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見習い薬草師はイケメン騎士団長の察してくれアピールを察せない

作者: 宮永レン

騎士団長ヒーロー企画に参加させていただきました♪


 王宮の一角にある薬草園は朝露に輝き、緑の葉が太陽の光を浴びてきらきらと輝いていた。

 薬草師の見習いであるアリス・ルフェーブルは、柔らかな風に揺れる花々の間をそっと歩きながら、手に持った籠に丁寧に薬草を摘み入れていく。植物の香りに包まれながら静かに作業をするこの時間が、彼女にとっての癒しだった。


「早く立派な薬草師として認めてもらいたいなあ」

 王宮にはここの他にもう一つ、王室薬草園という所がある。そこは回復薬や劇薬の元となる植物が栽培されているため、正式に薬草師となった者や王族など身分の高い者などしか立ち入る許可が出ていない。


「――早く希少な花を見たい、触りたい、扱ってみたい」

 アリスはうっとりとした表情で、呟いた。


 暇さえあれば、ご飯も忘れて一日中薬づくりに没頭するくらい、薬草作りが好きなのである。幼い頃から薬草や自然に興味を持ち、村で評判の薬草師である母から知識を受け継いでいた。王宮には珍しい薬草や花があると聞き、アリスはなんとか見習いとしてここに置いてもらっている。


「明日の競技会で一位にならないと」

 アリスは独り言を呟き、ぐっと胸の前で拳を握った。


 年に一度開かれる薬草師の競技会では、もっとも優れた回復薬を調合した者が見習いを卒業し、王宮専属薬草師としての資格を得ることができるのだ。

 夢中で薬草を摘んでいると、足音が背後から近づいてきた。


「アリス、おはよう」


 柔らかい声に振り返ると、そこには騎士団長であるランメルト・ルーセル公爵の姿があった。

 彼は28歳という若さでありながら、王立騎士団を率いている騎士団長だ。短く整えられた艶やかな黒髪に、凛々しく麗しい見目は多くの女性たちを魅了している。


 深い藍色をした天鵞絨のジャケット、そして深紅の裏地の重厚なマントは、白いシャツと黒いブーツに完璧にマッチしており、まるで肖像画から抜け出してきたかのような立ち姿だ。


「おはようございます、ランメルト様。早朝訓練ですか?」

 アリスは少し驚きながらも、にっこりと微笑んで返事をする。


「いや、今日はアリスにこれを。明日は競技会だろう? 頑張っている君を応援したくて」

 その言葉よりも早く、アリスの目は彼が手にしている小さな花束に向けられていた。


「こ、これって……早朝にしか咲かない水晶花とヴィオルナの花、エーテルブルム、クリスタルブラクシス、ロマンスリーフまで……」

 色とりどりの花や緑の葉は、この薬草園ではお目にかかれないもので、先輩の薬草師が講義で見せてくれた時と標本でしか見たことがない。


「はは、本当に君は薬草に目がないんだな」


「だって明日の競技会では、まさにこれを煎じたものを使うんですよ。こ、これ、本当に私がいただいてもいいんですか?」


「ああ。君のために許可を得て貰ってきたものだから」


 おずおずと手を差し出すと、花束を受け取る瞬間にランメルトの指先が手に触れる。剣を振る大きな手だと思いながらも、すぐに目線は花に向いた。


「わあ、甘くていい香り。それにこっちは朝露に濡れると虹色に光るのね、綺麗……」


「百本の薔薇を贈った時より喜ばれるのは複雑だな……」


「え?」


「いや、なんでもない」


 夢中になって花を見つめていると彼が何か呟いたような気がしたが、問い返してもランメルトはにこりと微笑を返しただけだった。

 彼と話していると、たまにこういう無我の境地みたいな顔をするのはなぜなのだろうと、アリスは首をひねる。


「ありがとうございます。これで回復薬が一つ作れますね。でも、もったいない気もするし、しばらく飾っておこうかな」

 アリスは真剣に花を見つめた。


「ここは静かで落ち着く場所だ。忙しい日々の中で、時々こうして息抜きができる場所は貴重だ。特に君がいると――」


「はい! 私にとってもここは特別な場所です。薬草を摘んでいると、心が穏やかになるんですよね!」

 やや食い気味に答えると、ランメルトは再び微笑を浮かべる。


 薬草摘みが面倒とか地味な作業と言う人間がいるけれど、アリスには信じられなかった。


「そう……君がここにいると、この庭が一層美しく感じられる」


「私は関係ないと思いますけど?」

 アリスは彼の言葉に一瞬戸惑い、首をひねる。


「……察してくれ」

 ランメルトは目線をはずして悲しそうに瞳を潤ませた。


 ――察する? 何を?

