その娘、記憶破壊の聖女につき
なぜ、悲劇のヒーローぶっているのですか?
あなたが犯した過ちを、私はすべて忘れろと……?
あなたと過ごした色とりどりの思い出が、一瞬で消え失せるとでも思っているのでしょうか。
「僕が悪いんだ……トリエルが聖女修行で会えなかった一年の間に、僕は……他の女性を愛してしまった……」
婚約者であるはずの第一王子ルカス様の隣には、可愛らしい女性の姿。妊婦がよく着るであろう、胸の下に切り替えのあるエンパイアドレスを着用している。
確か、侯爵令嬢のアイメリア様だ。聖女の力もお持ちで、私なんかよりよっぽど力の強い方だと伺っている。
わざわざエンパイアドレスでそこにいるということは、遠回しに妊娠を告げられているんだろう。
泣けばいいのか喚けばいいのか、それともおめでとうございますと微笑むべきなのか。
私は、ただの下町の娘だった。
ご公務で外出されていたあなたに、馬車上から見初められただけの私。
最初はお戯れかと思っていたけれど、あなたは真剣で、私の中に聖女の素質を見い出してくれた。
その時は素直に嬉しかった。
両親を事故で亡くしたばかりの私は、不幸のどん底にいるような気分だったから。真面目に誠実に生きていれば、こんな素敵なことが起こるのかと思って。
だって私は、十二歳のときに祝祭でルカス様を見た時から、ずっとあなたに憧れていた。
周りには反対されていたけど、あなたは私を絶対に妻にすると言って譲らなかった。
私も優しくて憧れのルカス様に夢中になっていった。
政治や経済、ダンスや礼儀作法に至るまで、すべてにおいて勉強をしなければいけなかったけど、それも苦にならなかった。
十五歳で見初められた私は、家庭教師たちに認められるまで五年かかった。その後、王都から離れた泉の大聖堂で、一年間の聖女修行をしなければいけないと告げられた。
修行が終われば、ルカス様と結婚ができると言われて。
この国には水源が大聖堂の泉しかなく、聖女の力があれば泉を湧かせて川になり、国中に水を行き渡らせることができる。
つまり、聖女はこの国の要なのだ。
私は聖女の力が少ないからと、泉で修行しなければならなかった。
晴れて一年間の修行が終わり、期待に胸を膨らませて帰ってきたらこんな状態で。
周りには国王陛下に王妃様、宰相様や騎士団長までおられて、私を取り囲んでいる。
庶民の出ということで、私が嫌われていたことはわかっていた。
だけど、あなたに裏切られるとは思っていなくて。
「僕のことは忘れてほしい……すまない……」
勝手過ぎではありませんか……?
私はあなたの熱意に押されて、普通であることを手放してやってきたというのに。
王子であるあなたにずっと憧れを抱いていたし、見初められてからはルカス様に夢中になった。
この六年間を忘れろと言われてわかりましたと言えるほど、私は素直じゃない。
私が何を言っても無理な状況であることはわかっている。けれど……
忘れられるわけがないでしょう……!
きっと私は、あなたと過ごした日々を、そしてあるはずだった幸せな未来を思い描いてしまう。
今後、一生苦しみながら生きていく未来しか見えない。
それならば……
「ルカス様が、忘れてほしいとおっしゃるならば」
「トリエル……? なにを」
「私は、十年分の記憶を破壊します」
あなたに憧れを持つ前の自分に。
そうすれば、あなたと結ばれず苦しい思いをすることはなくなる。
「やめろ、トリエル!! 記憶破壊はそんなに上手くいくものじゃない、危険だ!」
私に近寄ろうとするルカス様は、周りに取り押さえられた。
それでいい。あなたを巻き添えにしたいわけではないのだから。
「トリエル、トリエル!! 馬鹿なことはやめるんだ!!」
どうして止めようとしているのか。
忘れてほしいと言いながら、本当は思い出を抱えたまま苦しんでほしいと願っていたのか。
「あなたが忘れてほしいと言ったから」
「やめろ、トリエ──」
聖女の力を解放すると、私の体から眩い光がほと走る。
そして私は立っていられず──その場に崩れ落ちた。
***
あれ……ここはどこ?
なんだかすごく煌びやかで、見たこともないお部屋。
ここは天国?
