第27話「ざわめき」
慣れない人間を引き連れ、慣れた街を歩いている。
俺は彼の存在の異質さに気を取られていた。
「なぁ、さっき気づいたんだけど、お前の正しい事の定義ってブレてきてないか?」
違和感を拭いきれなかった。
以前の彼ならあんな行動を取るはずがない。
それは彼が俗世に触れたからなのか、それとも何か他の理由があるのか……。
「あまり意識はしていないが、ビルと関わっていたらそうもなってくると思わないか?」
「え?いやまぁ否定はしないけど……、っていうかそれも初めて聞いたんだよ!いつからそんな仲なんだよ」
「奴は最近クラシックスに戻っているだろう。私はあの件以来、SHINERに通っているからよく会う」
「えぇ……。じゃあ親父さんとも仲良いってことか?」
「まぁ、よく話すな」
「汚職警官そのものじゃないか……」
「いつかはしょっぴくさ」
「……そうかい」
そんな会話をしながら歩いているが、彼はキョロキョロと周りを見渡し、俺の横に並んでいた。
「さっきから何見てるんだ?この辺初めてなのか?そんな訳ないよな、パトロールとかもしてるだろうし」
妙な間の後、彼は言う。
「……誰かに見られてる」
「……まさか」
俺は辺りを見回す。
そういうのには慣れているし、見つけられないわけが無い。
やはり仕事にしている人間には敵わないということか……。
いや、一応俺もこういったものを生業にしているんだが……。
なんだか悔しいな。
「……俺には見当たらないんだが」
「いや、辺りを一応確認しただけだ。周りにはいない。誰かが頻繁にこちらにアクセスしようと試みている。君にもだ、ユウト」
「おい、まじかよ」
「……この信号は恐らく……CKSFだ」
俺の背中をじんわりと汗が通る。
「Cyber Knights Security Force……。なんだってそんなヤツらが……」
この街で最も目をつけられてはならない組織の一つだ。
跡形もなく、その近辺を切り取るように重犯罪を取り締まる。
警察が手に負えない犯罪者はこいつらが担当する。
処理方法は一つだけだ。
これが来ると、もうムショに行く選択肢は消える。
その場で“解決”されてしまうからな。
しかしそれにしても……。
「俺の生態といい、CKSFといい、よくそんなの分かるな」
「……Stingray。“食べ放題のデータビュッフェ”だ」
「……何言ってるんだ?急に冗談か?」
急な話に、俺は眉間にしわが寄った。
「この国で昔そう揶揄されたものだ。NFPDでもそれは導入されていて、私のはMODSとして体内に組み込んである。君らは様々なジャマーがついているようだからあまり効かないが、それでもある程度は周りの状況で分かる」
淡々と彼は話した。
「……昔から使用されている通信監視装置?」
俺は彼の話を咀嚼して聞き返す。
「正確には2000年代に導入されたものだ。初めは特定の状況下でのみ使用される携帯電話監視装置だったが……、人ってのは力を持つと自由の侵害をしたがるものだ。早くも2010年代には警察による不正利用がされた。そこからは常習化され、進化し続けている」
なんだかやるせなくなる話だ。
これが現実なんだから受け入れるしかないと考えるには、あまりに残酷なプライバシーの侵害だ。
だがそれを察するように彼は続ける。
「心配するな。現在では完全に合法だ」
信じられぬほど見当違いの心配だ。
そんなものを心配するわけが無い。
「……お前はやっぱりイカれてるな。法の正しさは必ずしも倫理的な正しさじゃないぞ。今の政治家なんて企業の犬でしかない。真面目な議員なんか消されるだけだからな」
「……だがルールも守らないような人間の言葉を誰が信用するんだ?」
……本当にこれに彼女のお守りをやらせるのか?
いや、逆に信用できるか……。
とんでもない権力者の娘だから、法律にはガチガチに守られているし……。
……やはり、冷静に考えるとおかしな話だ。
何故それほどまでの権力者の娘が、鳥籠から出て行ったのに放置されているんだ?