 アリスはさらにわけがわからなくなって、フクロウのようにさらに首をかしげる。


 その時、庭の入り口から歩いてくる女性の姿がアリスの目に入った。


「あ、デラニー! おはよう」

 アリスは顔を上げると大きく手を振って、同じく薬草師見習いをしているデラニー・モンフェリエに笑いかける。


「おはようございます!」

 足早にやってきたデラニーが目を輝かせて挨拶したのは、ランメルトに対してだった。


 アリスは上げた手をゆっくりと下ろす。


「どうなさったんですか、ランメルト様がこんな所にいらっしゃるなんて。アリスが何か問題でも起こしましたか?」

 デラニーは皮肉交じりの視線をこちらに向けた。


「私、何もしていないわ。今、薬草を摘み終わって戻るところよ」


「あら。私も手伝うはずだったのに、自分の手柄だとランメルト様にアピールしているの?」

 デラニーは意味深に笑いながら、アリスを見下ろした。


「そんなことはないけど……」

 アリスは眉を寄せて困った顔になった。


 たしかに今朝の当番はアリスとデラニーだが、集合時間はとっくに過ぎている。むしろ彼女の方が遅刻だと言おうとしたが、回復薬のもとになる花を早く部屋に持って帰りたかったので黙っていることにした。


「アリス、ではまた。競技会、頑張って」

 ランメルトはそう言って薬草園を出ていく。


「なにその花束、もしかしてランメルト様にもらったの?」

 デラニーは冷たい視線をアリスに向けた。


「そう……だけど」


「前に薔薇をもらっていたわね。それに比べて、ちっぽけな野草。こっちの方がお似合いだってことじゃない?」

 デラニーは鼻で笑って、籠いっぱいの薬草を一瞥してからさっさと庭園を去っていった。彼女はこの美しい花が回復薬の材料になるとは気づかなかったようだ。

 講義の時間も遠くからしか見ていないし、薬にするには乾燥させて煎じる必要があるので、摘みたての姿を知らなくてもおかしくはない。


「たくさんの薔薇も嬉しかったわよ。薔薇水を作ってみんなに配ったら喜ばれたもの」

 アリスは肩をすくめた。


 初めて騎士団の宿舎に回復薬を届けに行った翌日、両手でも抱えきれないほどの深紅の薔薇がアリスの元に届いた。差出人はランメルトのようだったが、手紙もメモすらついていなかったので、なぜこんな大層なものをもらう資格があるのかじっくり考えた。


 普通は気になる人がいれば男性から女性へ贈り物が多いこの国で、彼の場合は女性からの贈り物が毎日のようにタウンハウスに届けられると聞いた。

 だから、彼から届いた薔薇で薔薇水を作り、彼女たちに贈り物のお礼としてほしいという意味なのかと解釈し、心を込めて薔薇水を作ったのだ。ランメルトが持ってきた薔薇で作ったものだと令嬢やご夫人方に言ったら、秒で手元からなくなってしまった。