「気が付いたかい」
私の視界に入ってきたのは、ワインレッドの髪に深い藍色の瞳をした、悲しげに微笑むお兄さんの姿だった。
「えっと……だあれ?」
「……僕は、ルカスだよ。この国の第一王子だ」
「王子様? 私は……わたし、は……?」
私は……誰?
自分の名前がわからなくて、首をひねってみたけど出てこない。
「思い出せないか?」
王子様の言葉に、私はこくんと頷いた。
「……君の名前はトリエルだよ」
「とりえる……変な名前」
「そんなことないよ。僕は、君の名前を呼ぶのが大好きだった」
「ふうん」
「僕のことは、ルカスと呼ぶといい」
「るかす……さま?」
「うん」
そう言って、ルカス様は私の髪をふんわり撫でてくれた。
生活は保障するから、心配しなくていいと言うルカス様。
でも、その瞳が寂しそうに見えるのは、どうしてだろう?
どうして私は、何もわからないんだろう。
ルカス様は、記憶のない私に礼儀作法や勉強を教えてくれた。
私は子どもなのだろうか。ルカス様の私に対する態度は、子どもにするようなもので、私は自分の姿とのギャップに違和感を覚える。
私の過去を尋ねると、ルカス様はこう教えてくれた。
私は十五歳になる少し前に、両親を事故で亡くしたらしい。
町で働いていた私を、ルカス様が見つけて城に連れてきたのだと。
でもショックなことがあって私の記憶は消えてしまったと、まつ毛を伏せていた。
ショックなことが何かは、教えてもらえなかったけど。
ルカス様は優しかった。私に優しくすると、周りの人たちはいい顔しなかったけど。
でもみんな、「これくらいは仕方ない」とかなんとか言って、ルカス様のやることを黙認していたみたいだった。
私はたくさん勉強した。どうしてだか、知っていることの方が多かったけど。
難問を解いてみせると、ルカス様は「トリエルはすごいね」ってたくさん褒めてくれる。それがたまらなく嬉しい。
私はここを追い出されたら、天涯孤独の身だ。だからルカス様も、同情で置いてくれているってわかっている。
ルカス様が、婚約者のアイメリア様と出かける時は、心がざわついた。
お腹がぷっくり膨れていて、赤ちゃんがいるんだなと思うと、さらにお腹の底から黒いものが溢れ出しそうになる。
周りは早く式の日取りをとうるさく言っているみたいだったけど、ルカス様が首を縦に振ることはなかった。
ある日、ルカス様がアイメリア様に詰め寄っている姿を見た。
妊娠は嘘だったのかとか、薬で昏倒させた間に既成事実を作っただけじゃないのかとか、みんなグルだったんだなとか、今までに見たことのないほどルカス様は怒りを露わにしていた。
いつまでも赤ちゃんが生まれないのはおかしいと思っていたけど、『流れた』と平気な顔をしていうアイメリア様への不信感が、爆発したんだろう。
何があったのか、私には詳しくわからない。
だけど、ルカス様が苦しんでいる姿を見ると、私まで泣きそうになってしまう。
「トリエル……すまない、トリエル……」
私のいない場所で、私に謝っているルカス様。
多分、謝っているのは今の私にじゃない。記憶のあった頃の私にだ。
勝手にお部屋に入ってはダメだと思いながらも、私はゆっくり扉を開けた。
「トリエル……っ」
「ルカス様……何があったのか、教えてもらえないでしょうか」
「……幼い君に話すには、酷なことだ」
「私はもう、知識を取り戻して大人のつもりでいます」
「……おいで」
促された私は、中へと入ってルカス様を見上げる。
「トリエルの記憶が失われる前の話だ」
「はい」
ルカス様は教えてくれた。
私に一目惚れをしたこと。
庶民である私を強引に婚約者にしたことで、周りからの反感を買ってしまったこと。
みんなに認められるため、私もルカス様も毎日勉強をしていたこと。
その合間に、二人で幸せな時間を過ごしていたことを。
だけど、聖女修行と称して、私は泉の神殿へと追いやられてしまった。
本来なら、神殿での修行なんてない。平民の出だからと理由をつけられ、引き離されただけだった。
「それでも、我慢するのは一年だけだと思っていたんだ。これさえ乗り切れば、君と結婚できると……」
けれど、実際は違った。
聖女の呼び声高いアイメリア様と、パーティーで踊ることになったそうだ。
そのあとお酒を飲まされ、気づいたら裸のアイメリア様とベッドの中にいたのだと。
