第26話「Return of the clyde」
次の日、俺はもう二度と来ないと誓った建物の前に来ていた。
ネオ・フランシスコ市警察、……ここは第77分署らしい。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
かつて市郡と呼ばれたアメリカの行政区画は再編され、サンフランシスコ時代に保安官局も廃止された。
シェリフやマーシャルといった概念もほぼ無くなり、自治体による警察のみが正式な法執行機関として残っている。
だが再編されたとて、彼らは自治体と言う名の金に従うだけの事。
かつての自警団的な意味合いの警察は消え失せ、ただ金の犬と成り下がったこの組織は、市民からの評価が専ら低い。
だからよっぽどギャングやマフィアの方が――。
……なんてこの国のつまらない歴史と好き嫌いの話はこの辺にしよう。
なんにせよ、マイケル・スカリーのいるここにまた来てしまった。
なぜ来たのか。それは数十分前に遡る。
***
息切れしている自分のガールフレンドに、俺は心配と疑問が湧き出て、止まる事を知らなかった。
「何があったハニー!……大丈夫か!?」
走って息が切れている彼女を心配して、俺は顔を伺う。
「もう、大丈夫……、ですわ。ふぅ」
彼女は額の汗をハンカチで拭う。
あまり運動慣れしていない彼女に、ランニングはきついだろう。
だがそんなことはどうでもいい。
「……なんでこんな所にいるんだ!黄金郷を出たのか!?」
「そうよ!あんな所、出ていってやりましたわ!」
「いやいや、ハニー。外は危険だから……」
と言ったところで俺は止まり、周りを見渡す。
「ちょっと待て、本当に一人でここに来たのか?」
「そうよ!偉いでしょう?」
フフンとふんぞり返る彼女にある種の好感が湧いてくるが、そうでは無い。
さっと周りを見るに、追いかけてくる人間も本当にいないらしい。
「いや、偉いとかじゃなくて……!ここまで無事なのが奇跡なくらいだ!こんな見るからにお金もってます!拐ってください!みたいな格好で!」
俺が彼女に捲し立てると、ビルが横から止めてきた。
「オイオイ。お嬢様も困ってるからよ、とりあえず落ち着こうぜ。な?」
「……ビル!そんな事言ってる場合じゃ――」
俺がここまで言いかけると、彼女はビルの手を取る。
「まぁ!貴方がビル様ね!私、ヨハンナ・A・グレイスと申します!お会いできて光栄ですわ!」
「おう!この前は行けなくて悪かったなァ!」
「いえいえ、お身体はもう大丈夫ですの?」
「お陰でピンピンだぜ!ありがとよ!」
いつも通りの見慣れた激しい上下の握手をしていた。
確かに挨拶は大事だ。
しかし、こちらとしても平和ボケの会話を真横でされて、永遠と黙っているわけにもいかない。
「分かった。分かったから、とりあえず中に入ろう。話はそこからだ」
本当、退屈しないなと感じつつ入口に3人で向かう。
そうしてナカトミに少し入った所で、ハンナがスキャンに引っかかってしまった。
……そりゃそうか。
「ロバートさーん!初めての人入れたいんだけどー!」
入口から顔だけを出して、俺はカウンターの方に向けて声をかける。
カウンターの中で何やら機会を操作しているっぽいロブを見ていた。
やがて彼がこちらに目を配ると、もう一度スキャンされハンナも通れるようになった。
ロブに話しかけながら、カウンターを通り過ぎる。
「奥の部屋借りる。誰も通さないでくれ」
「おめぇ、その女……」
「ちょっと訳ありでね」
そう言いつつ、彼女の背中を押すように歩いて、奥の個室までたどり着く。
座るやいなや、ビルが口を開く。
「オマエ、何かハニーって発音おかしくねェか?」
「え?あぁ、いやHoneyじゃなくてHannieって呼んでるつもりなんだ。勿論言葉遊びとして、どっちの意味も含んでるんだけどな」
とそんな話をすると、ハンナは両手を頬に当て、照れたように体をくねらせた。
「ユウトったら、ビル様の前でなんて大胆な……」
一体何が彼女をそう照れさせたかは知らないが、そういうことらしい。
「……名前と言えば、ハニー。何で俺の事名前で呼んでるんだ?怒ってる訳じゃないよな?……また恥ずかしくなったのか?」
俺がそうハンナに話しかけると、彼女はあたふたして答える。
「ひ、人様の前で!その……、ダ、ダーリンだなんて……言えないでしょ!もう!全く!」
……ビルが俺の事を呆れた顔で見始めた。
大方付き合いたてのバカップルがイチャついてるように思われてるんだろう。
俺はため息をついて、話題を初めに戻した。
「それで……、なんでこんな所にいるんだ?」
そう聞くと、ハンナはプリプリと怒り出した。
「サミュエルと喧嘩してきましたわ!私、もう絶対戻ってやりませんから!」
……嘘だろサム。俺に彼女を守れって言ったのはこういう事なのか?