 いいことをしたと思ったのだが、その後ランメルトから「察してくれ……」と言われたきり花をもらうことはなくなった――と思っていたのだが。


「これは私の部屋に飾っておこう」

 薬草園を後にしたアリスは、ランメルトからもらった花束を部屋に飾った。

 甘い香りに包まれると幸せな気持ちになる。


「明日は頑張らないと……」

 専属薬草師になると、騎士団への薬の供給も任され、給金も一気に上がるのだ。

 村から快く送り出してくれた母や、まだ小さい弟や妹たちにもっとたくさん仕送りができるように頑張らなければ。



          ※



「どうでしたか、ランメルト様」

 騎士団の宿舎に戻ってきたランメルトに声をかけてきたのは、朝の紅茶を優雅に口にしていた部下のリュカである。


「ああ。とても喜んでいたよ」

 にこやかな笑顔を見せたランメルトに対して、リュカはティーカップをソーサーに戻して目を輝かせた。


「ほらぁ! 薔薇より効果あったでしょう? で、で? やっと告白できたんですね?」

 リュカは身を乗り出して尋ねる。


「それはしていない」


「はあぁ? またですか?」

 きっぱりと答えたランメルトに、リュカは椅子にぐったり体重を預けて大きなため息をつく。


 アリスの笑顔が見られただけで幸せだ、とランメルトは心の中で呟きながらマントを脱いで壁のフックにかける。


「アリスは俺の話をまったく聞いていなかったし、手が触れても一切動揺がなかった。もう脈ナシかもしれない……」

 薬草を摘んでいた手は少し冷たくて、ぎゅっと握って温めてやりたかった。そう思わせてくれるのはアリスだけだというのに。


「はっきり好きだと言えばいいじゃないですか。というかランメルト・ルーセル公爵閣下からの求婚なんて平民が断れるわけ――」


「そんな権力を振りかざすような卑怯な真似はしたくない。アリスの気持ちの方が大事だろう!」

 ランメルトは机にバンと勢いよく手を置く。


 変な所で頑固なんだから……とリュカは苦笑いを浮かべるが、そういう不器用な所が団長のいい所なので生温く見守るしかないのだ。


「このまま進展しなくてもいいんですか~?」

 リュカは肩をすくめて、冷めかけた紅茶に口をつける。


「それならそれでもいい。一目見るなり媚びを売ってくる女たちと違って、俺に全然興味を示さないところがまたいいんだ」


「ぶはっ! やべーですね、それ」

 リュカは飲んでいた琥珀色の液体を噴き出した。


「じゃあ、いきなりデレてきたらどうします?」


「それはそれでかわいいから許す」

 そんな彼女の様子を想像しているのか、わずかに耳を赤くしているランメルトがかわいいとリュカは思ったが、それは口に出したら怒られそうなのでやめた。


「……幸運を祈ります!」

 ハンカチで口元を綺麗にしながらリュカは爽やかに笑った。


「いや、面白がっているだろう、おまえ」

 ランメルトはジト目で部下を軽く睨む。


 初めてアリスと出会ったのは、王国の南部で頻発していた盗賊団を鎮圧し、王宮に帰還した時だった。敵勢が多く、手持ちの回復薬が足りなくて、急いで追加の薬を依頼した時、押し寄せてきた女性たち。自分の他にも重傷者がいるというのに、彼女たちは恩着せがましくランメルト一直線だった。


 さすがにブチ切れそうになった時、一人の娘がくるくると宿舎の広場を駆け回っている様子が目に入った。籠いっぱいの回復薬を手にして、的確に重症度の高い者から薬を渡していた。懸命な姿、励ます笑顔、そしてランメルトを見てもまったく表情も態度も他の人間と変わらない姿勢――早朝に咲く水晶花のように清らかで純真な輝きをもつ彼女にたまらなく惹かれた。


 だが、子供の頃から整った面立ちの彼は常に女性に囲まれていたため、その秋波に辟易し、女性を拒絶する体になっていた。

 そのせいか、自分がもしアリスに同じことをして同じように拒絶されたらどうしようという恐怖が心を覆い、彼女にはっきりと気持ちを伝えることができずにいる。


 リュカには深く考えすぎですよと笑われるのだが、あの男はむしろ女慣れしすぎているのであまり当てにならない。


 競技会で一位になればアリスも王宮専属薬草師として、騎士団の宿舎に訪れる機会が増える。

 今の関係が続けば、きっとアリスの方からランメルトの気持ちを察してくれるにちがいない。




          ※




 翌日、薬草師見習いの競技会の日――。

 王宮の広間は華やかな装飾で彩られ、さまざまな薬草の香りが漂っている。参加者たちは、それぞれの技術を競い合うために自信に満ちた表情をしていた。

 アリスは白いブラウスに刺繍入りのエプロンを身につけ、手に薬草の入った籠を抱えて会場に入った。心の中で少し緊張しながらも、ランメルトからもらった花束のことを思い出し、勇気を奮い立たせた。