「嵌められたのかとは思ったが、責任を取るしかなかった……何もしていないはずだが、記憶が曖昧で自信もない。妊娠したと言われると侯爵家を敵に回すことはできず、周りに僕の味方はいなかった……」
かわいそうなルカス様。
もうどうすることもできないと悟ったルカス様は、他に愛する人ができたと言って、私との婚約を破棄したらしい。
アイメリア様のことを本当に好きだったわけじゃない。
ただ、そう言うことで私を諦めさせ、通常の幸せを手に入れてほしかったのだとルカス様は言った。
そして私は、その言葉を聞いた後、自分で自分の記憶を破壊したという。
「まさか、そんなことをするとは思っていなかった……すまない……っ」
「私は……それだけ、ルカス様を愛していたんですね……」
「トリエル……」
ルカス様が、私の瞳を覗き込む。
ああ、でも見ているのは、私ではない私だ。
ルカス様が愛した、昔の私。
「ルカス様……私を見てください……!」
「……見ているよ」
「見ていません! ちゃんと、今の私を見てください!!」
私が声を張り上げると、ルカス様は驚いたように……だけど痛いところを突かれたように、奥歯を噛み締めている。
「私ではダメですか……私は、私も、ルカス様が好きです! 愛して、います……!」
昔の私がルカス様を縛っている……くやしい。
私はこんなにも、こんなにもルカス様を愛しているというのに。
「誤解だよ、トリエル……。記憶のある君も、今の君も、僕は変わらず愛しているんだ。トリエルは僕の唯一無二の存在……それをわかってほしい」
「ルカス様……」
「それよりも、記憶をなくしても僕を愛していると言ってくれて嬉しいよ。どうか、もう一度……僕と婚約してくれないか」
ルカス様の真剣な藍の瞳が、私を貫いていく。
私はきっと、何度記憶を失ってもあなたに恋をする運命なのね。
「君と一緒なら、この国を出ることだって厭わない。苦労をかけることになると思うが……」
「はい……私……ルカス様と一緒にいられるならば、他は何もいりません……!」
「トリエル……!」
私は、泣きそうになりながら微笑むルカス様の胸へと飛び込んだ。
耳元で聞こえる「一生大切にする」という声が震えている。
私たちは、そのまま惹かれるようにキスをした。
その瞬間、私の体から聖女の力が溢れ出すように光を放ち始める。
「これは……トリエル!?」
ああ……思い出した。
私は記憶操作に制限をかけていた。
ルカス様と、彼に関わる記憶を、破壊ではなく封印すること。そして、もしもお互いに愛し合ってキスしたときには、封印を解除すること。
こうして無事に思い出せたということは、心から愛し合えていたということ。
「トリエル、聖女の力が溢れているように見えるんだが……」
「はい……全部、全部思い出したのです」
私は、記憶を封印すると同時に聖女の力も封印していた。
私が記憶を失っている間、聖女の力を悪用されることを恐れて。
これは完全な副産物だけれど、一度聖女の力を封印すると、制限解除された時には力が増幅されるようだった。
今までにない、大きな力を感じる。
私はそれらを全部ルカス様に話すと、彼は驚いていた。普通は記憶の操作は破壊や封印を含め、そんなにうまくいくものではないらしい。ましてや制限付き解除を組み込むなんて、不可能だと。
「元々、トリエルのコントロール力は規格外だったんだろう。そこに制限解除の副産物で聖女の力が増した。これは、誰にでもできる増幅の仕方じゃない。トリエルだからこそだ」
「あの、ルカス様……申し訳ありませんでした」
「え?」
いきなり謝った私に、あなたは不思議そうに目を広げている。
「私……あの時、ルカス様を悲劇のヒーローぶっていると思っていたんです」
「はは、そうか……間違ってないよ」
「いいえ、ルカス様は本当に悲劇のヒーローでした……周りに嵌められ、味方はおらず、私にまで疑われて……本当にごめんなさい!」
気にしてないというように、ルカス様は優しい瞳で私の髪をそっとかき上げてくれる。
本当にこの方は、どこまでも優しい人だ。
「私、悔しいです……私たちを引き離し、こんなにもルカス様を苦しめた方々が……」
「じゃあ、トリエル」
「はい」
ルカス様は言った。
君の聖女の力を見せつけてやらないか?