サムに対する若干の不信感が生まれつつも、頑固な彼女のことを説得する方法を考える。
どんな理由で不和が生じたのかは分からない。
しかし彼女とサムの関係性は並大抵のものでは無いことは確かだ。
これまでの複雑な関係が絡み合って喧嘩しているのだろう。
彼女のプライベートとプライバシーは尊重したい。
こういう時は内容を聞かないに限る。
いずれ言いたくなったら、その思いを吐露すればいい。
……それに恐らく、どんなにここで言葉による説得を試みてもどうにもならない。
時間が経てば故郷が恋しくなるだろうから、それまで待とう。
問題はその間どこで匿うかって話だが……。
まぁ、あれか。
……アートの家でいいか。
とは言え、ずっと一緒にいるわけにもいかないし、人に預けるわけにもいかないしなぁ。
まだなにかぶつくさと怒りを露わにしている彼女を放り、ビルに話しかける。
「なぁ、ビル。お前も忙しいだろうし、どうしようか。こんな場所で彼女をほっとくわけにもいかないんだが……」
「昨日の時点でファミリーの仕事も一段落してよ。そろそろ暴れてェと思ってたから、こういうハプニングは大歓迎だぜ。だけど、アートもエミリーもいねェからなァ。お守りには人が足りねェよな、そこン所を考えなくちゃな」
そう言うとビルは思い出したように、いきなり机を片手で叩いた。
その音でハンナがびくりとして、口が止まった。
ひっ、という小さい声が彼女から聞こえる。
「というか面白ェお嬢サマだな!こんな格好でこの辺ウロチョロしてたら120%襲われそうなモンなのによ!逆にそこまで堂々としてりゃあ、チンピラ共もなんかのワナだと思って声もかけねェわな!ハッハッハ!」
何を言われているか分かっていないような顔でハンナはビルを見つめていた。
「ありがとう……ござい……ます?」
褒められていると認識したのだろう。
謎のお礼をビルに言うことしていた。
事実、彼女は自分が無事であることが奇跡だとは理解していない。
黄金郷の外に出たことはほとんど無いはずの彼女の半生は、籠の中の鳥と言うにふさわしいものだった。
それを隅に置いて、俺は先ほどのビルの言葉を咀嚼するように口に出す。
「世間知らずのお嬢様を守れる程強くて、それでいて財閥の令嬢を預けられるくらい信頼のおける裏切らない奴か」
ビルも腕を組んで悩み始めた。
二人でうーん、と唸って考え、少し経った時、同じタイミングで声が出た。
「「あ」」
俺とビルは顔を見合わせる。
「「マイケルだ」」
二人で全く同じ単語を言うと、それを聞いていた目の前のお嬢様は相も変わらずなんのこっちゃの顔をしている。
「よし!決まりだ!行ってこいブラザー!」
そう言うとビルは俺の背中を叩く。
「おい、なんで俺なんだよ。お前の方が奴と面識もあるし、俺がハンナとここに居る方がいいだろ」
当然行きつくはずの結論を彼に伝える。
「オレはお嬢様と話してみたいからな!相棒がそっちの交渉を頼むぜ、得意だろ?」
「……いやいやいや、お前なぁ」
俺が呆れて否定しようとすると、ハンナが口を開いた。
「ユウトは私の為に動いてくれないの?」
意地悪な笑みと不敵な眼差しがこちらに向いてきた。
