第20話「羽蛇神の献身」
屋敷の入口から、両サイドにずらっと並んでいる使用人の間を通り抜けた。
……引かれている彼女の手の違和感を探るべく、感触に神経を集中させ、目で彼女の手を見やる。
ハッと思い、彼女をサイバーアイでスキャンした。
……。な……るほど。これは……。そういうことか。
彼女の生い立ち、及びその重要性、メディアに出ない理由。
俺はその全てに合点がいった。
そうしたところで、ある部屋の、ある席に案内される。
その時、使用人に膝を拭いてもらった。大して汚れてはいなかったそこは、より一層綺麗になった。
案内された席はいかにもな長い机、ではなく丸いテーブルだった。
まぁ、この部屋の装飾、この丸テーブルもいかにもなのだが……。
ハリソン本社のアートの部屋とは違う装飾スタイルだ、ロココ調とでもいうのだろうか。俺にとっちゃネオンよりも眩しい品々だった。
椅子が5つ用意されていて、そこに座らされた。
「ところで……ビル様はご都合つかなかったのかしら?」
彼女は心配そうに聞いてきた。
「えーと、それが偶然、頭の病気になりまして……」
「まぁ、大変ですわ!それでしたら名医をご紹介しましてよ?」
「あー……、大丈夫です」
馬鹿は治らないので。
「……?そうですか?」
怪訝そうな顔をする彼女を見ていると、丁度その病気野郎から声が聞こえた。
「あー……、えーと、親父に呼ばれたから切るぜ」
そう言って、ビルは脳内通信から消えていった。
大方、バツが悪くなって消えただけだろう。
我々客人3人が座ったところで、彼女が改まって言葉を発する。
その発言はカーテシーと共に行われた。
「改めまして。コホン。……ご挨拶が遅れました。私、ヨハンナ・アシュリー・グレイスと申します。ヨハンナ、ハンナ、ハンジ、お好き様にお呼び頂ければと思いますわ!」
……なんというか、明らかにワクワクしている感じが伝わってくる。
そんなに珍しいものなのだろうか。俺らは。
うーん。よく考えると、上流階級の人間が、俺みたいなフリーの人間と会う機会なんてないか。
珍獣でも見ている感覚かもな。動物園のパンダ感覚。
「じ、じゃあ、ヨハンナ……様で」
アートがそういうと彼女は少しむっとした顔をした。
おっと、お気に召さない呼び方だったようだ。
「えぇ、もちろん。そうお呼びいただいても構いません」
笑顔に振舞ってはいる。その笑顔の奥は……、怒っているというよりかは、残念がっているように見える。
「同世代っぽいし、ハンナでいいんじゃない~?」
俺とアートは小心であるあまりにひきつった顔をした。
いくらなんでも距離を詰めすぎじゃないのか?
「まぁ!ハンナとお呼び頂けるのですか!?私とても嬉しいです!」
彼女は胸の前で手を合わせ、満面の笑みで目を輝かせていた。
誘導尋問感が否めないが、お喜びいただいたようだ。
胸を撫でおろした。こういう立ち回りが正解っぽい。
これで分かったことが3つある。
1つは、今までやったマナーもなにも全く役に立たないということ。
次に、お嬢様が超我儘病弱正義令嬢ではなく。超御転婆快活女子だということ。
最後に、このお嬢様を同世代だと言ったエミリーが俺より4,5才くらい若いということ。
ティーネイジャーを卒業したばっかなんじゃないか?こいつら。もしかしたら現役なことも有り得る。
……はぁ、どおりでエミリーといると年を感じるわけだ。
彼女と話していると、自分が昔嫌っていた考えの凝り固まった大人になっていると感じる時がある。
あー、嫌だ嫌だ。
訳も分からない自己嫌悪が襲ってきた所で、サムが後ろから声をかけてきた。
「お嬢様、お茶のご用意が出来ましたが、いかがなさいましょう」
「あ!私が運びます!お前も来なさい」
「かしこまりました」
「皆様。少々お待ちくださる?」
そう言い残して、サムと……ハンナは部屋から出ていってしまった。
……脳内通信で繋がっている2人に声をかける。
「おい。見たか」
「うん、分かってるよ。言いたいことは」
「……そうか。……驚いたな」
「……まさか、現実に金髪ロールのドリルみたいな髪型の人が居るとはね。フィクションの髪型だと思ってたよ」
……なんなんだこいつ。
「いやそれは俺も初めて見たけど。そうじゃなくてだな!」
俺が呆れていると、エミリーが核心を突く。
「……ノーシェルにノーサイバー、改造無しだったね〜。ハンナ」
アートはあっけらかんとしていた。
「あぁ、それね」
「おい!気づいてた上で髪型の方が驚いたのかよ!」
「いやだってさ!」
「はぁ、もういいや。それでどう思う?」
「うーん。女性にネイキッドって言うのなんか変な感じするよね」
「お前もう黙ってろ」
「嘘嘘!待ってよ!」
改まってアートが続けた。
「……まぁ、表に出てこない理由はこれで分かったね」
「でも〜、なんで改造しないんだろ〜?グレイスの一人娘なんか絶対危ないのに〜」
「これが総帥の寵愛なのか……?」
少し悩んだあと、アートが答えた。
「……まぁ、分かんなくもないか。僕でさえ、自分たちの商品のデメリットの多さには嫌気がさすし。世の中のパーツも重大な欠陥とかを放置して市場に流したりするもんね」
「え〜怖〜、これから付けるのやめようかな〜」