「絶対に成功させるんだから」

 小さく呟きながら、調合台に向かう。


 競技会の開始を告げる鐘が鳴り響き、参加者たちは一斉に調合を始めた。アリスも集中し、慣れた手つきで薬草をすり潰し、慎重に分量を計っていく。


「負けないわよ、アリス」

 デラニーはアリスの近くにやってくると、挑発的に笑った。


「ええ。私もよ」

 アリスが答えると、デラニーが机の端にあった乾燥させた葉に手がぶつかって床に落ちた。


「あら。ごめんなさい。私も少し緊張しているのかもね」

 デラニーは苦笑しながら薄緑色の葉を拾い上げた。


「見てよ。真剣なのは私たちだけじゃないみたい」

 デラニーに言われて周囲を見回せば、他のテーブルについている者も必死にメモを見ながら手を動かしている。


「そうね。お互いに頑張りましょう」


「ランメルト様の前で恥はかきたくないものね」

 デラニーに視線を戻すと、彼女はくすっと笑って自分のテーブルに戻っていった。


 アリスは再び調合に集中する。

 競技会が進む中、なんとなく違和感を覚えながらも限りある時間の中で止まるわけにもいかず調合を続けた。


「少し色が薄い気もするけれど……」

 水晶でできた小瓶は透明でありながらも、かすかな虹色の輝きを放っている。その中には薄青の液体が揺れていた。冷たく滑らかな小瓶に指先が当たると、わずかに鈴のように軽やか音が響いた。


「それでは、これから審査に入ります」

 やがて、完成した薬を審査員たちに提出する時間がやってきた。


 最後の仕上げは、その小瓶を手に持ち魔力を込めることで回復薬として仕上がる。魔力が弱くても調合のバランスさえよければいい薬ができるし、魔力が強ければ反対にバランスの悪さもカバーできる。


 ――いよいよ私の番!


