第16話「持つ者」
「だがよ、本来のエンジェルの効果ってのはマジの解決になるもんかね」
「根本的な解決になるかは怪しいところだな。姉さんは俺の前で弱音を吐くことは絶対に無かったから……、どこのタイミングでかかったのかすら俺には分からない。」
「だよなァ」
「実際姉さんが感染したなら俺もかかってると思うが、どうにもなってないしな」
「そこは多少の個人差みてェなのもあんだろ?アンチウイルスとか……」
「さぁ。どうだか」
ナカトミ・バーのカウンターでビルと俺は呑気に話していた。
「はいこれ~、おかわりね~」
カウンターの奥にいるすっかり見慣れた女からの科学合成酒を貰う。
「アートは?」
「……飲みます」
「ハハ、早く元気だせよ」
「はぁ……」
この落ち込み様!笑っちゃいけないがすごく笑える。このバーに入ってすぐは笑顔だったロブが、アートを見て久しぶりだのなんだのと挨拶をした後、めちゃくちゃ怒られてた。
「そこら辺のチンピラやフリーの連中に難癖つけられたり!企業の連中の陰口ならいくらでも耐えられるけどね!ロバートさんみたいな良い人からのお叱りはへこむんだよ!」
「フフ、まぁ確かにな」
「オレらも初めのころはよく怒られたなァ」
「ほんとほんと、そう考えると俺らも大分大人しくなったよな」
なんて話していると、他の客の対応をしていたロブが帰ってきた。
「なぁーに常連面してやがるんだぁ?おめぇらここに通って十年しか経ってねぇだろ?」
彼は開口一番この調子だった。
「おい、オッサン!いいだろ!十年もここに通えれば英雄じゃねェか!」
「いーや、俺はお前らが凄腕だなんて認めないね!ガッハッハッハ!」
ロブは大笑いしながらグラスを拭き始めた。
「……ったく」
「あ、アート、そういやあの資料持ってきてなくないか?」
「うわ!……持ってくる!」
アートは焦ってバーを出ていった。
「ったく、慌ただしいぜ」
「出るときにロブが怒ってるんじゃないかって話でそれどころじゃなかったからな、ハハ」
「ね~、皆楽しそうで完全に忘れてた~」
「おいおい、俺をそこら辺のジジイと一緒にすんなよ。俺は相手が誰だろうと腹が立つと思ったら怒るんだよ」
ロブはダークピンクのモヒカンの後ろを撫でながら、煙草を吸い始めた。
「そりゃあそうだ!誰だってそうだぜ?」
「ばーか。お前らみたいに短絡的な奴ら以外はな、世の中意外と我慢してんだよ」
「「おい、誰が短絡的だ!」」
「ほらな、我慢できない」
俺は親指でこの2人をくいくいっと指す。
エミリーは笑い始めた。
「お前まで笑うなよ!ったくよぉ。クソガキどもばっかだぜ」
「そんな奴らを好き好んで集めて、ここに匿ってんのはロブだろ」
「……ま、そうだな。ガハハ!」
「なんでェ、このオヤジ」
「……にしても俺の選んだ完璧な従業員に手を出すったぁ、あいつも肝が据わってるよなぁ」
出入口を煙草で指し、ロブは呆れた顔をした。
「いぇ~い。完璧な従業員~」
それを聞いたエミリーは無表情のままダブルピースをした。
「完璧な従業員ねぇ……」
「だがよ、仕事はデキるよなァ。オレらの仕事も何の質問も無くこなしちまうし」
「美人だしな」
「アートが手ェ出してなかったらユウトが手ェ出しそうなタイプだもんな!」
俺は飲んでいた酒が変なとこに入った気がした。
「ブッ……ゴホッゴホッ。おい、シャレにならないぞ、ビル」
「そんな感じだよね~ユウト。いつも熱い視線送ってくるもんね~」
いやいやと首を振った。
煙草を持ったまま彼は俺を一瞥した。
「はぁ……まぁお前ならいいか……」
「え、なんでだよオッサン。そうなったらコイツにも制裁加えてくれよ」
ロブはまた呆れた顔をした。
「だからお前なぁ。俺はな、一度もシフトを欠勤したことねぇエミリーがあの日途中で店抜けて、何日か帰ってこなかったことに文句言ってんだよ!お前らの情事なんかこれっっっっっぽっちも興味ないね」
「あぁ、なるほど。心配させんなってことか」
