第25話「陰謀の影」
ハリソン・コーポレーション、本社ビル。
ここにアートはいる。
普段は肩で風切って歩けるここも、今は少しアウェイの空気を感じる。
何やら自分たちには知りえぬことが行われてる、そういう空気が立ち込めていた。
緊迫するその空気の中、俺とビル、エミリーはビルに入っていく。
そうしていつもの底抜けの明るさの受付嬢と挨拶を交わした。
エレベーターに乗り、彼の部屋に近づく。
その部屋、思えばサムの依頼の一件以来の部屋だ。だが彼はいない。
俺らは顔を見合わせる。
……やはりか。
彼は社長室にいるのだろう。
その前に立ち、俺らはノックをする。
奥から声が聞こえる。
「誰?忙しいんだけど」
「ユウトだ」
「え?」
「ユウトだって」
少し間があったあと、許可の声が聞こえた。
「……あ、そういう事か。入りな!」
その声が聞こえたあと、俺はその扉を開けて部屋に入った。
彼の好みでは無さそうな、いかにもな社長室の中、PCの画面を見たまま彼は口を開いた。
「いらっしゃい」
アートがそう言うと、ビルは彼の目の前の机に腰をかけて座りだした。
「話を聞こうじゃねェか」
「え、そっちがいきなり来たのに、僕が何か話すの?」
「いきなりの話で言うとオマエの方がいきなりだろうが!」
仕事から目を離し、ビルを不思議そうに見ているアートに、エミリーもまた近づいていった。
「ちょっと、説明が足りないよ。アート」
「え、エミリーも怒ってるじゃん。ちょっと待ってよ、なになに」
エミリーがムッとした。
後学のために言ってやるが、お前らはあぁいう女は怒らせない方がいい。
結構引きずるタイプだ。
仕方ない。場を収めよう。
「アート、お前がプライベートで仕事の話をしない奴だってのは俺らも分かってる。でも流石にこれは、なぁ?」
俺はこの部屋を見渡して言った。
その俺の言葉に、アートも少し納得したようで2人を見つつ、首を縦に振った。
「えーと、この度社長に就任しました!」
アートは笑顔でそう言った。
……うーん。少なくともエミリーの感じていた、疲れた感は彼に全く見られない。
まぁ、外れた方が良い見立てだ。
ひとまず安心しよう。
「……そんなんで納得するかァ!」
ビルが腕をアートに向ける。
あの至近距離での爆破光線は死を意味する。
「待って待って、この距離だとさすがに僕も死んじゃうって」
エミリーが机を両手でつく。
机はバンと音を立てる。
「経緯を聞いてるの、客観的な事実で終わりにしないで。貴方の身に何が起こったのかを知りたいの」
「分かったって!冗談だから!落ち着いてよ!」
「こういう時の冗談は好きじゃない」
出会ってから一年経っている訳でもないが、彼女の怒ったところは初めて見た。
そして、アートは深いため息をついた。
「正直、聞きたくない話だと思うよ」
「それでも聞きたい、アート。隠し事は無し」
「……じゃあ話すよ」
アートは椅子から立ち上がる。
そして、この部屋にあるテレビを付けた。
そこにはある写真が写っていた。
「この写真あるでしょ」
そこには先代社長、つまり彼の父親の写真があった。
テレビで誰でも1度は見た事のある顔だ。
特段変わりない姿でそこに写っている。
「これ、数年前のパパね。よく覚えておいて」
そう言い、画面が変わる。
また写真が写し出された。
変わらずアートの父親の別の写真だった。
「で、これが最近の写真。何か変わったところある?」
「相変わらず若ェ親父だなって感想以外は何も無ェぜ」
そのビルの言葉に、アートは指を鳴らす。
「Bingpot!それそれ」
「ぁン?」
「誰も気にしないんだよ、パパが若くてもさ。金持ってりゃ、現代技術であそこまで維持が出来るもんなんだって」
確かにそうだ。
MODSか遺伝子改良か、どちらを使うか知らないが、その技術で幾許か若さを手に入れることは出来る。
「確かにパパの機械化率ってのは最近になってどんどん上がっていったよ。目に見えてね。……だけどそれがちょっと引っかかったんだよね」
「その心は?」
俺の質問にアートは首を傾げた。
「分かんない、親だからかな。なんか変だなって思ったの」
……俺には無い能力なのかもしれない。
姉さんの変化に気づけなかったから。
そうするとアートは手を銃の形にして、こちらを狙う。
「だから撃った。後頭部をバンってね」
……なん、だって?