 最後に審査員が目の前にやってきて、アリスは小瓶を握りしめて魔力を込めた。

 途端に小瓶からもくもくと虹色の雲が立ち上がり始める。


「はあっ? えっ、な、なんで!?」

 アリスは目を丸くして急いで小瓶に蓋をし、同じように唖然としている審査員と目を合わせて頬をひきつらせた。


 薬液は半分以上なくなっていた。あきらかに薬の調合を間違えたのだ。


「なんだ、あれは!」

「とても綺麗だ……が、回復薬としては使えないな」

 会場は一瞬にして騒然となり、観客たちの驚きの声や笑い声が響き渡る。


「……どういうことなの?」

 アリスは呆然と立ち尽くした。

 メモ通りに調合したはずだ。事前に練習した時はうまくいったのに。


「まあ、面白い結果になったわね」

 がっくりと肩を落としていると、デラニーが冷笑する。


「どうして……」


「緊張すれば誰にでもミスはあるわ。来年また頑張れば?」

 デラニーが顔を覗き込み、目を細めながら肩を叩いてきた。


 彼女の言う通り、競技会は毎年行われるものだ。しかし今年は自信があっただけにショックも大きい。


「アリス、大丈夫か?」

 その時、ランメルトが席を立ち、アリスに向かって歩み寄ってきた。


「ランメルト様、私……」

 彼の優しい声に、アリスは少し心が和らぐ。


「君の調合は素晴らしかった。あの虹色の雲も、きっと何か特別な意味があるんだろう?」

 彼は励ますように言葉をかけたが、アリスは俯いた。


「ち、違うんです……ただ、失敗しただけで……」

 だが、どうして失敗してしまったのかわからない。ランメルトがせっかく昨日回復薬に使える花をくれたというのに、期待に応えられなかったことが悔しい。


「君は頑張ったんだ。結果はどうあれ、その努力した時間が重要だ」


 励ましてくれるランメルトには申し訳なかったが、ここまでの努力が全部水の泡――もとい虹色の雲になってしまったのだ。落ち込まずにはいられない。


 その後、審査員たちの協議の結果、一位にはデラニーが選ばれ、大きな喝采に包まれる会場を、アリスは失敗した薬瓶をポケットに入れて足早に去った。


 一人になりたくて、そのつま先は自然と薬草園の方に向く。

 薬草園の南端には見晴らしのいい小さな丘があり、そこから壮大な王都の景色が一望できた。


「何がいけなかったのかしら……」

 アリスはポケットに入れた薬を取り出し、おそるおそる蓋を開けてみた。するとすぐに虹色の雲がポンと弾けるように飛び出してきて、慌ててふたを閉める。


 虹色の雲は綿のようにふわふわしていて、ゆっくりと薄れながら上昇していった。


「この色……もしかして……」

 昨日見たクリスタルブラクシスは朝露に濡れると虹色をしていた。もしかしてあれを多く入れ過ぎたのだろうか。だが材料の分量は事前に一つ一つ確認したはずだ。


 アリスは大きなため息をついた。

 その時、背後で足音がして、彼女は顔を上げる。


「ランメルト様……」


「やはりここだったか。一人になりたくて来たなら申し訳ない。だが、君を放っておけなくて」


「いえ、大丈夫です。少し落ち着いたら戻ります」

 爽やかな風にスカートの裾をはためかせながら、アリスは微笑んだ。


「ここにいても気持ちを切り替えるのはなかなか難しいだろう。明日一緒に王都に出かけないか?」


「明日……一緒に……? 誰とですか?」

 アリスは首を傾げた。


「そこは察し・・・・・いや、俺とだ。気分転換に町を歩いてみたらいいんじゃないかと思って」

 ランメルトは咳払いを一つする。


「はあ……でも、私、お恥ずかしいのですが、あまり手持ちがなくて……」

 先日家族に仕送りをしたばかりなので、財布の中身はほとんどない。


「俺と一緒に行くのだから、そういう心配はしないでほしい。君はただ、楽しんでくれればいいんだ」


「でも、ランメルト様はお忙しいのではありませんか?」


「実は……好きな人に贈るプレゼントを選びたいのだが、女性の好みがわからなくて、君に一緒に選んでほしいんだ」

 ランメルトは視線を逸らしつつ、恥ずかしそうに答えた。


 なるほど、他の令嬢を誘うより、平民であるアリスならば噂の種にもならないということか。アリスはピカンと閃いた。


「それは素敵ですね! お手伝いさせていただきます」

 ランメルトの瞳が一瞬揺らいだが、彼はこちらに視線を戻してにっこりと微笑む。またいつもの表情だ。


「ありがとう。それでは、また明日」


「はい。こちらこそありがとうございます」

 アリスは丁寧に頭を下げた。



          ※



 翌日、アリスは持っている服の中でも一番お気に入りの桃色のワンピースに着替え、街へと向かった。ランメルトと並んで歩くと、街の賑わいが心地よい背景音になった。市場には色とりどりの花や、様々なアクセサリーが並んでいる。


「この花はどうかな?」

 ランメルトが指差したのは、複数の花を組み合わせたブーケだった。


「素敵です。でも、この花はお薬にはならないから……って、贈り物ですよね、申し訳ありません、いいんじゃないでしょうか?」


「他の店も見てみよう」

 ランメルトは気分を悪くする様子もなく、花屋を後にする。


「今日は月初めだから、たくさんの出店でにぎわっているな。迷子にならないように手を繋ごうか」

 にこやかに笑って差し出されたその手をアリスはおずおずと握る。


 ――しっかりした大きな手。それに温かい。


 指先から伝わった体温が、自然と体を巡って、頬がほんのり熱くなった。

 自分よりもずっと背が高いのに歩調を合わせてくれるランメルトの横顔が、今日はなぜだか眩しく見える。


 ――ランメルト様がお好きな女性って、どんな方なのかしら。


 きっと舞踏会で華やかなドレスに身を包んだかわいらしい令嬢に違いない。薔薇などの花は見慣れているかもしれないし、やはり他のものがよさそうだ。


 アリスは真剣に考えながら、彼と共に様々な店を巡った。

 アクセサリーショップに立ち寄ったとき、彼女は一つのブレスレットに目を留めた。


 細い革紐に小さな銀のチャームが等間隔に配置されている。チャームにはそれぞれ星や月、花のモチーフが彫られている。中央には小さな青いラピスラズリが配置され、全体にさりげない彩りを添えている。