「アートに聞けばとりあえず安心だぞ。おかげでハリソン製のパーツだらけにはなったが」
「まいどありー」
話が逸れたので軌道修正。
「まぁとにかく、サムの言ってたイレギュラーとかもこれの事だろうな」
「黄金郷に入る前に言われた門外不出、他言無用の件もその重きはこれだろうね。いやぁやられた」
「やられたって?」
「こんなの知っていてみなよ。百害あって一利なしだよ。少しでも世の中で噂が立ったら僕らのせいじゃん!あーぁ!おしまい、おしまい!」
考えもしなかった。確かに終わりだ。
くそ、サム……。いやあいつを責めてもしょうがないか……。
次から次へと厄介事が増えるよな。全く。
良い事は一つも増えやしないのに。
「うーん。でもいい身体してたよね」
……すみません、ヨハンナ様。
俺はこの部屋を血で汚してしまいそうです。
俺はアートにいい加減にしろよとツッコミを入れようとしたところ、ガチャリと部屋のドアが開いた。
サービングカートを自ら引いてきたハンナは、それだけで上機嫌なのがわかった。
上流階級では、どれだけ自分が偉いのかを見せつけるため、どんな些細なことも使用人にやらせ、お礼の一つも言わないのが常だと聞いていた。
にも関わらず、彼女はただただ俺らをもてなすために用意を進めていた。本当に楽しみにしていてくれたのだろう。
彼女からは、企業や財閥特有のいやらしさというものは感ぜられなかった。
プライドの犠牲の上にそれが成り立っているからか。いや、彼女はそんな事考えてもいないだろうな。
作法もマナーも常識も、現場では何も役に立たないと今日で身に染みた。
彼女にはその常は当てはまらないのだろう。
カチャカチャと音を立て、綺麗なティーカップやソーサーを準備していく彼女の姿はとても絵になるものだった。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そういった形容の仕方があっている。
外の世界の人間とは根本的に違うものが……。
なんて考えていると、紅茶を注ぐ段階になった。
入れ方にも作法がありそうだな……、こういうのも勉強だな。なんて考えていると、サムが口を開いた。
「お嬢様。それは私が」
そう言うと、彼女はキッと彼の方を向いた。
「貴方は黙っていなさい!私はこの為にれんしゅ……。コホン。……貴方は下がっていなさい、私がやります」
「……左様ですか」
……なんか見ていて面白いな。
「フフッ」
つい笑ってしまった。
マズいと思い咄嗟に口を噤む。
俺は恐る恐る、ハンナの方を見る。
彼女はその綺麗なドレスのスカートの上の方を両手でぎゅっと掴み、まるで汗が飛んでいるのが見えるかのような佇まいだった。
その顔は赤く染まって、下を向いていた。
「その……申し訳ありません。お恥ずかしい所をお見せしましたわ……」
いじらしいとでも言おうか。
不慣れなその姿に、何とも表現のしがたい気持ちに包まれた。
だが、彼女に恥をかかせてしまった。直ぐに訂正しなくては。
「すみません。ハンナ様。笑ったのは嘲笑ではなく、お嬢様のお姿がとても可愛らしかったものですから、自然と笑みがこぼれてしまったのです。私達のためにありがとうございます」
俺はなるべく笑顔で、事実を伝えたつもりだった。
「……ま、まぁ!もう!ユウト様ったら!可愛らしいなんて!お、お上手ですわ!もう!」
照れたやら、両手を頬に当てるやらと嬉しそうだ。喜んでくれたなら良かった。
「で、でも!ユウト様は私の事をハンナと呼び捨てにしては下さらないのかしら……」
嬉しがったり悲しがったり、嵐のような人だ。
「フフ、それでしたらハンナ様も私の事を“ユウト”と呼び捨てにしていただけませんと」
彼女は目に見えてドギマギし始めた。
「え、あ!その、えぇと。ユ、ユウト……?」
最後の方に小さく発したその言葉で、答えるのには充分だった。
「これで友達ですね。ハンナ」
「!……と、友達!」
……あぁ、ビンゴだ。
まぁこんな世界で、外にも出ずネイキッドなんだ。
あまり他人と関わってこなかったのだろう。
それが恐らく今までの言動の答えだ。
「ですが、その為にはもう2つ。友達には隠し事は禁止。それにタメ口でないと本当に距離が近くなったとは言えません」
俺の言葉にうんうん、と首を上下に振っていた。
まるでその所作は忠実な大型犬だった。
一呼吸置いたタイミングで彼女が会話を始めた。
「ユ、ユウト。こ、紅茶は好き……かしら?」
「あぁ。何度か本物を飲んだ事があるけど、多分今から飲めるものとは比較も出来ない代物だったから、本当の意味で飲んだとは言えないかもな」
「だ、だったら今から淹れる物を楽しんでもらえると嬉しいわ!」
そのぎこちないタメ口と、綺麗に紅茶を注ぐ所作で彼女の努力を垣間見た。
「やるねぇ、ユウト。落とし方を分かってるね」
「ひゅ〜、人たらし〜」
脳内通信で2人が茶化してきた。
くそっ。こいつらめちゃくちゃ他人事だ。
ただまぁ、そうだな。
ひたむきで努力家、お転婆でいつでも笑顔、その振る舞いは綺麗にそつなくこなせる女。
俺が得意なはずだ。
……どことなく、姉さんに似てるもんな。
ハンナの笑顔は、俺の心の引き出しにある永遠に来ない明くる日の面影だった。