「あとはまぁ、お前らのせいでエミリーの手際が落ちたりしたらぶん殴るくれぇだ。安心しろ」
「安心……?」
一体何に安心しろって?殴られたら顔が吹き飛ぶのに。
「……というかちょっと待て、当たり前のように話してるけど前提がおかしいぞ。人のものは盗らないし、そもそもエミリーには手を出さない」
「ほんとに~?」
カウンターに半身を乗り上げて顔を近づけてきた。
カーリーでチアダンスのポンポンにも似たツインテールがふわりと揺れる。
「絶対」
「え~?」
また距離が縮まった。
良い香りが近づいた。
「……多分」
「ふ~ん?」
文字通り目と鼻の先の距離になった。
鮮やかな目の煌めきが目の前にある。
まじまじと目を見た。
「……自信がない」
「ふふ~ん」
彼女は俺の言葉に満足したようで、ふんぞり返った。
「ユウトは結構惚れやすいんだぜ。万年チェリーってあだ名がついてんだ」
「……嘘言うな」
言われたことは無いが、その気はある。否定しつつ緊張のための喉の渇きを潤した。
「ガキだな」
ロブも半笑いで俺を見る。
「……」
「今のもアートに言っちゃお~」
「やめてくれよ!」
「ウフフ~」
なんて話しているともう日も暮れそうだ。
そろそろジョンの来る頃合いだが……。
「……いらっしゃいませ~」
エミリーがそう言った視線の先へと男3人も目を見やる。
相も変わらず全身高価そうな男が立っていた。
「こんにちは、ユウト君、ビル君。盛り上がっていた所すまない。今平気かな?」
「あぁ、もちろんだ」
「おう!今日はそのためにいるからな」
俺らはせめて明るく答えた。
「そうか、なら奥の個室に行こう。では失礼、エミリー君にロバートさん」
彼の背中に俺とビルはついていった。
「なんかアタシのことも知ってるっぽいね~」
「……ま、なんだかは知らねぇが、あんな身なりのいい男に知らねぇ情報なんかねぇんだろうよ!ハハハ!」
そんな声が後ろから聞こえた気がした。
***
俺とビルは彼と向かい合うように座った。
座ると彼はすぐに話を始めた。
「まずは、依頼を進めてありがとう。報告というのはなにかね、何か掴んだことがあったかい?」
「あぁそれだが……」
俺が口を開くと、彼はそれを遮った。
「と言いたいのは山々だが、大体は把握している。お疲れ様、大変だったろう」
……やはり分かっているか。
つくづく俺らのような人間は後手後手で、相手の出方次第だという事を見せつけられる。
「それで……、やはり殺すまでやらないと達成にはならないよな」
ジョンは微笑んだ。そこから発された内容は予想を裏切る内容だった。
「フフ、まさか。君たちの働きはそれを上回るよ。我々は本来の敵ではない人間を葬ってしまう所だった。エンジェルの真実が知れた今、グレイス財閥も調査が進んでいる。感謝するよ。むしろここで隠すことなく、スミスを殺せなかったと報告してくれることは何よりも良い選択肢だ。重ね重ねありがとう、我々からの依頼はこれで終了だ。色を付けて報酬を送ろう。何がいいかね?」
しばしの静寂に包まれた。
「……え、嘘だろ?」
「マジかよ」
俺とビルはやっとの思いで、脳からそのまま零れ落ちたような、喉からそのまませりあがってくるような声が出た。
「オレらをこの場で殺してもはや跡形もなかったかのように海に沈めたり、生まれた事すら無かったように経歴を消さないでいいってのか!?」
「このバーごと爆破とかも……?」
「……あまりそのようなことを大声で言わないで欲しいところだが、……そう言う事だ」
ジョンは頷く。
「その上報酬を貰えるって?生かしてもらえるだけで御の字なのに?……アートに言わせればCowabungaって感じだ」
「……いや、驚きすぎてAye carumbaの方が近いぜ」
俺らは驚きすぎて生きている心地がしなかった。
この一日は最悪これで人生が終わるくらいに思っていたのだ。
え?にしては人生最後の一日みたいな過ごし方じゃなかった?