 ――素敵。ラピスラズリがランメルト様の瞳の色に似ているわ。


 だが、令嬢が革紐のブレスレットを巻くのかわからない。


「これがいいのか?」

 じっとブレスレットを見ていたら、横からランメルトに声をかけられてハッと我に返る。


「あ。これはただ個人的にいいなと思っただけで……ドレスをお召しになるご令嬢には似合わないかも……」


「いや、君のセンスは本当に素晴らしいよ。これにしよう」


「ええっ⁉」

 本当にそれでいいのだろうか。もし、それがランメルトの恋路を破綻させることになったらどう責任を取ればいいのだろう。


 回復薬一年分、ただで献上しますとか⁉


 アリスは動揺しながらも、心の奥で複雑な感情が芽生えていた。自分が選んだものが、誰か他の人への贈り物になるのだと考えると、なんだか胸がちくりと痛んだ。


 その後、二人はカフェで休憩し、紅茶を飲みながら談笑する時間は楽しかった。


 そろそろ帰ろうということになり、最後にやはり花屋に寄ると言って、ランメルトが出店の方に行ってしまった。


「明日からまた頑張ろう」

 アリスが深呼吸をすると、突然横から腕を引かれた。


「痛……っ、誰!?」

 アリスの腕をつかんでいるのは目つきの悪い図体の大きい男だった。


「やっと捕まえたぜ」


「だ、誰ですか?」

 アリスは眉をひそめて、腕を引くが男は力を緩めない。


「答える必要はない」

 男はそう言ってアリスの体を羽交い絞めにし、無理やり引きずるように路地裏に引っ張っていった。

 助けを呼びたくても太い腕で口を抑え込まれて、なんなら呼吸すらままならない。


 ――ランメルト様!


 涙目で叫ぼうとするが、声にはならない。


 男は王都のはずれの治安の悪そうな酒場に入っていく。そこの二階は宿泊施設になっていて狭い部屋には別の男が四人いた。全員、目つきが鋭く、殺気立っている様子だ。


 部屋の低い天井は黒ずんでおり、その上には古い梁がむき出しになっていた。壁面は荒れ果てた漆喰で覆われていて、割れた小さな窓から差し込む光は薄暗く、部屋全体に陰影を落としている。


「あの……私、お金も何も差し上げられるものは何も持っていませんけど……」

 そう言うと、腕をつかんでいた男に突き飛ばされて、カビっぽい臭いのするベッドのそばの床に膝と手をつく。


「おまえ、ランメルトの女なんだろ?」

 ひげ面の男はにやりと脂だらけの歯を見せて笑った。


「ち、違います……」

 アリスは大きく首を横に振った。


「ずっと後をつけてたんだ。いろいろと店をみていただろう」


「それは……ランメルト様の好きな人のプレゼントを探すためで……私のためではありません」

 そう言ったら、また胸がちくっと痛んだ。


「あいつには組織を壊滅させられた恨みがある。好きな女がぼろぼろにされたらさぞかしショックだろうなあ?」

 男が何を言いたいのか、何をしようとしているのか、さすがのアリスも気づいて、じりじりと後ずさるが、背中が壁について、びくっと肩を震わせる。


 振り仰げば、そこは割れ欠けた窓しかない。


 ――ここから飛び降りる?


 だが、ここは二階だ。どの程度の怪我になるか、あるいは怪我では済まない可能性もある。


 男たちがにやにやと笑いながらにじり寄ってくる。


 ――どうしよう!?


