44 エミリアside
「私たちのことを描いた本は評判だそうだよ、リア」
私の部屋を訪ねてこられた王太子殿下のお言葉に、私はなんと返せば良いのかわからず曖昧に微笑んだ。
王太子殿下の少し後ろから、侍従カイゼル様がいつものようにすましておっしゃった。
「はい。内容だけでなく、庶民にも手に取りやすい価格にしたのも良かったのでしょう。笑いが止まりません」
「笑い」
思わずカイゼル様の顔を二度見してしまった。
「出版を依頼した者が嬉しい悲鳴をあげています。売れすぎて増版が追いつかないと。
さらに大陸公用語でも出版したいと言われましたので了承しました。
お二人のロマンスは大陸中で語られることになるでしょう。
しばらくしたら絵本にしても良いですね」
「絵本にまで」
後ろにいる侍女キャシーの感極まったような声。
そして私の横では
「なら大陸公用語の絵本も欲しいわ。嫁ぐ時に持っていきたいから」
と、隣国の公爵様との婚約が整ったリリローズ様が注文された。
王太子殿下はため息を吐かれた。
「リリローズ。絵本のことはともかく、少しは遠慮して欲しいな。
毎日のように訪ねて来られてはリアが疲れてしまうだろう」
「あら、王太子殿下。
私が可愛い義妹を訪ねてくるのがご不満?リアは喜んで迎えてくれますわよ?」
私は頷いた。
「私はリリローズ様が訪ねて来てくださって嬉しいです。リリローズ様のお話は楽しくて」
「話?」
「はい」
王太子殿下の幼い頃からのご様子が聞けて、とは言えなかった。
熱くなった頬に気づかれないように下を向く。
「王太子殿下こそ。遠慮していただきたいわ。
私がリアを訪ねて来ていることはご存知だったのでしょう?お座りになる気?
今は姉妹の時間でしてよ?」
「姉妹の時間は十分過ごしただろう?今日はもう帰ったらどうかなリリローズ。
リアは私の婚約者で、これから二人でダンスの練習をするんだけどね」
「聞きましたが、それなら私がいても構わないのでは?
それにリアはもう殿下とは問題なく踊れるのでしょう?
なら練習は、他の方と。
そうね、リア。今日はカイゼルと踊ってみてはどうかしら」
「不要だ。リアは私以外の者の手を取る必要はない」
「貴方ねえ……」
「リアは男性と話せるようになってくれた。それで十分だ」
リリローズ様は先ほど王太子殿下が吐かれたのよりはるかに大きなため息を吐かれた。
カイゼル様はすましたまま。
キャシーは……。
声をこらえて笑っていた。
私はそっと胸のペンダントに触れた。
「どうしたの?リア」
「夢のようで……」
「私も。夢を見ているようだよ、私のリア」
目の前の王太子殿下が滲んで見えた。
王太子殿下は私の手を取ると優しく言われた。
「でも本当に無理をしていない?キャシーに聞いたよ?
夜遅くまで起きているそうだね。
日中に自分の時間が取れていないからじゃあないのかな」
どきりとした。
「いいえ。違います。それは。……あの。
ただ……起きて……いたいだけで……」
―――怖くて。眠りたくなくて。
とは言えずに目を伏せた。
今の私は王太子殿下の婚約者。
国王陛下と王妃陛下も。
公爵様もリリローズ様も温かく迎えてくださった。
夢のようで。まだ信じられなくて。
怖い。
この幸せな時間が消えてしまったら―――――。
10年前の、あの日。
突然消えてしまったリュシーのように。
王太子殿下がまた……消えてしまったら……。
と。
「大丈夫。眠っても、もう私は消えたりしないよ」
「―――――」
胸が熱くなった。
王太子殿下が私の不安を正確に読み取って下さったことに。
私を包む王太子殿下の確かなあたたかさに。
「―――はい……」
失わないように
私はそっと王太子殿下に手を回した。
「ああ――今すぐに君を妻にしたい」
「え?」
「殿下」
カイゼル様の静かな声。
そしてリリローズ様の驚いたような、呆れたような声がした。
「カイゼル。貴方の主人は思ったことをそのまま口にする人だったのね。
知らなかったわ。王太子としてどうなのかしら」
「私も知りませんでしたが問題ないと思われます。エミリア様のことだけですから」
王太子殿下が不満そうに言われた。
「褒めてくれても良いのではないかな。
愛しくてたまらない婚約者殿をこの胸に抱いていながらどうにか理性を保っている私を」
「殿下……!」
カイゼル様が珍しく唸った。




