05 侯爵夫人side
物にも、使用人にも、もちろん夫にも。
何にあたっても気は少しも晴れなかった。
私の《エミリア》が王太子殿下の婚約者の座をおろされるなんて。
そして、あのエミリアが新たな婚約者として王宮に上がるなんて!
「エレノーラの娘のくせに……」
ぎりっと歯を噛んだ。
鏡がないので確かめられないが、私の眉間にはくっきりと皺が刻まれている。
長年の鬱積で。それはきっと深く。
反対に、妹エレノーラは若く美しいままで夫の心に残っているのだろう。
同じ顔なのに、私にはできなかった柔らかな表情で。
◆◇◆◇◆◇◆
夫が妹エレノーラと続いていることを知ったのは二人目の子ども――娘がお腹にいる時だった。
夫の書斎で、夫とエレノーラが密かにやり取りをしていた手紙を見つけてしまったのだ。
結婚してから9年が経っていた。
9年だ。
9年間。私は妻として精一杯、夫に尽くしてきたというのに。
それでも夫は私より、エレノーラを選んでいた。
夫は私と結婚した。
私たちの間には息子ジェイデンが生まれ、二人目の子ども――娘も授かり。
そして夫は私やジェイデンの前で日々、楽しそうに笑っていた。
私は幸せな家庭を築けたのだと信じて疑いもしていなかった。
けれどエレノーラのことを知って
それは全て幻だったのだと思い知った。
二人の関係が続いていたことも許せなかったが、何より妹エレノーラの腹に夫の子がいることが許せなかった。
私のお腹に子がいる時に、夫がエレノーラと不貞を働いた証拠だ。
許せるはずがない。
エレノーラを打ちのめしてやりたかった。
だが父と、そして夫に止められた。
父はエレノーラを庇った。
エレノーラは全てを正直に話し、婿と別れた。
そして今後、死ぬまで夫には会わないから、どうか子を産むことだけは許してくれと言っていると。
私が、そんなことを許せるはずがないと怒れば父は《元はといえばお前が――》と、私を責めさえした。
私が夫に幻覚剤を盛って関係をもったことを持ち出したのだった。
古い話だ。
10年以上も前のことだし、夫とエレノーラはまだ単なる婚約者同士だった。
結婚して子どもがいたわけではない。
しかも私は、ちゃんと謝ったのに。
夫もエレノーラを庇った。
《私が悪かった。もう二度とエレノーラには会わない。誓う。
だからエレノーラは許してやってくれ》と言ったが。
腹が立っただけだ。
夫を見張るようになった。
自分が見張れない時は人をつけ、夫の行動を報告させた。
それでも足りなかった。
傷ついた私の気持ちより、エレノーラを優先した夫が許せなかった。
私は、夫がエレノーラに宛てた手紙を見て、二人が生まれてくる子どもにつけようと約束していた名を知ると、自分が産んだ娘に先にその名をつけた。
《エミリア》と。
娘の名前を呼ぶたびに歪む夫の顔を見るのは痛快だった。
「《エミリア》は特別な子よ」
「《エミリア》の代わりは誰もいないわ」
「なんて素晴らしい子なのかしら。うちの《エミリア》は」
私はわざと夫に聞こえるように、大きな声で何度も娘の名を呼び褒め称えた。
だが、それだけで私の気持ちがおさまるはずもない。
私は侯爵家の力をもって、エレノーラのいる実家を苦しめていった。
実家と仲の良い貴族や、取引のある商会に、実家との付き合いをやめるよう圧をかけた。
じわじわと。時間をかけて。
5年ほどして。
父は音を上げたのだろう。
爵位を私の従兄弟に渡し、隠居した。
エレノーラと娘エミリアは二人で行方をくらませた。
どこに行ったのか。
父の爵位を継いだ従兄弟や親族にそれとなく尋ねたが皆、知らないと言うばかり。
独自に探してもみたが。それから10年間、何の手がかりも掴めなかった。
見つけたのは今から3年前。
修道院に娘と二人、身を寄せていたエレノーラが亡くなったからだった。
エレノーラが、《自分が亡くなったら娘エミリアのことを頼む》と夫宛に遺言を遺していたから。
夫はそのまま修道院にエミリアを置き修道女にするか、父の爵位を継いだ従兄弟に相談するか考えていたようだった。
私はどうでも良かった。
私を苦しめた妹エレノーラはもういないのだから。
それより、エレノーラに最期の贈り物をしよう。
喜びを意味する花を――。
そう思って行ったエレノーラの墓で
私は、エレノーラの娘エミリアを見た。
私の娘、《エミリア》と瓜二つの顔で
エレノーラのように柔らかな表情でいるエミリアを―――――
湧きあがる怒りを抑えられなかった。