俺が難しい顔をして考えていると、彼はそのまま続けた。
「と、少し前の私なら言っただろうが、今なら分かる。私が経験した上で正しい、間違っていると感じたもの以外は全て不確定事項だ。私の産まれる前から決まっていたルールなど、今は従う気にはならない」
まだ理屈っぽいが、確かに俗世に触れている片鱗が見られる。
これもビルとつるんでいた結果なのだろうか。
いや、そんなことより……。
……。
「なぁ、マイケル。CKSFに狙われてる理由に心当たりはあるか?」
「いや、全く無い」
体に電流の走る思いがした。
「……まずいな。急ぐぞ!」
俺はマイケルを大きく手招きして、走り出した。
足が地面を蹴るたびに、軽やかな音を立てる。
その一方で、胸の奥に渦巻く不安が冷たい汗となって流れ落ちる。
周囲がぼやけるほど速度を上げたが、背後に迫る何かが近づいている気がしてならなかった。
「何だ、どうした」
マイケルは突然の走りにも着いてきた。
息が乱れている様子も無かった。
「……もしかして追跡されてるのは、ハンナ関連なんじゃないかって!」
俺は悩んだ結果の結論をマイケルに伝えた。
それに対し、彼は間髪入れずに答えた。
「なるほど、良い読みだ。CKSFの厄介さは、その出資先のほぼ全てがグレイス財閥だということにある。言うなれば彼らの私兵だ。私たちNFPDよりもグレイスの影響が強い」
「そうか!じゃあ結構当たりかもな!」
俺は走っている影響か、少し声が大きくなっていた。
それとも、自分の中で大きくなってきた不安をかき消すためだろうか。
その点、彼は冷静で、その冷静さが他人事から来ているのか人となりから来ているのかは分からないが、とにかく助かっていることは確かだ。
「だが、おかしいのはこちらの動きが分かった段階で襲ってこない事だ。たとえヨハンナ嬢が目当てだとしても、こちらの様子など伺わずに殺せばいい。その後に彼女を攫えば万事解決だからな」
「つまり……?」
「そうしないだけの理由があるはずだ。その理由がなんだかは分からないが……、急いだほうがいいかもしれない」
「……あぁ、急ごう」
そう合意すると足腰についたスカイシップを起動させて走る。
足で地面を蹴るたびに反重力装置を作動させることで、驚異的な脚力を手に入れることが出来る。
これはこの数ヵ月ソロで活動している時に習得した使い方だ。
本当にこれに慣れれば、浮く、走る、跳躍、なんでもござれになる。
そんなことを考えていると、このスピードにマイケルがついてこれないかもしれないことに気づく。
まずいと思い後ろを振り向く。
するとそこには、足に電流を走らせ、まるで漫画のヒーローのように追いついてきているマイケルの姿があった。
「それかっこいいな!」
「最高速度は256キロだ」
「それって……」
「あぁ。まず立っていられない」
「……初めてお前をイカしてるって感じたよ」
「そうか」
相変わらず仏頂面をしている彼を横目に、先を急ぐ。
何かは分からない。
最近は予想だにしないことが身に降りかかっている気がする。
だから、今回も……。
聞こえてくる暴漢の大声、パトカーのサイレン、通りでのチンピラの小競り合い、いつもは何気ない街の喧騒が、今はその全てが俺の心を締め付けてきた。
……頼む。無事であってくれ。
そうして辿り着いたいつものバーは、見るも無残な姿――。
……にはなっていなかった。
何気ないいつもの入口。
いつもの景色が広がっていた。
常連の客が入口に立っていて、こちらに向かい「よう」と言う。
それに力の抜けた声で応じると、マイケルが前に歩く。
「ここか。噂に聞く、フリーの溜まり場だな」
「あ、あぁ」
俺が安堵の気持ちに包まれていると、彼は前に立ち更に言う。
