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02 ベテランメイドのカーラside




床に投げつけられたティーカップがガシャン、と音を立て粉々になった。


投げた奥様がふーふーと荒い息を吐いている。

執事のカーソン様と私は、いつものように視線を落とした。


初めて見たからだろう。

共に部屋の隅に控えていた使用人三人の中で、新入りメイドのカティだけは、青くなって両手で口を塞いでいた。



「―――忌々しいっ!何故こんなことになるのよっ!」


ひとつ投げただけでは気が収まらなかったのか。

奥様はとうとうテーブルにあった《四客全て》のティーカップを力任せに床に投げつけた。


高級な絨毯の敷かれた床は言うに及ばず、ソファーや、奥様のドレスにも紅茶の染みができている。多分、絶対に靴にも。


―――やれやれ。これは後始末が大変だわ。


ランドリーメイドの泣き顔が目に浮かんだ。

心の中で大きなため息を吐いて、しばし現実から目を背けようと瞼を閉じた。



「あんな……あんな娘が王太子殿下の婚約者ですって?

私の《エミリア》の身代わりですってっ?!何故!!何故よ!!」


奥様の声。

それに続き(よせばいいのに)宥めるような旦那様の声がした。


「し、しかし。あの子が行かなければウチは―――」


「――何ですって?!」


案の定、奥様の怒りにますます火を注いでしまわれたようだ……。


バシン、という音がして、旦那様が短く唸った。

察するに奥様は扇で旦那様を叩いたのだろう。


そして奥様の、大きな叫び声。


「やっぱりね!

貴方は私たちの《エミリア》よりあの忌々しいエミリアの方が可愛いのよ!

―――あの娘は、貴方のお好きな私の妹と貴方の子どもだものねっ!!」


私の横でカティが息を呑む様子が見えるようだった。



◆◇◆◇◆◇◆



姉の夫と、妹の、許されぬ恋といえばそうかもしれない。


けれど。

この主人夫妻と奥様の妹エレノーラ様の場合は少し事情が複雑だ。


奥様と妹エレノーラ様は下位貴族の家に生まれた。


姉の奥様は婿を取り、家を継ぐ跡取り娘。

妹のエレノーラ様は結婚で家を出ていく立場だった。


そのエレノーラ様に結婚を申し込んだのが旦那様だ。


エレノーラ様を見そめた旦那様は、家柄などどうでも良いと求婚し。

そして二人は婚約した。


それが面白くなかったのが奥様だ。


家を継ぐ自分は下位貴族のまま。

エレノーラ様が旦那様に嫁げば上位貴族となる。


妬んだのだろう。

許せないほどに。


ある日、奥様は妹エレノーラ様のことで内々に話があるとこの屋敷を訪ね……旦那様に軽い幻覚剤を盛った。


自分をエレノーラ様だと旦那様に思わせて関係を持った。

奪ったのだ。旦那様を。妹エレノーラ様から。


どんな理由であれ、貴族の娘の純潔を奪ったのだ。

責任を取って旦那様は奥様を妻にした。しなければならなかった。


そしてエレノーラ様は……。

泣く泣く父親に薦められた男性を婿に迎えて下位貴族の家を継ぐことになった。


その後、旦那様とエレノーラ様にどんなやり取りがあったのかは知らない。


けれど数年後。


エレノーラ様がその身に宿したお子様は

旦那様の子――エミリア様だった。


エレノーラ様の夫は、それに気づき家を出て行ったそうだ。


一方、この屋敷では奥様が怒り狂っていた。

自らも妊娠中であったにも関わらず物凄い剣幕で旦那様を責めた。


旦那様に、二度とエレノーラ様とは会わないと誓わせた。


……それは当然だとは思う。


しかし、奥様の悋気は常軌を逸脱していた。



旦那様を常に見張った。

自分ができない時は見張る者をつけ、旦那様の行動を逐一報告させた。


家中の鏡という鏡を叩き割った。


そして旦那様が最後にエレノーラ様に宛てた手紙を使用人から奪い中身を開き

二人が生まれてくる子どもにつけると約束していた名を知ると

なんと先に、自分が産んだ娘にその名をつけた。


エレノーラ様と旦那様――ミゲル様のお名前から一文字ずつ取ってつけた名。

《エミリア》と。


それが長年、この屋敷に勤めている者なら皆が知ること。




◆◇◆◇◆◇◆



「信じられません……」



他の部屋の、若いおしゃべりなメイド達から話を散々聞かされたらしいカティは放心状態で部屋に帰ってきた。


この屋敷のメイド部屋は二人部屋だ。

仕事が早く覚えられるように、という配慮からだろう。

カティは私と同室だった。


「どうなっているんですか?このお屋敷……」


半泣きになったカティに、大きめのマグカップに入れたお茶を渡す。

よく眠れるように、とっておいた果実酒を少し落としておいた。


「この屋敷に来た新入りの通る道よ」


同じものを飲みながら言うとカティががっくりと肩を落とした。


「とんでもなさすぎですよぉ」


「そうね。――飲んで。冷めないうちに。落ち着くわよ」


カティはずっとお茶を啜ると、ふーっと大きく息を吐いた。



「奥様、怖すぎます……」


「そうね」


「そりゃあ、怒るのはわかります。

旦那様に、自分の妹との間に子どもを作られたんですから。

でも……先に奥様が妹から旦那様を奪ったんですよね。卑怯な手を使って」


「そうね」


「不貞に賛成はしませんが。

お二人が奥様に無理矢理引き裂かれたことを考えれば……気の毒な気もします」


「そうね」


「何より、エミリア様がお可哀想です」


「そうね」


カティはずずっと鼻を啜った。

そして目も擦った。


「それにしても。怒った奥様が鏡を全部叩き割ったのはわかったんですけど。

そのままなのはどうしてですか?

話を聞いて気づいたんですけど、そういえば、この屋敷には鏡がないですよね。

磨く必要がないからメイドは楽ですけど」


「……奥様が鏡を置かないように命じたからだけど。

貴女、それは聞かなかったのね」


「え。……な、何をですか?」


身構えたカティから、マグカップをそっと取った。

それから告げた。


「――双子なのよ。奥様とエレノーラ様は。瓜二つのご姉妹なの」


「―――――」


「奥様は見たくないのでしょう。

妹エレノーラ様にそっくりな、ご自分の顔をね」



―――だから肖像画もないでしょう?―――



そう言うと、カティはこれ以上ないほど目を見開き、がたがたと震え出した。




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