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児童文学

どこにでも行ける靴

作者: 空見タイガ

 いちども歩いたことのない道をどうしてカチコチの地面だと信じられるんだろう。もしかしたらドロドロの底なし沼かもしれない。足を踏みいれたらズズズとのみこまれてしまう。だれかが仕掛けた底なしの落とし穴かもしれない。ビューーーンとずっとずっとずっと落ちてゆく。毒で汚れていたらどうしよう。歩くたびにドクドクとおなかが痛くなる!

 知らない道はいつも危険にみちている。

 わたしが床で猫のニャーゴといっしょに丸まっているとコンコンとたたく音がした。顔をあげると同時に扉が開く。パパだ。てかてかのリボンでラッピングされた直方体を手にもっている。

 パパは部屋に入ってわたしの前にどっこいしょと座った。パパになついていないニャーゴは閉まりゆく扉のあいだをスッと通っていなくなってしまった。

「ほら、ニャーゴも冒険にでかけたよ。ミライもおでかけしてきたらどうだい」

「家のなかをぐるぐるするのが冒険なら、ミライだっていつも冒険しているもん」

 だいたいなんで冒険しなきゃいけないんだろう。知っている場所とおうちを往復するだけでわたしは楽しく生きてゆけるのに!

「まあまあ、プレゼントがあるんだよ」

 しゅるるるる。パパはリボンをほどいて箱のふたをあけた。どれどれ。うすくて白っぽいしわしわの紙のようなものがある。パパにうながされて紙をちらりとめくり、もどして見なかったことにする。

「なんだ、くつか」

「なんだとはなんだい。新品のくつだよ」

 中古のくつが入っていたらびっくり箱だ! わたしのわずかな期待は完全にしぼんでしまった。ふたたび猫のように床で丸まる。

「あのね、パパ。わたしはパパもおうちも大好きだから、おうちでゴロゴロしているだけで幸せなんだよ。いつもありがとう」

「そう言わずに履いてみてよ」

「スリッパにしかならないけどね」

 パパは箱からくつを取り出してわたしの鼻先に置いた。くんくん。ほんとうだ、真新しいゴムのにおいだ。

「このくつはね、どこにでも行けるくつなんだよ」

「宇宙にも?」

「道ができたらね」

 くんくん。うさんくさいぞ。

「今日はとてもすばらしい天気だね。このくつを履いてパパといっしょにお散歩しよう!」

「やだ」

 わたしがすげなく断ると、パパは「しょんぼり」と無表情でつぶやいて部屋から出ていった。

 まったく、おうちがいちばん安全安心なんだから……わたしがそのまま床でうとうとしはじめたそのとき、ものすごく近くからパタンパタンと音がして、ついでに鼻をけり上げられた。

「わァ」

 いそいで立ち上がって、わたしは足もとを見た。くつがつま先を上げたり下げたりしている。勝手に、ひとりでに!

「くつくつくつ。オレをスリッパにするだァ? 家から出られないなんて――たいくつだ!」

 ひざをついて、くつを上から横から斜めから観察する。どこから声が出ているんだろう。見た目はごくふつうのくつなのに。

「あなたはだれなの」

「見てわからないか? オレはくつだよ」

 しゃべるくつなんて見たことがない。でもパパがどこにでも行けるくつと言っていたし、そういうものなのかもしれない。

「あのね、くつさん。わたしは行ったことのない場所に行くのが苦痛なの。だから知っているところには連れていってもいいよ」

「よし、今からオマエの知らないところに行こう」

「苦痛……」

「安心しろ。オレさまといっしょなら冒険もへっちゃらさ」

「犬のうんちを踏んでもへいき?」

 くつは急にまじめそうな声で「それはやめとけ」と言った。

「サァ、オレを履けェ! 履けェ!」

 くつがわたしのひざをけりけりしはじめたので、くつをいやいや履いてみる。つま先がちょっときゅうくつだ。

「ヨシッ、地図を持ってこい」

 つくえの引きだしに入っていた地図を取り出した。この町らへんの地図だ。道や記号がびっしりつまっていてくらくらする。

「パパにいってきますと伝えておけェ!」

 リビングのソファで横になって本を読んでいるパパに声をかける。パパは眠りかけていてページを一度に十ページぐらいめくっていた。わたしがくつを履いていることにも気づいてなさそうだ。

「すぐに帰るよ。いってきます」

 つま先を前へ前へ引っぱられるように家を出る。それにしても部屋から外まで同じくつを履いているなんて。いつもと違ってわくわく……こわいこわい。新しいことってとってもこわあい。

