づかなかっただろうからな。
だが、今まで考えてきたどれもが、推測の域を出ないものだ。
結局は何も分からない。
何一つ進んじゃいない。
自然とため息が出る。
企業人を相手にしているアートも、普段はこんな気持ちなのだろうか。
そう思うと、彼の事も急に遠い存在に思えてくる。
「しゃらくせぇなァ!」
ビルが急に立ち上がり、仁王立ちをする。
「うわっ、なんだよ急に!」
「……」
俺は驚いて、少し後ろに傾く。
マイケルも指で耳を塞いだ。
「こうなったらCKSFに乗り込もうぜ!」
「ばっ……!」
全くこいつは、何を言い出すかと思えば……。
「そんな事出来るわけないだろ!蜂の巣だぞ!」
「ンだよ、じゃあステルスでも構わねぇぜ!」
「いやいや、そういう問題じゃ――」
「賛成だ」
え?
思わずその声の主を見た。
こちらについてくれるであろうはずの男が、何故か反対意見を持っていたのだ。
「私が君たちに加担する理由の一つは、グレイスやメガコープの闇を知りたいからだ。ビルのは、それにうってつけの案だ。それに何より……」
彼はそう言うと、ボトルを手に取る。
空いた俺のグラスに合成酒を注ぐと、笑みを浮かべた。
「……面白い」
この瞬間、何故こいつがビルとつるんでいたのか分かった気がした。
こいつもネジが外れてるタイプの人間だ。
だが今回は相手が悪い。
申し訳ないが、1人でも抵抗しなければ。
「もしやるとしても、この人数でやるのは現実的じゃないって!二手に分かれるんだぞ?ハンナのお守りと、実行部隊で!そしたらどっちに主戦力を置くっていうんだ?どちらにせよ、どう考えたって悪手だ!」
「私の単独潜入でも構わない」
「そんなんでいざとなった時にCKSFに勝てるわけ無いだろ!例え死んでも真相は持って帰ってきて貰わなきゃ困る!……じゃなきゃリスクとリターンが合わなすぎる!」
俺が立ち上がり、声を荒らげているとビルが俺の肩に手を置く。
ビルの方に顔を向けた。
すると親指でマイケルの方を指す、ビルが見えた。
「……コイツ、オレらより遥かに強ェぞ。マジで戦闘用アンドロイドに匹敵するくらい強ェ」
「……っ、だとしても」
俺らが揉めていると、全く別の場所から声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だ。
吹き抜けのリビング、その上の階から聞こえてきた。
「私が……足でまといかしら」
すっかり暗くなってしまった窓の下、彼女はそう言って階段を降りてきた。
「……悪い。うるさかったか」
俺はハンナの方を向いてそう言った。
「いいえ。……それよりそちらの話ですけど」
彼女はマイケルとビルの方を見てから、話を続ける。
「私がお守りをされなければ、全員で現場に行くことも可能ですわよね?」
「……無理だ、ハニー」
そんなことは不可能だ。
彼女のこれから言う言葉に、先に答えを言ってしまった。
「……でしたら私も向かいますわ」
「遊びじゃないんだ。死ぬかもしれないんだぞ」
「もちろん。分かっておりますわ」
「いや、分かってない!君はまだ若い!現実が見えてないんだ!」
「私だって大人ですわ!覚悟は出来ております!」
「たかが喧嘩如きで家出をするような人間に覚悟なんてある訳ないだろ!!」
「……っ!」
……まずい。
完全に言うべきでない言葉を口にしてしまった。
……だが、これでいい。
諦めてさえくれれば、何でもいいんだ。
彼女を傷つける訳にはいかない。
もう誰も失いたくない。
だから……。
……?