 アリスは周囲に何かないか目を走らせたが、埃以外には何もない。ぎゅっと握った手がワンピースのポケットに触れ、中に入っているものに気づいた。


「一か八か……っ」

 アリスはポケットから昨日の失敗作の小瓶を掴んで取り出すと、思い切り窓に投げつけた。

 本当は町の子供たちに見せて喜んでもらおうと思って持ってきたのだが、買い物に夢中になっていてすっかり忘れていたのだ。


 派手な音がして、割れたガラスの破片が頬を掠る。


「そんなことくらいで俺たちがビビるとでも思ったか?」

 大きな音にも動じず、男たちはアリスの両腕を掴み、ベッドに放り投げた。


「ランメルト様にやっつけられる前に逃げた方がいいと思うけど?」

 アリスはキッと男たちを睨んだ。


「まさかこんな所に連れ込まれているとかわからんだろ? 酒場の奴らも馬鹿正直に答えるわけもないし――」

 男が言った時、階下が騒がしくなった。


「……誰も、口を割るわけが――」

 男はものすごい速さで階段を駆け上がってくる足音に言葉を切って、ごくりと喉仏を上下させる。


「アリス!」

 扉を乱暴に蹴破って中に入ってきたのは険しい表情をしたランメルトだ。


「ランメルト様!」

 アリスは彼の姿を見て胸が熱くなった。


「くそっ……こうなったら……やれぇ!」

 男たちが一斉にランメルトに飛びかかるが、彼は多勢を相手に飄々と攻撃をいなしていく。代わりに的確な急所を狙って男を一人一人倒していく。


 それは鮮やかな手腕だった。薬草園で見かける彼はいつも優しくて穏やかで、こんなに鋭い目つきで、集中力で誰かと戦う姿は初めて見た。その凛々しい表情にアリスは心臓を鷲掴みにされた気分になる。


「す、すごい……」

 アリスはぽかんとしてそれを見ていた。


「畜生、こうなったら女だけでも――」

 男の一人が剣を引き抜き、アリスに斬りかかった。


「アリス!」

 剣を避ける間もないまま呆然としていると、ランメルトがその体を抱きしめて凶刃から守ってくれた。そのまま素早く体をひねったランメルトが男に重い蹴りを一撃食らわせると、ようやくその場は鎮まった。