まぁこの街でそんな最後の晩餐みたいなのは出来ると思っちゃいけない。
いつも通りの日常を過ごせるならそれで良い人生なんだ。
1人で死ぬのはナノマシン拒絶症やMODS拒絶症、遺伝子改良疾患で死ぬよりも怖い。
……だが、まだ安心しちゃいけない。ここからどんな条件が付けられることか……。一生このバーの出入り禁止、アルコールの禁止、最悪外出禁止なんてことも……。
ジョンが重々しく口を開く。そして指を一本立て、揺らしながら言う。
「だが……1つ条件がある。大変心苦しいのだが……」
ほらきた。
俺とビルの肩がこわばる。
さて、鬼が出るか蛇が出るか。
「うちの……グレイス財閥の、ご令嬢に会って欲しい」
な?とんでもない条件を……。は?
隣でビルがとんでもない顔をしている。そりゃそうだ。
全く意味が分からない。全く。俺も同じ顔をしているだろう。
生かされて、褒められて、その上グレイスのご息女と会う?
……???
「そのような顔をされるのも無理はない。……すまない。私も全力で御止めしたのだが……お嬢様はどうも頑固で、君たちにあまりにも興味が出たようだ……」
「な、なんでだ?まさか満を持してそこで殺されるのか?」
「いや、是非お礼をと仰っているんだ」
しばしの沈黙が流れた。
「ユウト……オレは少し外の空気に当たってくるぜ」
ビルはゆっくり立ち上がり外に出ようとした。
「おい!絶対逃がさないぞ!」
俺は急いでビルの袖を掴んだ。
「行かせてくれ!もうオレは頭がパンクしちまう!」
「俺だってそうだ!置いてくな!」
「この件に関しては私も同感だ……。どちらにもリスクがありすぎる。だが……私のためにも引き受けてほしい。というよりか引き受けてくれ」
ジョンは誠心誠意の願いと言う感じだった。
「引き受けるたって……」
「ぎゃ……逆に考えればお偉方に名前と顔を覚えてもらうチャンスか?」
「ンなことよりリスクの方が高いのはオレだって分かるぞ!バカ!」
「誰が馬鹿だ!馬鹿!」
ジョンが手をだし、俺らをなだめた。
「落ち着いてくれ、これには……、そういえばハリソンの所のご子息は今いらっしゃらないのか」
「え?あぁアートなら、エンジェルの資料を取りに行ってる所だ」
「ふむ、成程。そうか、それは是非受け取りたいな……」
そんなこんなでワチャワチャしていると、個室のドアがノックされ、こちらの返事を聞くとそれは開いた。
「失礼します。こちらが資料です。……貴方がジョン様……ですか?」
確かに見知った顔だが、全く見た事のない高そうなスーツに身を纏った男が丁寧に入ってきた。
直後、ジョンはソファを立った。
「これはアーサー様。こちらから出向き、挨拶もせず申し訳ありません。……既にお分かりでしょうから、本名で結構です。お気遣い痛み入ります」
「そういうことでしたら……。私の事を覚えて頂いていたようで嬉しいです、サミュエル様」
彼らはがっしりと握手をした。
それはビジネスマン同士の社交的な挨拶の代表だった。
……俺の脳の容量はもう限界だった。