彼女は黙ってキッチンの方へ向かった。
そうして彼女がこちらへ戻ってきた際に手に持っていたのは包丁だった。
部屋の空気が一瞬にして凍りつく。
その眼には決意が宿っていた。
「……ハニー?」
俺がそう呟くと、彼女はその刃先を首元に近付けた。
「おい、なにを……」
気が動転して、大きな声が出せない代わりに横でビルが静止する。
「オイ!ヨハンナ!落ち着け!」
それでも、彼女の手は止まらない。
ゆっくりと、だが着実に刃先を首元に滑らせる。
しかし、反対の手は彼女の髪の毛を抑えていた。
……。
そう。
彼女は髪の毛を切り落とした。
腰までのドリルのような縦ロール。
その綺麗な亜麻色の髪の毛が、一つひとつ、地面に落ちる。
まるではらりと秋色の葉が舞い落ちるように。
そうして彼女の髪は首元までのショートになった。
「……覚悟ならあります」
想像だにしていなかった彼女の姿を見て、度肝を抜かれた。
……言葉が出てこなかった。
「私にも……。私にだって私の意思がありますわ!私だって貴方の役に立ちたい!足でまといでも!それでも!……私は……!貴方の……!」
胸に手を当て、必死に訴えていた彼女はとうとう崩れて落ちてしまった。
泣いている彼女を見て、俺は咄嗟に近寄る。
鋭い音を立て、落ちた包丁を遠ざけ、しゃがみ込んで彼女の肩を掴む。
「……貴方にとって……私は……お邪魔ですか?」
俺の腕の中で彼女はこちらを見る。
……そう思わせてしまったことすら申し訳ない。
……全く成長しない自分への怒りすら湧いてくる。
「……そんなことは無い。君のおかげで助かってる。明るくて、優しくて、ちょっと抜けてるけど、一生懸命な君のことを愛してるんだ」
「……フフ、最後のは余計ですわ」
彼女に口付けをした。
安堵感を与えるため。
もしくはそれを俺が欲したからか。
……確かに今まで良くなかった。
碌に彼女の意見を聞きもせず、ただ守られる為だけの存在のように扱った。
疎外感を感じた事だろう。
これじゃあまるで……。
「“ミュンヘン会談”だな?」
後ろを振り向くと、ビルがそう言った。
……この前サムやコイツに対して言った俺のアイロニーが、まさかそのまま俺に返ってくるとは思わなかった。
「……今後、当事者不在でそいつの話をするのは辞めよう」
「ガッハッハッハ!それがいい!!」
こちらでそんな話をしていると、見下すような笑みを零しながら、マイケルがこちらを見ていた。
「なんだよ」
俺は彼の方を向いてそう言う。
「いや、君は案外女の扱いが下手だと思ってな」
「……くそっ、ムカつく野郎だ」
俺は再び彼女に視線を戻す。
「立てるか?」
「えぇ」
立ち上がった彼女のいつもとは違う姿を間近で見て、罪悪感に駆り立てられる。
「……髪の毛。ごめん。……俺のせいで」
「ウフフ、いいえ。なんだかスッキリしましたわ!」
彼女の満面の笑みを見て、こちらもぎこちない笑みをする。
すると、タタタとハンナは俺の元を離れていく。
そしてマイケルの方へ近づいた。
「申し訳ありません。ご挨拶が遅れましたわ。私、ヨハンナ・A・グレイスと申します。お会いできて光栄ですわ!」
マイケルはすくりと立ち上がり、礼儀正しくそこにある。
「はじめまして、私はマイケル・スカリーです。NFPDで制服警官をしていて、生まれも育ちもこの街です。よろしくお願いします」
恐らくビルとは違う丁寧な立ち振る舞いに、ハンナは感動したようだった。
嬉しそうに握手をしていた。
「……アイツ、オレらに対する態度と違いすぎねェか?」
「……そうだな」
するとこちらに対し、マイケルが口を出してくる。
「当たり前だ、君たちチンピラとは身分が違う。本来であれば、我々はお目にかかることすら出来ないご令嬢だぞ」
「はいはい。じゃあさっきの話の続きでもしますかね……」
半ば無視する形で、俺とビルは先程のソファの位置で座り込んだ。
「……先程の話によると、マイケル様は女性経験が豊富でいらして?」
彼女は純粋な目でマイケルに聞いていた。
「ゴホッ、ゴホッ。違う。まてハニー。そんな手前の話を掘り起こしたいわけじゃない」
俺は余りの急な出来事にむせる。
「……人並にですが」
「お前も真面目に答えるな!」
それを聞くと彼女は手を合わせて喜んだ。
「まぁ!でしたらビル様も含めてお聞きしたいのですけれど、甘える時にユウトが赤ちゃん――」
「わあああああ!!あああああああああ!!!聞こえない聞こえない!!話題を戻そう!!な!!お前ら!!」
「待った!そりゃあ、初耳だ!聞こう!」
「賛成だ。ヨハンナ嬢、続けてください」
急いで彼女の口を塞ごうとする俺を、ビルが後ろから羽交い締めにしてきた。
「おい!本当に!洒落にならないって!」
「ハハハ!オイ!話していいぞ!ハンナ!」
「えぇ!夜になるとユウトが赤ん坊の様――」
「うわああああああああああ!!!」
朝は企業の陰謀。
昼は家出少女。
夕暮れにはCKSFの脅威。
そして夜は営みの暴露。
……この日は一日中、地獄だった。