……これは俺の生来のものだろう、惚れた人間の期待に弱くあれと体に刻まれているらしい。
彼女もそれを分かっていた。
分かっている上でやっている。
俺の扱いが上手いのか、元々小悪魔なのか、それともただ甘えているだけなのか。
なんにせよ悪い気はしないものだった。
「はぁ。分かった、行ってくるよ」
それを聞いた彼女はウフフと笑った。
「お気をつけて行ってきてくださいまし。その間、私はビル様と楽しくお話させていただきますわ!」
「オレ様に任せとけ!」
……俺は2人に呆れつつ、個室を後にした。
***
「――って訳だ。力になってくれないか?」
俺はマイケルに今までの経緯を説明した。
署内に入った所で彼を呼び出し、俺と彼は前と同じように話していた。
「断る」
「おい、よく考えろって。グレイスも関わる話だぞ?お互い逆らわない方が身のためだって」
「私がそんなものに屈する人間では無いと、君は知っているだろう。あれからビルとも何度かやり取りをしているしな」
後半の話は全く初耳だが、あの時から寸分違わずお堅いポリ公だ。
頑固で面倒くさいが、今はそれこそが欲している所以だった。
「そもそも君らのような半グレ連中に加担する義理もないからな。帰りたまえ」
……なんてこった、靡く気配すらない。
ギブアンドテイクといきたいところだが、相手が欲しがるカードをこちらは持っていない。
何か相手の欲しがるもの……。
グレイスの内部事情なんかどうだ。
権力とか、腐敗政治とか嫌いなタマだろ。
案外食いつくんじゃないか?情報を集めていつか反旗を翻そうとか思ってるタイプだ。
早速、俺はそのカードを持ちかける。
「よし、分かった。ギブアンドテイクだ。俺は自分の目で仕入れたグレイスの内部事情を知る限り教えよう。その代わり、お前はハンナのお守りって事でどうだ」
マイケルは少し悩んだあと、俺の目を見る。
「確かに君は最近、黄金郷と呼ばれる場所に頻繁に出入りしているようだ」
「……この街のプライバシーの無さには本当に恐れ入るな」
しかしそれが彼の何かに触れたらしい。
「……ふむ、面白い。気に入った。力になろう」
「お、おぉ。そうか。それは助かるな」
まさか本当に上手くいくとは思わず、一瞬狼狽えた。
「着替えてくる。待っていろ」
「あぁ、分かった」
待ってる間にふと頭をよぎった。
今やっている警察業務の放棄は彼にとって許されるものなのだろうか、と。
……考えても仕方ない。
若干彼の性格のコアを見失いつつも俺はその場で待つことにした。
そうしているとメッセージが届いた。
開いてみると、エミリーからだった。
俺はそれに返信する。
──────────
――ビルにも送ったけど、アートのことは私に任せて!そっちはいつも通り暴れちゃって!
――あぁ、ありがとう
―恩に着るよ
―― ; -)
──────────
まぁ、この件は彼女に任せておけば平気だろう。
だが何故だかアートのことを考えると、少し胸がざわつく。
それを気の所為だろうと振り払っていると、私服姿のマイケルが来た。
「よし、案内してくれ」
そう言う彼とともにNFPDの分署を後にする。
そうだ、今はこちらに集中しよう。
今は目の前のこと以外を考える余裕は無いのだから。