その言葉を聞いた瞬間、ビルが机から飛び降りる。
「ハァ!?」
大きな声を出すビルの隣で、エミリーは絶句していた。
アートは俯いて目を瞑った後、前を向いて答える。
「そしたらね。パパじゃなかったんだ」
「……何言ってるんだ?」
俺の中に生まれた当然の疑問に、眉一つ動かさずにアートはこちらを見据えた。
「人じゃなかったんだ、それ。すり替えられてたんだろうね。いつからなのか、分かんないけど」
「アンドロイドとかヒューマノイドだったってのかよ!」
ビルが力のこもった声でそう言うと、アートは答えた。
「うーん。ちょっと違うかも」
アートが部屋を歩き回りながら話す。
「テセウスの船って知ってる?人間ってどこまでがその人だって言えるのか、僕には分からないけどさ」
一呼吸置いたアートは、そこで立ち止まり言う。
「あれはもうパパじゃなかった。少なくとも僕はそう定義した。……例え改造している人でも、脳っていじらないでしょ?脳内通信もそこに繋いだ電子回路が、脳の微粒な電子を察知することで稼働してるんだよ。でもアレは違った」
「……完全な電脳だったんだ。噂程度でしか聞かないでしょ?……で、パパがそれだって分かったの。だから撃った」
「それだけで撃つ決断が出来たのか?」
「パパの自尊心のことを考えたらね。だってあれ、操られてたもん。恐らくグレイス財閥にね、いいように操られてたんだ」
アートはその場で悩む格好をした。
「だけど今グレイスがメインで出資しているのは、サカモトなんだよ。……なんでウチを狙ったのか、それは分からない。だけど、奴らは金のためなら何でもする。それさえ分かってれば充分だからね」
想像を絶する告白の後、長い沈黙が流れた。
エミリーの感じたアートの憔悴感はこれが原因だとはっきり分かった。
……ここまで聞いても分からなかったことは、何故彼が精神的にダメージを受けていないのかと言うことだった。
俺なら立っていられないだろう。
現に身内を失った時の俺は、人の言葉が耳に入って来ない時期があったくらいだ。
それなのに……。
その沈黙を壊したのはエミリーだった。
「なんで?なんでそんな事があったのに話してくれなかったの!?」
「……君達が気に病むだろうから」
「それでも――」
エミリーの言葉を遮ってアートが話し出す。
「こんなこと、企業にいればよくある事なの。僕は幼い頃からここに居るんだ。だからもう麻痺してるよ。でも君たちは違う。耐えられないよ、こんな話には」
それでもアートにとっては辛いことだろうに、彼は気丈に振る舞う。
先程まで座っていた社長椅子に座り、更にアートは続けた。
「それに、僕の気持ちもわかって欲しいな。こんな事に毎日晒され続けてヘラヘラ笑ってる僕を見てさ、まだ一緒に笑ってられる?……君達に仕事の話をあんまりしたくないのはそういうこと」
ここでエミリーも黙ってしまった。元より黙っていたビルは、ゆっくりとまた机に座り直した。
「分かったらもう行きな。君達が長居する場所じゃないよ」
アートが椅子を回して、後ろを向いた。
寂しそうに見えたその背中にかける言葉は、俺の脳内には存在しなかった。
項垂れたままビルも机から立ち上がる。
「……頑張れよ」
「どうも」
そう短い言葉でやり取りしたビルは、俺の後ろにあるドアの方へ向かって歩いてくる。
エミリーも悔しそうな顔をしたまま、こちらへ向かってくる。
その無念さは計り知れない。
俺らよりよっぽど悔しいだろう。
そうして振り返りドアを開けようとする俺らに対し、後ろから声がかかる。
「それから……」
俺らはその声に少し顔を後ろに向ける。
「……これから忙しくなって、会える日が少なくなっちゃうかもしれないけど、ごめんね」
その言葉を聞いて、分かったと返事をする。