「入らないのか?」
「……そうだな。行こう」
そうして気持ちを切り替え、二人で入口のスキャンまで来ると、また入口で止められた。
そりゃそうか。
そう思い、また俺だけ入ってロブの方を見ようとする。
するとロブはもう目の前に来ていた。
「うわ!」
驚いて声をあげると、ロブが言う。
「おめぇ、どういうつもりだ」
いつもの悪態をついたような、冗談めいたような彼の口調とは打って変わった口調だった。
それに少し戸惑っていると、またロブは口を開く。
「そいつ、サツだろ」
ロブの言葉にハッとする。
そういえばそうだ。
こんな職業の男をここに入れられる訳がない。
「わ、悪かった。考えてなくて――」
弁明の言葉すら出来ない。
そんな俺を見透かしたように足先から頭のてっぺんまで、舐めるように俺を睨んだ後、後ろを向いた。
「……次やったら出禁だ」
そう言い残し、彼はカウンターの方に帰っていった。
当然一部始終を見ていたマイケルが話す。
「外で待っているぞ」
「あ、あぁ、そうしてもらえると助かる」
なんだか空回りしてばかりだなと感じつつ、俺はビルとハンナのもとに行く。
いつもの慣れた店内が、少し強張って感じた。
そうして個室に入ると、二人は楽しそうに話していた。
……というより。
「ハニー?」
俺はいつもと様子の違う彼女に話しかける。
その違和感は、彼女の言葉を聞いて確信に変わった。
「はぁい。あ!おかえり、だーりん!」
……。
「おい、ビル。飲ませたな」
「弱いなんて知らなかったからな!オマエらの夜の事情も全部ゲロッたぜ!ハッハッハ!」
……ったく。
いいな、こいつらは呑気で。
「いいから来い。ここを出るぞ」
「マイケルはどうしたんだよ」
「入れないって、ナカトミに」
ビルは少し怪訝な顔をして、ああ、と顔を上げた。
「サツだからか」
「……ロブに怒られたよ」
それを聞いたビルは大笑いする。
俺はそれを甘んじて受け入れた後、早く出ろとビルを急かす。
「わぁーった、わぁーった!出るよ!」
俺はその後、にへらとしているハンナを抱える。
あれ以来、二度目のお姫様抱っこで彼女を運ぶ。
「あらぁ!もう!だーりんったら!こんなところでなんて!」
バシバシと顔を叩かれるのを無視して、俺らは外に出た。
出るときには、もうロブは全く気にしていない様子だった。
流石は老兵、助かるね。
腕を組んだマイケルが出迎える。
「来たか」
それにビルが呼応する。
「よォ!マイケル!」
「あぁ」
本当に少し仲良くなっているらしい。
珍しいこともあるもんだと思う。
「それでその方が……?」
「あぁ。……ヨハンナだ」
マイケルの問いに、俺は呆れたように答えた。
俺はそれを振り払うように、言葉を続ける。
「……ここじゃ危ない。アートの家に行こう。CKSFの件といい、アートの件といい、今グレイスに近づいて良い事があるとは思えない」
今の言葉にビルがすごい顔でこちらを向く。
「CKSFだと?」
「……走りながら話そう」
その話題から逃げるように俺はスカイシップを起動させる。
ご多分に漏れず、ビルも習得しているようで追いついてきた。
そして同じく横を走るマイケルに、ビルは気分が上がっていた。
「オマエ!そんなのついてたのかよ!オイ!クレイジーなヤツだな!オレ様が見込んだだけはあるぜ!」
「……君らは本当に似ているな」
そんな会話を全く無視して、俺の腕の中の彼女は声を出す。
「きゃー!はやいですわー!きゃー!」
横切る時の通行人の目線が痛い。
俺は静かに彼女の口を手で塞いだ。
そうしてなんとか辿り着いたアートの家の目の前。
この家のセキュリティなら後はどうとでもなるだろう。
再びの安堵を覚え、俺ら4人は豪邸の中に入っていった。