「衛兵を呼べ!」

 ランメルトの命令に、部屋の入り口に様子を見に来ていた店の人間が慌ててすっ飛んでいく。


「ランメルト様、ありがとうございます」


「一人にして悪かった。だが、君が虹色の雲を作ってくれたから場所を特定できた」

 ランメルトは微笑んで、床に膝をつくとベッドに腰かけた格好のアリスの手を取ってその手に額を押し付けた。


「ランメルト様……?」

 なんだか彼の様子がおかしいと思うと同時に、ランメルトが床に頽れた。

 その肩から赤黒い染みが広がっていく。さきほどアリスを庇った時に斬られたのだ。


「しっかりしてください、ランメルト様!」

 アリスは急いで傷口に鼻を寄せ、ハッと顔を上げた。


「これは……毒だわ」

 腐敗した果実や朽木のような、生命の消滅を連想させる深淵の臭いだ。斬られてすぐにこの状況ということは、かなり強い毒のようだ。


 蒼白な顔のランメルトがわずかに目を開けて微笑した。


「大丈夫だ、アリス。君が無事でいてくれてよかった」

 しかし、彼の体は明らかに限界を迎えている。


「これを……君に……」

 ランメルトは震える手でポケットからリボンのかかった箱を取り出した。それはアクセサリーショップで買ったブレスレットが入っている。


「だめです! ちゃんと自分で好きな人に渡してください!」

 アリスは叫んだが、ランメルトからの返答はなかった。


 まもなく、衛兵たちがやってきて、ランメルトは王宮の治療室に運ばれる。

 そこは緊迫した空気が漂っていた。医師たちが必死に手当てをしていたが、毒の影響で効果は見られない。


「傷口は縫合しましたが、回復薬を投じても意識が戻りません。呼吸がどんどん弱くなっていきます。相当強い毒のようですね」

 王宮の医師たちは首を横に振った。


「そんな……」

 アリスは彼の枕もとで、膝をついて涙を零した。


 どうしよう、自分のせいでランメルト様が命を落とすことになったらーー


「アリス! あなたが回復薬を作りなさい!」

 治療室に飛び込んできたデラニーが必死の形相で彼女を立ち上がらせ、腕を引いて薬草室に連れていく。


「無理よ……昨日の失敗を見たでしょ。デラニーの薬でも効かなかったらもう――」


「違うの! 私……どうしても一位になりたくて、アリスの小瓶に余計な薬草を混ぜたの。声をかけてアリスがよそ見している隙に……」

 デラニーは絞り出すように告白した。


「今、なんて……?」


「アリスが頑張ってたのは知ってた。だから私、焦ってて……やっちゃいけないこと、しちゃった。ごめん!」

 デラニーは涙ぐんで、薬草室の扉を開けた。


「材料はそろっているわ。心配だったら自分でも確認するといい。アリスの薬なら、もしかしたら……」

 彼女が言い終えないうちに、アリスは素早くテーブルの上に目を走らせていた。


 それから無言で薬草の調合を始める。材料、正確な量、混ぜる手順、調合の時間、すべては頭の中に入っている。


「ランメルト様、待っていてください」

 手際よく調合を始めるアリスの手は震えていたが、絶対にランメルトを助けようと心を奮い立たせた。


 彼女は薬を煮詰め、慎重に成分を調整し、全身全霊を込めて調合を続ける。

 その過程で、ランメルトとのこれまでの時間を思い出す。彼の優しさ、彼の微笑み、そして自分への想い。アリスの心にあった想いが、薬に込められていく。


 ーーランメルト様を失いたくない。


「お願い、この薬が効いて……」

 最後に小瓶を握りしめて魔力を込めると、薬はわずかに金を帯びた色に変わった。


 ――練習の時とも昨日とも色が違う。でもレシピ通りだから自分を信じる!


 急いで治療室に向かい、完成した薬をランメルトに飲ませると、彼の呼吸が少しずつ安定し、顔色も徐々に戻ってきた。


「おお……これは……!」

 医師や王宮薬草師が目を瞠った。


「ランメルト様……どうか目を開けて……」

 アリスは祈るように彼の大きな手を握り締めた。その指先がピクリと動き、彼女はハッと顔を上げる。

周囲の騎士たちが見守る中、ランメルトの目がゆっくりと開き、彼はゆっくりとアリスを見つめた。


「アリス……?」

 彼の声が響くと、アリスは安堵の涙を流す。


「よかった……本当に、よかった……!」

 ランメルトは彼女の手を優しく握り返し、微笑んだ。


「すまない、心配をかけて。君のおかげで、助かった」

 その瞳には感謝と愛情が溢れている。


 アリスは、彼の無事を確認して胸がいっぱいになり、心の奥底から湧き上がる感情を抑えきれなかった。


「私、あなたのことが……本当に……」

 言葉が詰まったが、ランメルトは優しく彼女の頬に触れる。


「俺も、君を大切に思っているよ」

 周囲も二人のやりとりに感動してもらい泣きしていた。


「よかったですねえ、ランメルト様」

 ぐすぐすと泣き笑いしているのはリュカだ。


「ランメルト様。このブレスレットのご令嬢のために頑張って回復してくださいね」

 アリスはポケットから箱を取り出して彼に渡した。


 ランメルトへの想いを自覚した今、誰かへの贈り物をずっと持っているのはつらい。


「アリス……さっきの言葉で察してくれないのか……」

 ランメルトは毒を受けた時よりも絶望的な顔になる。


 周囲の人々は苦笑いし、リュカが盛大に噴き出した。


「これが似合うのは君だけだよ、アリス! 俺が好きなのは君なんだ!」

 やけ気味に叫んだランメルトはそばにいたアリスの肩を抱き寄せる。


「へ……っ?」

 ランメルトの深みのある温かいウッディな香りにふわりと包まれて、アリスは顔を真っ赤にした。


「君の返事は?」


 そう聞かれて、アリスは口をパクパクさせる。


「わ……たしも……同じ、気持ちです」


 かろうじて掠れた声で答えた。


「ありがとう。君を一生離さないから、そのつもりで」

 ラピスラズリの輝きに似た瞳が細められ、アリスの唇に彼の唇が重なる。


 嬉しさと恥ずかしさでベッドに顔を突っ伏したアリスの頭を、ランメルトが優しくぽんぽんと撫でた。


「いろいろ……心が追いつかないです……」


「顔を見せてくれないのか?」


「さ……」


「さ?」


「察してください!」

 耳まで夕日のように真っ赤に染めたアリスの悲鳴に近い返事が、治療室に響き渡ったのだった。


おわり♪



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― 新着の感想 ―
[良い点] ランメルト様、なんて健気なんですか……! 100本の薔薇を贈った後に、まさかのアレに作られた上にみんなに配布されちゃうなんて泣いちゃいますよ(笑) ランメルト様の気持ちが通じてよかったです…
[良い点] 企画から参りました。 薬草作りに夢中なアリス、花束も薬草がよくて 「百本の薔薇を贈った時より……」と話したり、察してほしいと言いかけるランメルト様の心境が手に取るように分かります。 競技会…
[一言] 結果的に虹色の雲のお蔭で助かってよかったです!(*´ω`*) ちゃんとごめんなさいできたデラニー、えらいですね……。 ランメルトはばっちり格好いいですし、アリスの鈍感さもとてもかわいらしかっ…
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