「もう帰ってもいい?」

「学校はどっちなんだァ」

 わたしはからだを回転させてつま先で示した。

「あっち」

「その反対側は」

「何が起こるかわからないゾーン」

 くつくつくつ。わたしの真下からくつの笑い声が聞こえてくる。

「反対側を向けェ」

「向くだけね」

「そして進めェ」

 わたしはその場から一歩も動かなかった。

「踏み出した先が溶岩だったらどうするの」

「アチアチになるだろうなァ」

「知らない道を歩きたくない。知らないことが起こったらこわいから」

「でもワクワクするはずだぜ」

 うつむき。

 前のほうからやってきた近所のおばあさんが「大丈夫?」と声をかけてくれた。「っす」と答えると彼女はわたしの向く反対のほうへ去っていった。

 うつむき。

「やっぱり無理だよ、わたし、もう帰る」

「おいおい。さっきのおばあさんはあっちから歩いてやってきただろ。けどピンピンしてたじゃねェか。だからあっち側は安全だぜ」

「おばあさんが特別に頑丈なのかもしれない」

「ああ、もう! 地図を見ろ!」

 しぶしぶ地図を広げる。くっきりした折り目の線に沿って細かなしわが走っている。マーカーで囲った避難場所のマーク。通学路をなぞる太線。その他はわたしの知っている知らない町。

「この地図が完成したのはなァ、どこかの人間が歩いて調べたからなんだ。だから少なくとも一人は歩いて平気だったのさ!」

「強い竹馬に乗って町を調査したのかもしれない」

「あのなァァァ、こうしてオマエの手に地図があるのは地図を必要とするヤツらがいるからなんだぜ。そいつらが買ってくれるから地図をつくって売ってくれるヤツがいる。で、ヤツらはみんな強い竹馬でパッカパッカと歩いているか? 竹馬で歩いているヤツらを見かけたか? エエッ? みーんなこの地図に書かれた道を縦横無尽にとほとほ歩いているんだ。ほら、下を見ろ! アスファルト! 工事のおっちゃんが固めている。ア・ス・ファ・ル・ト!」

 どうしてくつに怒られているんだろう。わたしが「しょんぼり」としょんぼりした声で言うと「なめんなっ」とくつがさらに怒ってきた。しょんぼり。

「ヨシッ、オレさまがとっておきのやり方を伝授してやろう。まずは左足から一歩、前に踏み出してみろ。危なかったら左足だけ元にもどれ。それか全力で尻もちをついて後ろに下がる。安全そうなら左足の分だけオマエはこの道を知っている。だから安心して右足を出せ。これをくりかえせば絶対に前に進める!」

 やれやれ。わたしはくつの言うとおりにした。まずは左足のつま先の先の先を一歩先の地面にゆっくりとはみ出す。何も起きない。わたしが知らなかったことを知ったのに何も起きない。世界はうんともすんとも言わない。

 その左足につま先をそろえるように右足をちょこっと出す。まっすぐ立つ。わたしは顔を上げた。知らない道の知らない奥にちょっとだけ近づいて、景色がすこし変わって見えた。

「なっ、前に進めただろっ」

 はじめはおずおずと進んだ。だんだん慎重に確かめながら歩くのがおっくうになってきた。左足と右足がそろう間隔が狭まり、やがて知っている道を歩くように知らない道を歩けるようになってきた。

 道の先には知らない公園があった。だれもいなさそうだ。意を決してぴょんと同時に両足を公園に踏み入れてみる。毒のダメージはない。

 公園にはいつもの公園にはない大きな遊具があった。でも使用禁止のビラが貼ってある。ベンチの形も違っていた。首をのびーんと後ろに倒せるベンチだ。わたしはおそるおそる知らないベンチに腰をおろした。串刺しにはならない。

「くつさんの言うとおりだったよ。知らないところに行くのはやっぱりこわいけど、それでもワクワクしないこともないこともないことも……」

 わたしが話しかけても、くつはもう何も言ってくれなかった。きっとわたしが成長したからだろう。くつはわたしにえらそうに説教できるときしか話そうとしないのだ。

 パパにどこに行くか伝えずにここまで来たんだっけ。わたしは急に心細くなってきた。おうちに無事にたどり着けなくてパパにも見つけてもらえなかったらどうしよう。

 それでも行ったからには帰り道だってもう知っている。わたしはすいすいと家に帰ってパパのいるソファまで突進した。ほとんど眠っていたパパはとつぜん敵に襲われたかのように飛び起きた。おなかの上に置かれていた本が床にすべり落ちる。

「ねえ、ねえ、パパッ。どこにでも行けるくつでいつもとは違う公園に行ったよ」

「おお、えらいじゃないか……くつを玄関で脱がなかったこと以外は」

「あのね、このくつ、ほんとうにどこにでも行けるくつだったよ。でも行けたと思ったとたん、おしゃべりしてくれなくなっちゃったの。きっとそれはたぶん……」

 ソファに座り直したパパはわたしの頭をやさしくなでた。

「だましてわるかったね。どこにでも行けるのはくつではなくておまえのほうなんだ。おまえが行こうとさえすればくつはどこにでも行ける。声が聞こえなくたってね、くつはきっとおまえとの冒険を楽しみにしているよ」

 わたしは足もとのくつを見た。まだピカピカだけどもう新品ではない。わたしの知らないくつではない。わたしといちど冒険をしたくつなんだ。わたしはくつに話しかけた。

「これからも、もっと、ずっと、いっしょに歩こう!」

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