と──。
***
「新国王陛下、ばんざい!」
「聖女王妃様、おめでとうございます!」
新国王の誕生と聖女との結婚で、国は沸いていた。
そう、私は結婚して王妃となった。もちろん、相手は王となったルカス様と。
私たちは、国を端から端まで二人で回った。
怪我をしている人には治癒の力を施し、水が足らないところにはその場で泉を作って湧かせた。
ルカス様は町の人たちの話を根気よく聞き、物資や人手が足らないところには手配を、経済が落ち込んだ町には救済案を出していった。
私たちは、国民からの支持を高めてここまできた。
そして仕上げに、元国王陛下や宰相様、騎士団長、それにアイメリア様たちにこう言った。
『トリエルには十分すぎるほどの聖女の力がある。彼女を僕の妃にすることの、何が不満だ?』
と。それでも納得しない面々に、さらに続けた。
『トリエルの力は知っているだろう。よほど記憶を失いたいらしいな』
まさかの脅しで、私も驚いた。でも、それだけ本気だったということがわかる。
だけど、本気を冗談と捉えたのか。
アイメリア様がルカス様に胸を押し付けながら、『一夜を共にした仲でしょう?』と言うものだから、私は怒りのあまりつい記憶破壊を使ってしまった。
彼女は五歳くらいにまで記憶が退行して、今では侯爵家に閉じ込められているらしい。
それを見た陛下たちは私を恐れたのか、急に聖女にふさわしいと言い出して結婚の許可をもらえた。
ついでにルカス様は王位継承も実現させて、元陛下を蟄居させ、宰相様や騎士団長を一新。
新体制を作り上げて真の国王となったのだ。
少し落ち着いたある日。
ルカス様は公務を終えて、寝室へと向かう私にこう言った。
「トリエル、これからは記憶操作系の力を使うことは禁止する」
ルカス様の言葉に、私は素直に頷くことはできなかった。
この力は、国に有用だと思っている。悪事を働く者の記憶を退行させることで、真の更生が可能になるはず。
そう、あのアイメリアにしたように。
「その力は強大すぎる。脅迫にも使えるし、全ての権威を手に入れられる」
「……私が、ルカス様に対してこの力を使うことを危惧していらっしゃるのですか?」
「それは違うよ、トリエル。僕は、君が国民に恐れられるのが嫌なんだ。トップが恐れられる国は、発展を阻害される。そう思わないか?」
真っ直ぐな瞳を受けて、少しでもルカス様を疑ってしまった自分を恥じた。
独裁国家による恐怖政治など、いいことは何もない。家臣だって私を恐れて、何も進言できなくなるかもしれない。
「もうこの国に記憶操作系の力は必要ない。僕と王妃である君が尽力すれば、なんだって解決していける……僕は、そう信じてる」
「……はい!」
信じてくれることが心地いい。
私は、あなたの期待に応えたい。
「では、私のこの力を使えないようにしましょうか」
「そんなこと、できるのか?」
「記憶操作関連の力の使い方を、この力を使って忘れることができます」
「改めて、トリエルはすごいコントロール力を持っているな」
「どうします?」
「ああ、やってほしい。これが最後の記憶操作の力の解放だ」
「後悔なさいませんか?」
「しない」
言い切ったルカス様に、私は頷いて力を放った。
白い光が私を包んだあと、ゆっくりと消えていく。記憶操作系の力をどう引き出すのだったか、思い出そうとしても無理だった。
「これで私は、もう記憶操作系の力は使えなくなりました」
「そうか……よかったよ。これで何があっても、君は君の記憶を失わずにすむ」
ほっと息を吐いてルカス様は儚く笑った。
ああ……そうだったんだ。この力を使わせないのは、私のためだったんだ……。
「ごめんなさい、ルカス様……」
「どうして謝るんだ?」
「私、ルカス様を疑ってばかり……」
「僕に甲斐性がないからだ。君に信じてるもらえるよう、善処するよ」
ふるふると私は首を横に振った。
彼は本当に素晴らしくて、私にはもったいない人だから。
「愛してるよ、トリエル」
「私もです、ルカス様……!」
ルカス様は私に触れて、優しくキスしてくれた。
私を見い出してくれてありがとう。私を愛してくれて……本当に私は幸せな女。
私たちは微笑み合いながら、夫婦の寝室へと入っていく。
記憶破壊をしたと信じて疑わない、ルカス様の清らかな藍の瞳がこの上なく愛おしい。
──そう、私が自分に施したのは、破壊ではなく封印。
あなたが誰かと浮気した瞬間、制限解除で封印が解けるようにしてあるから──
お読みくださりありがとうございました。
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