無力感のまま出ようとするが、先程の言葉を聞き入れられない人間が1人いた。
エミリーは再びアートの方へ向かい、走るとアートの後姿に対して声を荒らげた。
「アタシ!ここに残るから!」
彼女の言葉に驚いたようにアートが振り返る。
「え?いや、気持ちは嬉しいけど、話聞いてた?君じゃ――」
「絶対!残るから!追い出したら嫌いになるから!」
「……参ったな」
アートは後ろ髪を手で撫でるような仕草をして、明らかに困っていた。
「置いといてやれよ」
ビルが言う。
彼にしては珍しい言い分だった。
「エミリーはオレらより強ェぜ。オレやコイツが傍にいるよりよっぽど安心だ。な?」
「フフッ。あぁ、そうだな」
「辛くなったらいつもみたいに甘えとけよ!」
ビルが緊張の中での笑いを誘発し始めたので俺も乗る事にした。
「聞いたぜ。ベッドの上での主導権は毎回エミリーだってな」
笑いながら俺がそうからかうと、アートはいつもの調子で声を出した。
「ちょっと!なんで知って……、じゃなくて!そんな事ないから!はい!不敬罪!社長に対する不敬罪だから!!」
俺とビルは大笑いしながら、その部屋を出ていった。
後ろからはアートの抗議の声と、エミリーの笑い声が聞こえてきた。
***
「グレイスはやっぱ信用ならねェ」
ナカトミに向かう帰り道、ビルはそう言った。
「分かってた事だ」
「エンジェルも無くならねぇんじゃねェか?」
俺は少し考えた。
「いや、それは無いと思う」
「なんでそう言えるんだ?」
グレイス、確かに金のためには何でもするだろう。
だがその金のためだからこそ、やらないこともある。
「ビル。なんで南北戦争が起こったか知ってるか?」
「そりゃオレでも知ってるぜ?奴隷解放が目的だろ?」
「その崇高なる奴隷解放物語の裏で資産家や投資家が企んでいたのは、全労働者を市場へ取り込むことだ」
「……どういう事だ?」
「要は金持ちにとって、奴隷は非効率的なんだ。彼らが解放され、まともに労働して得た賃金で物を買ってくれた方が、経済活動が活性化するのさ」
「ほォ」
「人が働くと労働力になるよな?これは企業にとって美味しい。しかも、その労働力に対価を支払うと、あら不思議、消費者にも早変わりするんだ。つまり彼らは低コストで生産に貢献するだけでなく、自分の得た賃金で商品を買うことで、資本家が作った商品に対する需要を生み出す。しかも自らな。……ここまでは分かるか?」
「バッチリだ」
「企業はこの二重の仕組みから利益を上げ、労働者は単なる“労働力”ではなく、“消費者”としての役割を担う。結果として、働く人間が多く消費すればするほど、企業や資本家の収益は増える。その利益がさらなる格差を生む仕組みになっている。こうしてその頂点に上り詰めたのがグレイス財閥って訳だ」
「だからグレイスはエンジェルを許さねェってか?」
「あぁ、彼ら自身が選んで人を処理するならまだしも、あれは無差別に人を殺すドラッグだ。ほっとけば客を減らすウイルスなんて、奴らは決して許しはしないだろう」
俺の言葉を聞いたビルはため息をつく。
「世知辛ェ世の中だなァ。……何でもかんでも、金のため自分のため、ね」
「……あぁ。あいつにかける言葉も見つからなかったしな」
俺とビルは空を見る。
この街を支配するクソみたいな建物郡がその視界の邪魔をするが、空はまだ、辛うじて奴らには支配されないみたいだ。
そうして悪態をつきながらナカトミの目の前に来ると、何やら人影が走ってくる。
その音に気づいて、そちらを見るとよく知った顔が近づいてきた。
瞬間、俺は顔が青ざめた。
「……ハ、ニー?」
「ユウト!……ぜぇ、……はぁ、ここにいたのね!」
そこに居たのは、ここに居るはずのない女性。居てはいけない女。
ヨハンナ・A・グレイス。
……俺のガールフレンドだった。




